日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

寝起きに映画

6時に起きて、起き抜けに昨日借りたDVDを見た

ヴィム・ベンダースが東京で撮影したビデオを編集した映画なのだが、当時の東京の風景に力点を置いて見る人と、笠智衆のインタビューシーンに力点を置いて見る人に分かるであろう作品。私は前者。いや、笠智衆も好きだけどさ。
1983年の映像なので、有楽町では日劇を取り壊してマリオンを建築中。画面に淡々と登場するのは、新幹線、花見に興じる人々、地下鉄、ゴルフ練習場、パチンコ屋、テレビの映像(タモリ倶楽部のお尻!)、東京タワーの展望台、食品サンプル工場(岩崎製作所)などなど。
小津安二郎の映画の面影を求めても、それは現代の東京のどこにも無いのだ、という筋は1本通っているのだが、映像自体は淡々としてそこに拘泥しているわけでもなく。かつ、それを見る私からすると、おそらくヴィム・ベンダースの思惑以上に小津安二郎はどうでも良く、昔と言っていいのか今とほとんど変わらないと言っていいのか微妙に解らない東京の風景に戸惑いつつ、興味津々で眺める、という風情。特にゴルフ練習場とパチンコ屋と食品サンプルの映写が執拗。
1983年というのが、1978年産まれの自分にとって、昔と言っていいのか今と言っていいのか微妙に感じる年代なのである。自分は産まれているけど、まだ物心ついていない時代。どう反応したらいいのかわからない。とても不思議。

一日仕事

ついでに、一緒に借りた

イノセンス スタンダード版 [DVD]

イノセンス スタンダード版 [DVD]

を、始めてDVDで観賞。映画館では日比谷と六本木とアイマックスシアターで三回も見たわけだが。
最初に、15分間の解説ムービーが入っているとは知らなかった。うーん、こりゃあ解りやすい。なんか、落語のマクラで昔の言葉の解説をして貰っている気分。もしくは榎本滋民の解説。これは、「初見の人には、解説が無いと理解不能」と製作側が認めているということか。
やっぱり白眉のシーンは、キムの館でダ・カーポするところでしょー。あとは、択捉の祭りのシーンと、工場に侵入したときのセキュリティシステムの描写。ストーリー的には小ネタだし、ゴーストとか電脳に関して新しいテーゼが提示されるわけでもないので、ストーリーというよりは細部の描写を楽しみつつ、押井節に辟易しつつ酔う、が正しい鑑賞態度だわな。神は細部に宿る。
攻殻機動隊でもイノセンスでも、真ん中へんにインターミッションのように街の風景が入るのは、『男はつらいよを初めとした山田洋次の映画で、唐突に祭りのシーンが入るのと同じ意味』と力説して、全力で否定された覚えがある。まあ、冗談ですがな。
そういうわけで9時ごろになって、飯を食って出勤。ひたすら仕事。今日は会社に誰もいなかった。昼飯はおにぎりを食す。7時過ぎまで仕事して、帰宅。疲れた…。帰りにTSUTAYAに寄ったが、ロスト・イン・トランスレーションは相変わらず貸し出し中。ちぇっ。

ブックオフで本が廃棄されていると問題について

Q.古書的価値の高い本が多少捨てられたとしても、それほど問題ではないのではないか?
A.廃棄問題に関して語られるとき、古書的価値の高い本が捨てられていることがよく話題になります。
しかし、それに関してはそれほど問題ではないと、わたしは思っています。欲しがっている人に渡った方がいいとは思いますが。
それよりもわたしが問題だと思うのは、新品では手に入らず、古書としては評価されない中途半端な本が大量に捨てられている点です。
古書的価値の高い評価の定まった本は、すでに社会の共有財産だといえます。本自体が多少捨てられたとしても、内容が忘れ去られることにはつながりません。それに対し、前述の中途半端な本は、これからの出会いを待っている本なのです。
http://b8270.at.infoseek.co.jp/haiki.html

「中途半端な本」が積極的に評価されたことがあっただろうか。これまでの古書店にはそれが並んでいたとしても、それは消極的な理由、とりあえず買いとって棚を埋めている、というだけで、積極的に価値を見出そうとしたことはないのではないか。消極的に、システムのアヤのようなところで生き残った本が、誰かとの出会いによって価値を見出された、ということを積極的に評価して良いのだろうか。
その本は、「ブックオフがなかったら」捨てられていただけなのではないか。ブックオフが廃棄という行為を集中して行なっているから目立っているだけで、ブックオフの行為の功罪をうんぬんするべきだろうか。
但し、ここで言う「中途半端」がどのへんを指すのか、によって、この意味するところも変わってくるような気がする。これは、もうちょっとブックオフを観察してみないといけないな、と思う。