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日毎に敵と懶惰に戦う

はてなダイアリーから引っ越しました。酒と食い物と美術と旅と横浜と建築と演芸と…

川治温泉から喜連川へ

ぼんやりと起きて、しかしお酒はあまり残っていない。若干残っている酒を、朝から長風呂に浸かって体外へ。本当にお風呂はすばらしい、お風呂は…。朝飯も同じように部屋に運んでくれて、まああんまり賑やかなお膳ではありませんけれども、必要十分と言いますか。食後、しばらく横になっていた御大、何時だいと言うので『9時40分ですよ』10分くらい過ぎてがばりと起きて
『さっきは9時40分と聞いたが、もう9時50分ではないか』
『時は過ぎますので…』
10時過ぎ、会計を済ませて宿を出ようとした際、ロビーにいたカップル。私は見なかったのだけれど聞くところによれば、女性のほうが全身で不満をあらわにしていたらしく、あれは帰り道、所沢ナンバーの車の中は修羅場だろうなあ、と。カップルでくる宿じゃありませんね、ぐへへへ。
南下する途中にあったセブンイレブンで買物ついでにウォシュレットのトイレを借りて、さらに下る。本日最初の目的地は高徳。鬼怒川と今市の間にあり、ここには1866年に設置された高徳藩があったのだけれど、たった4年間しか存在しなかった藩なのですね。その陣屋跡が神社になっているというので探すけれど、なんの案内看板も無く。いろいろ調べてなんとか行ってみると、え、こっちでいいの?

国道から脇に入り、鬼怒川ライン下りの下船場所に向かう。野岩鉄道の高架下…高架下ってほどじゃないけれど、線路を下をくぐればいいのでしょうか。ほんとにここなの?

あー。ここなのか。狭い敷地でなにもない。幕末に陣屋は焼き打ちにあったらしい。夢幻のごとくなり…。
高徳からは日光北街道を西に向かう。国道461号線、かなり数字の大きい国道ですね。塩谷町という町に入り、“名水となんとかの郷”とあったので『要するに何にもない町なんですかね』などと口の悪いことを言っていれば矢板の町に入る。国道4号線を北上していけば、しだいに風景は北関東のそれから東北のそれになっていくような気がします。西那須野の駅近くで脇に入り、次の目的地は乃木神社

銅像がありますね

拝殿では何事か祭祀が行われており、初七日?お七夜?じゃないか、初宮参りか、まあいいや、参拝を済ませて、資料館があるらしいので行ってみましょう。『熱心な乃木希典の信奉者と思われるのではないか』いまさら何をおっしゃってるんですか。
資料館は雑多な日用品、遺品がずらずらと並べられており、写真だのなんだのを見ながら『奥さんは“殉死”ではなくて“夫に惨殺され”だろう』『この切手で多くの若者が戦場に…』などと、言っていることも大概。神社を出て次の目的地に向かう道すがらの車内では、乃木殉死の報に接した新聞記者がみな『こんな糞忙しい日に何やってるんだ』と憤慨しきりだったらしい、などという話で盛り上がる。
大田原市街へ、大田原と言うと最近売り出しの大田原牛くらいしか知らない…その市街は鉄道駅が無いのでどこが中心かよく判らないけれど、おそらくこのあたりでしょう、というあたりを通り抜ける。大田原城址は、少し小山を登っていって、車窓から眺めるに留めます。昼飯をどうしようかと言いながら次の目的地に向かっていたけれど、ああそうだ、那須与一の郷というところも行くはずだったのだ、道の駅らしいので昼飯もそこで済ませましょう、ということに衆議一決する。国道400号線から県道170号線にそれて、少し北上して道の駅『那須与一の郷』に到着、大混雑。
立派な建物と広い駐車場のその施設は、どうも県外からの観光客で賑わっているというふうではなく、近所の人がちょっと飯でも食いに来ている、という風情で。大田原市は市のwebサイトも(実在すらアヤシイ)那須与一イチオシだから、『那須与一の郷』にはそうとう力が入っているのだろうなあ。ほかにあまり観光名所も無い、のか。混雑している食堂で食べた蕎麦は、なるほど、値段も手頃でじゅうぶんに美味しかったです。食後に、那須与一伝承館という展示スペースに行ってみれば…

