日毎に敵と懶惰に戦う

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東京都現代美術館『キセイノセイキ』

月曜日、祝日。ですが仕事がいろいろ溜まっているので、朝から出社して片付ける。昼過ぎにいったん抜けて、清澄白河へ。東京現代美術館はピクサー展をやっているので、ものすごい混雑になっている…

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ピクサー展もすごく良いよ!という話は聞いているんだけれど、さすがに1時間も並ぶのは…なので、別日にしよう。本日は『キセイノセイキ』展を見ます。こちらはガラガラ

タイトルからして、先日の会田誠の作品の騒動を想起するな、というほうが無理である。

もちろん、それ以前から企画されていた展覧会なのだけれど、当然、会田誠騒動も意識して展覧会は形づくられたのだろう。作家と美術館の間のせめぎ合い、あるいは作家・美術館と世間とのせめぎ合いで、展示形態そのものが、いろいろな意味をさらけ出している展覧会になっている

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しかしどうも、そのせめぎあいの結果としてのがらんどうのようなものを見せられるにつけ、それが作家やキュレーターの意図としてどこまで成功だと思っているのかは理解しかねるが、どうにも、作家と美術館側の内輪的なエクスキューズばかり見せられているようで、イマイチしっくりこない展覧会であることも、確かであり。

ちょっとどうにものれないまま、首を捻りつつ、会場内を巡回する、という鑑賞姿勢となった。戦災の記憶を留める資料館構想、戦場カメラマン、口述の歴史、魅力的なテーマと作品は数多くあったはあったのだが。

そんな中、アルトゥル・ジミェフスキの「繰り返し」が見られたのは僥倖だった。10年前に同じ場所で開催された『転換期の作法』で見て以来だ。あの展覧会は、東欧の現代美術を紹介した、今でも最も好きな展覧会のひとつだった

アルトゥル・ジミェフスキ「繰り返し」は、スタンフォード監獄実験を再現した40分の映像作品なのだか…しかし、これを美術館の展示スペースの、途中から見るしかない空間で見るのは厳しい。映像作品を展覧会でどう見せるか問題を改めて思う。転換期の作法展では、講堂での上映会スタイルだった。

コレクション展も鑑賞して出て、また会社に戻って仕事やっつける。上がって、流浪ぴーに寄り道して帰宅したのでした。

在華坊(@zaikabou)/2016年03月21日 - Twilog