日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

松代大本営に行ってきた

長野のホテルで目覚めて、さてどこに行こうと考える。そして、前から行こうと思っていた松代の大本営に行くことにした。私は、巷間語られる戦時中の強制連行や強制労働についてはいろいろ疑義を持ってはいるが、松代の地下壕を作るために多くの朝鮮人が動員され、多くの被害者が出たことはさまざまな資料などから明らかなことと考えている。本土決戦に備えて作られた大本営予定地。そこに今日が行こうと思う。
長野駅前から松代行きのバスに乗る。電車もあるのだが、長野電鉄の支線なので本数が少なくてて到底使えない。バスは30分ほどで松代駅。そこから、旧海津城の城下町をぶらぶらと歩く。道も堀も綺麗に整備されていて、しかし広々としててなかなか気持ち良いところ。お屋敷や学校の跡地、神社仏閣が点在している。

歩いて20分ほどで地下壕の入り口へ。

それはそれはのどかな、とてもとてもそのようなものがあるとは思えないところ。小川を渡り、民家の脇を抜けると、入り口がぽっかりと口を開けていた。

入り口の脇には小屋があって、お年寄が一人で管理しているが、入場は無料。これから入ることを告げて、ヘルメットを被って中に入る。ヘルメットは物置に管理されていて、「ご自由にお取りください」状態である。

この地下壕は「松代大本営」の一つで、象山という山の下に、総延長6kmの地下壕が縦横に掘られている。本土決戦に備えて、大本営をこの地下壕に移し、ここから指揮を行なうことになっていた。工事は終戦のその日まで続けられた。現在、この地下壕のうち、全長500mが公開されている。

中に入る。ひんやりと冷たい空気、しかもどこか張り詰めた空気。入り口は天井が低いが、少し進むと碁盤目に綺麗に整備された洞窟になる。何かが動いた、と思ったら蝙蝠が奥に向って飛んでいった…。


立ち止まって写真を撮ると、物音一つしない。なにしろ開場時間の9時ちょっきりに来てしまったので、他に来ている人が一人もいない。灯りはきちんとついているので歩くのに困らない程度には明るいのだが、はっきり言って、怖い。ここで多くの人が働き、多くの人が死んでいるんである。
そして、なにしろ壕は碁盤目なので、歩ける道の所々にわき道への穴が開いていて、そこは金網でふさがれている。

中も灯りに照らされて、中の様子を見ることができるが、なにしろ遠くのほうは明かりの入らない部分が延々と続いていて、向こうにいったい何があるのだろうか。

歩いていける1番奥まで進んだが、それから先も、金網の向こうには壕が広がっていた。

とにかく、広くて深くて、しかしなにかこころに訴えるものがある地下壕。1度は行く価値のあるところだと思う。帰り道、「出口」の矢印がなにやら非常にリアルだった。バハラタ東の洞窟みたいなものなので、確実に迷うね、これは。

地下壕の入り口のところには、様々な説明の板と合わせて、朝鮮人の犠牲者の追悼碑があった。

それより前に行政が設置した看板には、明かにあとから書きなおされた部分が…。

ここに元は何が書いてあって、どういう経緯があって書きかえられたのか、は、なかなか興味深いところではある。
それから街をうろついてみて、海津城址を見物して

再び松代駅から長野行きのバスの人となった。長野駅で駅弁を買い、しなの鉄道で沿線の風景をのんびり楽しみながら軽井沢へ。車内で駅弁を食べようと思ったのだが、思いの他お客が多く、食べ損ねた。