日毎に敵と懶惰に戦う

はてなダイアリーから引っ越しました。酒と食い物と美術と旅と横浜と建築と演芸と…

朝の出雲を後にして

出雲の民宿で、4時半に起床。まだ外は暗い。船に乗るためには松江のさらに先に向かわなければいけないので、とにかく早起きしなけばならない。“お江戸日本橋七つ立ち”というほどではないけれど、嗽手水に身を清めて5時過ぎには宿を立つ

ようやく明るくなった道を東へと向かい、朝の大社へ。人の少ない出雲大社はすがすがしいけれど

すでに本殿見物の整理券を求める人たちが行列を作りはじめており、かなり長い行列になっていた。

こういう機会以外であれば、なるべく、人のまばらな季節に来たいものだなあ、と考えながら参道を南へ向かい




逆にたどる朝の参道も、とても良い空気で、また出雲大社を訪れたいものだな、と思わせるのだった。さて、可愛らしい駅舎から、6時10分の電車で松江しんじ湖温泉駅へ向かおう


およそ1時間で松江しんじ湖温泉駅にたどり着き、またタクシーの運転手さんから出雲弁を引き出して拝聴しつつ、松江駅へ。駅のなかで朝飯の蕎麦を食べる

とにかく隠岐へと渡る

松江の駅からは7時55分のバスで、隠岐へのフェリーが出る七類という港へ向かう。このバス、季節柄か大変な人数が並んでおり、1台では乗り切らず、2台目のバスがややあって駆けつけて、一路七類へ。
この時点での一抹の不安は的中というか大当たりで、隠岐の島に向かう9時のフェリーに乗り込むともはや満員、船室には入れませんからデッキへ行ってください、と悪びれもせず(別に悪びれる必要もないのだが…)、そこ・ここの通路にも敷物を敷いた座り込み、あるいは横たわる人々が大勢、しかたなく外に出てみれば、炎天下の最上部の甲板すら大勢の人で、貸しゴザの在庫もつきましたと無常な船内放送。せめてお日様隠れていてくれよ、と祈るような気持ちで、もはや青天井の下に寝転がるしかない

これでは難民船だ。ボートピープルだ。風が吹き、揺れる(ま、この日は波が穏やかでさほど揺れなかったのだけれど…)甲板上でジェンカに興じる若者などを見ながら、そして船は進み、七類の港を船は離れるのだった

さてここで、隠岐の地勢についてちょっと紹介しておきたい。
大きな地図で見る
隠岐島根県に属する群島で、それは大きく、『島前(どうぜん)』と『島後(どうご)』からなる。島前は主に“中ノ島=海士町”、“西の島=西ノ島町”、“知夫里島知夫村”と、それぞれ独立した行政区分の3つの島からなり、三島合わせて人口は7,500人ほどになる。
島後は島前の東に位置し、“島後”と呼ばれる大きな島だが、固有の島の名は無いようだ。面積は島前の3つの島をあわせた倍以上あり、人口も18,000人近く。かつては『西郷町、布施村、五箇村、都万村』4つの行政区分があったが、現在は『隠岐の島町』という1つに合併されている。竹島は、旧の五箇村、今は隠岐の島町に属しているのだった。
今回、隠岐に来たのは、今年の2月に訪れた壱岐対馬に続き、離島を巡る旅がしたかったこと、そして、離島は離島であっても、景勝地にはあまり興味関心は無く、式内社など謂れ因縁故事来歴の豊富なところを選ぼう…としたこと、が主な理由。さらに、御大曰く、所謂“六十余州”の一つである隠岐の地を踏めば、“六十余州に隠れのねえ”身になるというから、目出度い事である。ま、歴史のついた土地を巡れば、何かしら面白いことがあるには違いない。後鳥羽上皇後醍醐天皇が配流された島、それを肴に美味い酒でも飲もうじゃないか。
さて、本州側と島前・島後の間には、フェリーと高速船と飛行機、また、島前島後間の交通手段にはフェリーと高速船があるけれど、行き来しようとすると、自由に旅程を組みながら便をあてはめていけるような便数は無く、自ずと、船の時間に制約されながら旅程を組むことになる。今回はうんうん考えた挙句、まず初日は島後に渡り、レンタカーで観光した後、中心部の西郷に宿泊。翌日の朝に島前に渡り、島前内を行き来する島内船をうまく活用して、夕方には再び本州に戻る…というプランにした。主な景勝地見所を巡るには、最低でもこれぐらいの日程はかかるようだし、できればもう一日くらいの余裕が欲しいところではある。
…そうこうするうちに船の甲板上に日はかんかんと照り始め、船上にて持衰を気取る余裕も無く、僅かな日陰を求めて寝てやり過ごすに限ると思うたのも僅かな間、島影が見えてきた

船は西郷の港に到着

港には、こんな看板が

さっそく、小学校元教員と思しきご親切丁寧な婦人に先導されて、予約しておいたレンタカーを借りて(離島のことであるから、繁盛期は事前に予約しておいたほうが無難でしょう)島を巡ることにするが、その前に昼ごはん。西郷の港にほど近い食堂で食べた岩のりおにぎりは、まことに美味であったけれど、市原悦子似の女主人が切り盛りする店では旦那らしき男性とお手伝いらしき年配女性が厨房の中で右往左往するばかりで、見ていて飽きない

隠岐の島後を巡って

とりあえず腹も膨れて人心地ついたので、車で島を巡ることにしよう。この島は去年の豪雨でかなりの被害を受けたらしく、いまだにわき道には復旧できず寸断されている箇所が多いようだけれど、島を廻る主要道路は概ね復旧している。そんなな島を反時計にまわり、しばらく行けば、重要文化財にもなっている『佐々木家住宅』というところ