受付のおばちゃんが妙にフレンドリーすぎることをもっと警戒すればよかったのだ、どこから来たの?横浜から、まあ!横浜から!しきりに、シアターで那須与一のついてのショーがあと2分後にはじまりますからね!もう少し待ってくださいね!いや、別にそれは地雷な予感がするから、見なくても良いのだけれど…と展示品を見て、敬して遠ざけていたのだけれど、遠くからでっかい声で
『おにーさん!横浜からきたおにーさん!見てってよ!凄いのよー、話のネタになるから!おにーさん!』
どちらかというと、今映像を流し始めた富十郎の歌舞伎が見たいのですが…。避けられぬ運命
氷雪の門あたりにでも来た様な気恥ずかしさで座席に座ると、おばさん、拝Hiテンションなガイド口調でこの施設の成り立ちについて滔々と語りだす。このおばちゃんはそのうち選挙に出ると思う。やがてはじまったショーは、琵琶法師の人形の語りにより、3面の映像と人形を使って那須与一が扇の的を射る場面を再現したもので、勿論人形は自動操作ですよ、まあ、その、クオリティは…。人形劇団プークの芸風がわかったのが収穫かね、というくらいで。ショーのあとのおばちゃんの語りも含め、話のネタになったのはおばちゃんでありました。

逃げ出すようにその場を離れて、お隣の那須神社に参拝。

この注連縄、なかなか不思議な形をしている。黒羽街道を西進し、国道294号線をしばらく下ると、次の目的地は那須国造碑。一昨日訪れた多胡碑と並び、日本三古碑の一つ。しかも、多胡碑が国の特別史跡であるのに対して、この那須国造碑は国宝でありますよ。さぞかし立派な展示がされているのだろう、と思ったら

この碑をご神体にした笠石神社と、その社務所があるだけ。碑を見たい方は社務所に声を掛けてくださいと書いてあるので、雑然として薄暗い社務所の中に向かって
『すみませーん』
『碑が見たいのですがー』
返事が無い。もう一度呼びかけると、糸より細い声で
『ハーイ…』
『……』
なにか聞こえるような気はするものの、何時まで経っても人が出てこない。さらに数度
『すみませーん』
と声をかけていると、脇のほうから、杖を突いたおばあさんがぬぬぬ、と出てきた。
『聞こえてたんですけどね、足が悪くてね、手術をしてね…』
ああっ、これは申し訳ありませんでした…。大変に恐縮。社務所をあけてもらって記帳し、3人分1000円也を奉納していると、60過ぎの先生然とした宮司さんが現れた。
『最初に15分ほど解説をして、それから見ていただきます』
社務所の縁側に置かれたベンチに3人座って聞いた碑の解説は、その歴史と文化的位置づけ、碑文の内容、研究の過程、周辺の遺跡に至る大変含蓄のあるお話で、15分と言わず30分近くあったかもしれないけれど、10種類以上の様々な資料を見せていただきながらの、大変有意義な時間になった。お話終わって、その碑を見せていただく

扉を開けて、宮司さんに合わせてこちらも二礼二拝一礼。開いた扉の奥にあった碑は、700年に作られたとは到底思えない素晴らしい保存状態。その穿たれた文章も大変に美しく、見せていただくまでの過程を含めて、これは訪れてよかった、と思える史跡だった。大田原市としては、実在のアヤシイ那須与一より、こっちのほうがよほど価値があると思うけれど…まあ、地味だからね…。ちなみにこの方は、本当に学校の先生、というか校長先生だったそうで、つい最近退職したばかりらしい
お礼を述べて辞して、さらに南下。西に折れて293号線にはいり、しばらく行くと左側に、那珂川町は馬頭の広重美術館が見えてくる。ああ、これはいっぺん行ってみたかったところではあるけれど…時間も無いし、今回の旅の趣旨とは外れるのでやり過ごす。しばらく進めば、はい、本日最初の式内社乃木神社那須神社も式内社じゃありません!)健武山神社

この神社の注連縄も不思議な形だなあ


石段を上って参拝。来た道をまた戻り、またしても広重美術館を通り過ぎて、今回の旅、最後の式内社となる三和神社

この注連縄も!なんて形式のものなのかしら

落ち着いて参拝。最後の最後に、小さな大大名、喜連川藩に向かったわけですが
喜連川藩 - Wikipedia
陣屋跡は役場になっており、しかも今は『喜連川』ではなく『さくら市』なのね、ああもう、平成の大合併で何もかも…。まあとにかくその陣屋跡には再現された大門があり、2階は資料館になっているのだけれど、日曜日はお休みなのでありました…。さすがお役所

喜連川の道の駅に何か本でも売っていないかと思ったけれど、温泉を推すばかりで、喜連川藩に関する資料は微塵も無かったのでありました。うーむ、そろそろ帰路につきましょうか。氏家から国道4号線を南下し、渋滞にもあまり引っかかることなく宇都宮到着、車を5時ごろに返却します。
駅前のみんみんで餃子を食べて、うん、焼き餃子は美味かったのだけれど、あまりにも追い立てられるような接客で落ち着かず。大勢の客を捌くにはしょうがないんだろうねえ。もう何軒か、という気分でもなくなり、ビールを買い込んで宇都宮線のホームへ。ちょうど入選してきたカシオペアを見送って湘南新宿ライングリーン車に落ち着き、あとは池袋、横浜まで、旅の思い出を振り返りながらの最後の宴会となったのでした。
また今回も、大変、楽しい旅であったことよ。次回はどこに行こうか。