日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

ベルヴィル・ランデブーを見た

9時起床。朝飯に餅を食って、新宿へ。高島屋タイムズスクエアのテアトル・タイムズスクエアに、ベルヴィル・ランデブーを見に。去年の早い時期に2ch経由で存在を知って、公開されたらすぐに見にいくつもりだったのだが、なんとなく機会を逃していた。今回、日本オタク大賞唐沢俊一トリビア先生が個人賞に選んだらしいので、勢いで見に行く。(唐沢俊一のレビューは8月10日の日記に→唐沢俊一ホームページ :: 日記 :: 2004年 :: 08月 :: 10日(火曜日)
13:25の回で開演ギリギリについたのだが、席はぜんぜん余裕ありとのこと。会場内も座席はたくさん開いていて、せいぜい3割〜4割の入りか。余裕があるのは嬉しいけど、休日の昼間にこれで大丈夫か。
作品感想。いや、これは凄い。日本のアニメーションとは別の次元で凄い。ストーリーは、自転車レース中にギャングに攫われた孫を助けるため、おばあちゃんが単身でベルヴィルという大都会に乗り込み、そこでかつては有名だった歌手3人組のおばあちゃんの助けを借りて孫を助ける、というもの。徹底した、もはやグロテスクとも言えるデフォルメ、人物の細かい動きや表情に拘った作画(良く笑ったり怒ったりする「豊かな表情」ではないが本当に豊かなのだ)。絵にまず引き込まれる。また、音楽もすばらしい。そして、おばあちゃんがバイタリティに溢れていて頭も良くて、実に魅力的なキャラクターになっている。
脚本も小憎らしいほどで、ちょっと「あれ?」「おや?」と思うような描写がすべて伏線になっていて、あとでしっかりストーリーのなかで重要な意味を示す部分に回収されている。台詞がほとんど無いので、より一層、そういう部分が巧みに見える。
日本のアニメーションは、まあ、あのいわゆるセル画の功罪である「アニメ絵」は置いておいて、あまりにも肥大した自意識、あるいは、世界を語ってやるんだ、という意気込みが暑苦しいほどなものが多い。押井守なんかその極北であるわけだが。ハリウッド映画も、「主人公の活躍が世界を救う」という定石を踏襲する文脈の中で、世界語りや自己言及が行われたりする。
このベルヴィル・ランデブーはそこがまったく違っていて、ストーリー自体は「孫が誘拐されて助けに行った。そして相変わらず日常は続く」というだけ。しかし、ならば、伏線の張り方とその回収の仕方や、巧みな作画・美術・音楽で魅了する職人芸映画であるだけか、というとそんなことは全く無い。
過去の栄光を記憶しつつもたくましく生きる3人組、ネズミに似た男の荷物や写真から垣間見える日常と哀愁、救護車の運転手の細かい仕草、そんな、脇役の背景描写やちょっとした仕草のなかで(説明口調は全くなしで)人生のいろいろが語られたりして、凄く胸をつく。(アメリカの映画でも、例えば警備員のおっさんの生き様みたいなもののディティールが描写されるような事がしばしばある)大上段から語らないけど、きちんと脚本を積み重ねる中で語っていて、それがさりげなくてかっこいいのだ。*1
最後にもう一点。唐沢俊一が、クライマックスのカーチェイスについて「宮崎駿の影響がご愛敬で感じられる、ラストの大追跡」と書いているけど、出てくる食い物が悉く不味そう(結局食えなかったハンバーガーはちょっと美味しそうだった)なのは、宮崎駿へのアンチテーゼかも。どういう意味のアンチテーゼかは知らんけど。カエルキャンディをベロベロ舐めるシーンは強烈過ぎ。
あ、あともう一点。萌えアニメじゃないという意見が大勢だろうけど、一応言っとく。ばーちゃん萌え。

*1:と言いつつも、日本のアニメの、ストーリーにおいても手法においても自己語りが何回転もしちゃってニッチもサッチも行かなくなっている状況、混乱も大好きなワタシではあるが