島で最古という民家は、“隠岐造り”とも呼ばれる独特の特徴をそなえていて、これはこれで興味深いのだが。解説してくれるおじさんの話を熱心に聞いていると興が乗ってきて、室町時代のものだという鎧やら鐙やらをベタベタと触らせてくれて、ええ、いいの?とこっちが心配になってくる。横浜から来たと言ったら、昔マルハに勤めていた頃に行ったという、横浜西口のキャバレーの思い出話にまで解説が及び、しかもこの解説が一番熱がこもっていて、口舌滑らかだった。あはは。
民家をあとにして、さらに島を廻る。海に一番近い幹線を通っていても、アップダウンがかなりあり、大きな島なのだなあ、と実感する。島を一周すると、おおよそ、100kmあるとのこと。そして、車窓には自然の奇観が見え隠れする。切り立った断崖などの奇観もこの島の見所ではあるけれど、我々はそれにはあまり興味が無い。配流された貴人の足跡を辿ったり、趣のある神社を参って、これは式内社かどうかと談義に花を咲かせられればそれで文句は無い。布施という集落に春日神社があったが、『“春日”なんて式内社のはずがないからね…』と言いつつもまあお参りはして、先へと進む。半分くらいすすんだところに、蕎麦屋あり

この『そば工房おみ』で食べた蕎麦が、殊の外美味かった。焼き鯖を使ったというだし汁がまた美味いし、程よく挽いて、つなぎをまったく使わないで打つという蕎麦もまた、東北系とは違った美味さがある。蕎麦は隠岐の名物であるけれど、元来、茹でたてを食べるものではなかったらしい。冬場、一旦茹でたものを一人前ずつ皿か何かに乗せておいて、あらためて暖めて、深めの皿に汁と共に持って、ぼろぼろと崩れるようになるものを、お茶漬けの要領で食べたものだ、とは蕎麦屋の弁。それはそれで美味そうで興味惹かれたけれど、やっぱり蕎麦は細く長いのが美味しい。
もう少し南へ下がると、水若酢神社という、隠岐国一宮


大社造りと春日造りを折衷したような、隠岐造りという独特の形状を持つ本殿がなかなかの壮麗さで、二礼二拍手一礼の作法に則って参拝。すぐ隣には、明治期特有の洋風木造建築な『隠岐郷土館』があり

民俗資料は通りいっぺんであったけれど、なにしろ旧の五箇村にある資料館なので、竹島関係の展示が充実している



漁民の切なる訴え


『韓国、斉州島の海士さん達(橋岡氏が雇って来た人達)』というキャプションがいろいろ複雑ですが

その後も島の西側をぐるりと廻り、『天健金草神社』

『加茂那備神社』

それぞれ式内社をお参りし、ぐるっと一周りして『玉若酢命神社』へ


樹齢2000年という松の木のある神社は、これまた隠岐造りで立派なものだけれど、水若酢神社のほうが趣きはあるだろうか。脇にある国造家の末裔の宝物館で、日本にはここしかないという駅鈴などを眺める。ここに来て島で初めて、観光客に出会った。あれだけ沢山、難民船に乗っていた人たちは、いったいどこに消えたのか。帰省ばかりではなく、純粋に観光客も大勢いたはずなのだが。みんな海水浴でもしているのだろうか。大阪出身者に『隠岐に行くんですよ』と話したら、海水浴に訪れたことがあると応えた人が2人いたので、海水浴はポピュラーなのかもしれない。確かに海は青くて澄んでいてきれいだ。
そして少し山の方に入った所にある国分寺。ここには後醍醐天皇の行在所があるのだけれど、島前にも行在所というのがあって、どっちが本当なのか。


島前に渡った後で購入した郷土史家が書いた冊子によれば、少なくとも郷土史家間では解釈を巡ってなんらかの対立があるらしいけれど、よくわからない。この国分寺は去年不審火を出して本堂が燃えてしまったらしく、再建の浄財を集めていた。これでは入場料も取れず、6時に閉まると書かれた門も開きっぱなしになっており、なんだか寂寥としていて、燃え残った鐘楼の鐘を突き終わった住職の背中にも哀愁が漂う
そうそう、ここから車を返す途中の道沿いにあった、『日の賣神社』というところ、由緒謂れはわからないけれど、ご神木の木ともども、大変に趣のある社だった

離島を巡ろ時、こういう小さな社に突然出会うのは、また格別な楽しみではある。しかしながら、島中を巡る道路は日に日に改良されてトンネルでショートカットされたりするので、昔からある神社に無意識に出会える確率は自ずと減っているのだけれど。レンタカーを返して、この日は西郷の町の中心部にある旅館に投宿する。風呂で汗を流し、飯を食いに町へ。宿で紹介されてた店は、ごく小さな店だったけれど、黒板には美味しそうな魚の名前がずらりと並んで食欲をそそる

そして、まあ、お任せにして出てきたこのイシダイ!

白イカ!蛸しゃぶ!

ブリカマ!煮付け!鯖ずし、鯵ずし!

そしてとどめのブリの刺身!

そのほか、いろいろ。ああ、なんたる幸せ…。地の物には地の酒で、合わせる土地の日本酒も美味い…大いに至福の時だったのだけれど、少々たがが外れて、お任せにしすぎてしまったらしい。あんまり美味い美味いと言っていたので、がんばりすぎてしまったのだろうか。刺身ばかりで腹いっぱいになる、というのがそもそも、オカシイと言えばオカシイのだが…予想よりもかなり高いお会計、一瞬耳を疑うようなことになってしまった。もう少し自重すれば良かったと若干の後悔をしつつ(というか、酔った勢いで帰る道すがら悪態をつきつつ)、しかし美味かったことには変わりは無く、宿に帰ったのだった