日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

横浜美術館『束芋‐断面の世代』、夜には車橋もつ肉店

7時起床。抜けるような青空。掃除洗濯を済ませ、9時過ぎに出掛けて横浜で97回目の献血は400ml。年間の回数制限に引っ掛かるので、しばらく成分献血は出来ないのです。だから、全血。取るの自体は10分とかからずに終了して、しばし休憩、また桜木町まで。美容院はこれまで綱島で行っていたけれど、今日は近所の美容院へ。チェーン店なのにどう見ても家族経営で、フランチャイズか何かなのだろうか。待たされたけれどいったん帰宅して古紙の仕分けなどしており、散髪自体は大変丁寧かつ安価だった。
昼を廻っており、横浜に出て、ソフトバンクの直営店、郵便局、そごうなどを順次徘徊。日産の本社を経由してみなとみらいのほうに向かい、ちょっと大塚家具がある建物の無印良品に寄ってみたらば、閉店セールで店内が昔の共産圏の百貨店のようなすっからかん、なんにもありません。
さらに歩いて横浜美術館、『束芋ー断面の世代』を見る。『悪人』の挿絵以外、オール新作の気合いの入った展覧会。束芋は当初から卓抜した表現力が凄いけれど、その題材の選び方は、皮相に見れば『日本的なるもの』のイメージに寄りかかっている部分が無きにしもあらず、であり。その後、常にその表現力のまま、たとえば原美術館の『ヨロヨロン』などで見るに、生理的な部分に訴えるような、抽象的題材が増えていた印象。今回の展覧会の作品は、そのあたりを突き抜けていて、すげー、束芋どんどん進化してます、という感じである。怪しい表現力にさらに磨きがかかっているし、展示構成も素晴らしい。これは見に行って損の無い展覧会だと思います。常設展のほうも、写真コーナーが面白かったですね。あと、ミュージアムショップが以前よりもすごく充実しているように感じた。
お、夕焼けが綺麗だ。

ランドマークプラザに行き、GAPが投げ売りのような冬もの大セールをやっていたのでセーターを一着購入。本当に、大丈夫なのかGAP、というような値引きっぷり。最大70%OFFの上に、さらに全商品20%OFF!みたいな。7900円のセーターが2350円だった。その他、ランドマークプラザやら隣のビルやらのいろんなお店を見ていても、それなりに繁盛してはいるのだけれど、どこか不景気とデフレの波ばかり感じさせる状況で、あまり明るくはなく。晩飯は更科一休で蕎麦を食べて、その後、カフェでのんびりお茶。
いったん帰宅してから、さて、束芋を見たから、ちょっと臓物でも食べようかと。以前から行きたかった『車橋もつ肉店』に行ってみた。我が家からは吉田新田を一直線に突っ切って1.8kmの距離。川端の店

立ち飲みの店は繁盛していたけれどギュウ詰めでもなく、はじっこに位置を確保。カウンターでお金を先払いして、飲み物はその場で受けとり、食べ物は席まで運んできてくれる方式。ご夫婦と従業員ひとり、それから子供2人で切り盛りしていた。子供2人は、22時になったらいなくなったので、労働法制的にも大丈夫です…(?)。食べ終わったお皿と、飲み終わったジョッキは必ず自分で下げないといけないので、注意しましょう。まずはホッピーと塩ユッケ。混雑していても、食べ物の出てくるのはとても早い。このユッケが実に瑞々しくて素晴らしいお肉で、実にうまい!その後、馬刺、レバ刺と、痛風まっしぐらなメニューを食べてみる。安いのに盛りが良くて、そしてとにかく、肉が新鮮です!と強く訴えるような品々。ユッケは万人に勧められるけれど、レバ刺あたりは、『苦手だけど私にも食べられるー』的な感じではなく、とにかく生!肉!内臓!と怒涛のような力で迫ってくる感じで、お好きな方には堪らないが人を選ぶかもしれない、と思った。臭みがあるわけでは全然ないのですが。私?もちろん大好きですよ。
カシラとハツの焼き物も頼んで、これもとにかく、素材が新鮮でいいでしょう!みたいにプリプリしていて美味くて。小鉢に山盛りの浅漬けも美味しかった。飲み物はホッピーの中身を1回おかわりして、お会計は合計で1990円。安い。また来ましょう。場所が場所だけれど、店内は清潔だし接客も丁寧だし、若い女性客も沢山いる、入りやすい店でございますよ。あと、長居と大騒ぎは禁物らしいのでヨロシク。(当たり前ですが)

祖父の葬儀に行ってきて

いろいろ思うことはあって、書こうと思ったけれど、いざ書こうとすると、あまり何を書いてよいのかわからないので、止す。

ただ、通夜振舞で出されたラーメンが、懐かしい醤油味の太麺の、支那蕎麦と言うとしっくりくるようなラーメンで美味かったなあ、ということ。それから、日本酒として用意されていた越乃白龍、酔泉、越後櫻はいずれも阿賀野市の地酒であり、どれもまずまずの及第点ではあったけれど。越乃白龍は吟醸酒にしては味わいに欠けて、酔泉は純米でややきれい過ぎる造り、越後櫻はそれに輪をかけて、淡麗辛口と言うにしてもあまりにも淡泊過ぎる酒だな、などと、結局食い物の話か、ということにしてお茶を濁す。

よく通夜で線香を絶やさないように、と言うけれど、ほっといても絶えない、18時間も持続する渦巻き線香などというものがあるのか。寝ずの番をしなくていいのか。ああそうか。なんか、非常に本末転倒なような気がするが。本来は次々に弔問客が訪れて故人の思い出話などしながら酒を飲み、故人を寂しがらせないように、線香の絶える間が無い、たぶん元の発想は違うけえどそういうものじゃなかろうか、と私は思うが、そういうことは難しいか。自分も葬祭場に泊れば良かったか。

結局、最後に会ったのが去年の10月で、佐渡に出張した帰りで。意識ははっきりしていたけれど大分弱っていて。
佐渡をあとにして - 日毎に敵と懶惰に戦う
もっと元気なうちにいろいろ話を聞けばよかった、などというのは、大抵そういうのは後からしか悔めないもので。

だから、そういうことは言わない。