日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

量は質を駆逐するか。朱に交われば紅くなるか

まずはここを読んでから
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050606#remarkresponsibility

例えばこれは立川談志が現代落語論なんかで言ってることだけれども、質は往々にして量をバカにするけれど、質は量が存在しないと存続しない。量の下支えと裾野の広がりがあることで質は存在する。量が質を食わせるんです。
はじめからそうではない。初めは質だけが存在しえていたのです。たとえばそれが創世記、神話の時代であったとするなれば。例えば梁山泊であったならば。伝説的な神・英雄と、崇める信者、麗しい契約関係。
しかし、いつまでも神話は続きません。神にも終わりの時が訪れます。十字架に架けられるのか、静かに涅槃の時を迎えるのかは色々ですが。嘆いても仕方の無いことです、神々の時代は去ったのだから。混沌の時が訪れる。
さて、ここでどうするか。新たな神を見つけるのか、新たな神を名乗るのか、神の代弁者を名乗るのか、偶像を崇拝するのか。(このあたりの細かい定義にこだわってはいけませんよ、そこは本質ではない)
いずれにしろ、ここから始まるのは群雄が割拠する時代。絶対的な存在はもういません。独立して存立し得るような神、自ら燦然と輝く永遠であるかのような光はもう無い。このときこそ、量が質を支えるのです。

つまり、blogは確実に、ここから話は具体的になりますよ、blogは確実に、そういうものになってしまったのです。有象無象の愚にもつかない日記の洪水、アフェリエイト狙いの主婦のお小遣い稼ぎblogの勃興、海の中でおぼれる良質blog、身を守る互助会的コミュニティ、馴れ合いはてな村、メタレベルの殴り合い、眺めて横レス入れる観客、懐古趣味の古老達、有象無象の海にネタを探す視線、責任を取るつもりのない人々の群れ、量、量、量、量の嵐。嵐の中で船は沈むのか。すべては埋没するのか。
埋没してしまったならそれまで。墓標の一つも立ててやるしかない。だけど、そんな有象無象が、まあ自分も含めてですけど、有象無象が沢山存在し得るような時代になったのです。有象無象が乱立して量という面からblogの新しい局面を支える時代になった。

1 名前: あさみ 投稿日: 2005/06/01(水) 02:01:22

なにやら、たくさんの論議が行われているみたいで…。

他人の文章に、そんなに憤りを感じるほど読み込んだり、一言一言を揚げ足取りみたいに解釈/解説したり。

みなさん、ずいぶんヒマですね。

確かにブログがすごく増えて、文章の巧い人・下手な人カンケーなく公表していて、公表するからにはある程度の責任とかエンターテーメント性とか、必要になってくると思うけど、

そんなの無視していられるからこれだけブログが普及したんじゃないのかなぁ。

それが一般的なHPとの違いかと思ってました。

だって、日記でしょう?名目は。

日記にしたって、どんな項目書こうが、頭で考えることって何ジャンルもあるし、自由じゃないかな。

日常会話でも、ちょっと意見や思想が違うと、ここまでヤリ込んで議論したりしてるのかなぁ。

それなら、そういう質の人と思えるからアレだけど。

頭の中や身体の中から、言葉にして書くことでストレスって減ると思うし。

そういうのがまさに“吐き出す”作業だし。

んー、なんだかなぁ。

こういう争いって全然、実生活に活きないカンジ。

柳さんのページ、わたしは好きですよ。

興味ないテーマの時は読み飛ばしたりするけど。

コバさんの意見が、たぶん真っ当に実生活で生活できてる人の意見だと思います。

だって、普通に日常生きてたら、こんなに執拗にネット内のことになんてかまってられないもん。

あんまり長く続いて、見てるわたしも飽きてきたので、わざわざ書き込んでみました。

この方の主張が香ばしいと規定した上で、だけど存在は認めるという視点、および、この人の主張そのものを正しい見方として認めるという視点、両方の視点でこの存在は認められなければいけない。だから、許しましょうよ。というか、マクロ視点で見れば当然必要な存在なわけです、そういうものも。認めなくちゃいけないんです。そういう量の存在に質が支えられる時代になったのだから。それが嫌ならみんなでお葬式をしてお店を畳むだけです。メジャーになるってそういうものだと思いませんか。
ええ?じゃあ生暖かく見守ってやればいいかって?んなわけないじゃないですか、そりゃあもう、叩きまくりですよ。香ばしい発言。お節介な忠告。トラブルの宝庫。切れるブログ主。生暖かいヲチ。捨て台詞。炎上するコメント欄。削除の嵐。祭。そして閉じるブログ。死屍累々。死体の山。死して屍拾う者無し。またつまらないものを斬ってしまった。その山の上に王国は築かれるわけです。革命と芸術には常に犠牲が付きまとう。その山の上に質は築かれる。
マクロとミクロは違う。今日も香ばしいものを探して目を皿のようにする。そして叩く。存在は認めるが全力で叩く。でも個人的に大切な有象無象は、大切な人の香ばしさは全力で守る。*1

*1:一応文脈上の誤解があるといけないので断っておきますが、この「あさみ」さんは私の「大切な人」ではありませんので。つうか誰か知らないし