日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

民家、民家!

駅からバスに乗り、郊外の観光地を車窓からw観光、遠回りのバスに乗った怪我の巧妙。だけど、せっかく街の中がアレだけ素敵な高山なのに、郊外に怪しい「観光施設」然としたものを作ってしまうのは何故なのか。一部、全然客が入っていない施設もあった。合併特例債で作ったんじゃないよなあ。なぜああいう勿体無いことをするのだろうか。
高山の街は、これまで、様々な努力や幸運も重なって、美しい町並みを維持してきたのだろう。しかし、街をきちんと守るという努力は継続が必要である。どこかで一人でも、行政の中枢に馬鹿が収まると、すべてはおじゃんになってしまう。例えば松江の街の場合、お堀を全部埋めてしまおうと言う話が一時期あった。それを、いや、これを資源にして観光に活かしましょう、といった人があり、いまのすばらしい松江の街になったのだ。そのとき埋めていたら、今日の松江は無かった。
例えば大阪は川と橋の町である。今でも川は活かされているとは思うが、一時期、土地を有効利用するために川をずんぶん塞いだらしい。高度成長期にはそれも必要なことだったかもしれないが、長期的に見たら正しかった=利益に適っていたかどうか。松下幸之助が一枚噛んでいるらしいのだが…。近年、道頓堀も、水辺を散策できるように改修がなされていて、もっと水辺を活かす方向に進んでいるようであり、失ったものは得たものより多くは無かったのか。
とにかく、郷愁やらなにやらで言うのではなく、一回やってしまったら取り返しのつかない開発が、特に地方の都市を駄目にしてしまう、良かれと思ってやった開発でかえって裏目に出て寂れてしまう、というのは悲しいことだし、沢山事例のあることだ。高山がそうならない事を祈りたいものだ。
東京の首都高速の場合は、ああなってしまった状態がもはや風景の一部、と言う考え方もできるし、一時期、共産圏の人間にとってあれは「先進国のイメージ」そのものだったらしいし、今からあれを地下に埋めること自体、立派な箱物行政であることを考えなければいけないし(数千億円オーダーになるらしい)、あの比類ない風景を有効に活かしていく方法も考えるべきだろうし、あんまり軽々しいことはいえないけれども。
それから、バスは飛騨の里へ。ダム開発で沈んだ周辺集落から集められた民家の数々が移築してある施設。ある意味、ふるさとを失った家たちの怨念渦巻く場、と考えられないことも無いが、数十件の民家が立ち並ぶ様は圧巻だ

パンフレットを片手に、家々を丹念に巡る

日本家屋は本当に涼しい。高山の標高のせいもあるだろうが、外が日差しでうだるように暑くても、中に入った途端、冷房が入っているように涼しく、風が通り抜ける。そして、囲炉裏の煙で燻されて飴色になった壁や梁や天井の美しいこと。

合掌造りの2階。ここで蚕を育てる。

じっくり観察し、作られたありえない村、記憶の中の美しい村*1を堪能して、飛騨の里を後にした

*1:本来、私にとってはそれは記憶の中でもなんでもないものなのに。それでもやはり、どこかに思い入れがある。それは刷り込みなのか民族の記憶なのか