日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

コマンド?

所謂「オタクの所作」の代表例として「リアルな女と話しているときでも選択肢が出てくる」というエロゲー的、最近の例としては「げんしけん」における、部室での斑目と春日部の対峙の場面などがあるとしよう。
ではそれと対置されるべき態度は何かといえば、やはり選択肢なんか出てこない、ということになると思うのだが、それって、本当?というのが今日の趣旨である。
オタクと対置されるDQN*1は果たして選択肢無しで選択しているのか、いやそもそも「選択」などしていないのかというと、私は大いに疑問を感じる。
つまり、オタクにおいては4択だったものが、DQNにおいてはクイズミリオネアで言うところの「フィフティ・フィフティ」が沢山使えるので2択になっていたりとか、「オーディエンス」や「テレフォン」をバックボーンとして持っているとか、手癖として考えないで選択できるようになっているとか、あるいは他に選択肢があることに気が付かないとか。
最後のパターンの場合、「選択」していないことと何が違うのかと思う人もいるかも知れないが大有りで、つまりそこで一旦「コマンド?」状態になっていることに変わりはないわけで、決して、流れるようなストーリーが決定論的に繰り広げられているのではないということ。
選択肢的行動が気持ち悪いと思われる向き、まあぶっちゃけ女性を指していますけれども、その向きにおいては、その気持ち悪くない男の反応や行動が必然的に展開されているように見えていても、男のほうはいちいち立ち止まって「コマンド?」であることに変わりは無いのではないかと思うのだが。


あ、なんか、自分が非常に鬼畜に思えてきたので、この件に関して人に同意を求めるのは止めておくことにしよう

*1:ここではあえて生き方というかライフスタイルとしてDQNを使用しているだけで、それをして字義通りのDQNだと私が思っているわけではない、と念のため断っておく