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麻生太郎と手塚治虫と国民栄誉賞

麻生 (略)あの方が亡くなった時に国民栄誉賞を出そうっていう話したんです。
−− えっ、あの話、本当にあったんですか?
麻生 ええ、当時は、中曽根首相に、後藤田官房長官だったかな。「今日の日本のこれだけのロボット状況を生んだ最大に功労者は、手塚さんです」って、頑張ったんですが。『鉄腕アトム』こそ国民栄誉賞だと思ってたんだけど、「漫画家で勲章を取ったやつはいまだかつて一人もおらん」と。とりあえず、勲章の方をって話だったから、まあ、承知した経緯がありましたね。 (略)
http://www.chikuhou.or.jp/aso-taro/newspaper/030702-2.html
ビッグコミックオリジナル増刊(2003年7月02日増刊)― 麻生太郎 コミックを語る

手塚治虫国民栄誉賞を貰えなかったのは共産党シンパだったから、という俗説があって、その真偽はともかく、やはりマンガが一段低いものと見られていたから…などというのが世間一般的な捉え方ではないだろうか。
上記の内容が本当だとすると、麻生太郎国民栄誉賞を主張したけれども、当時の内閣が、いやそれは…と否定的だった、という話になるが…
手塚治虫の命日は1989年2月9日で、その時は竹下改造内閣官房長官小渕恵三*1。だから麻生さんの記憶違いなわけで、こうなってくると、「頑張った」ってのの真偽も今一、信用できない話になる。
ただし、当時の麻生太郎の役職は文部政務次官*2国民栄誉賞の管轄は当時の文部省だったわけで*3麻生太郎に決定権はないけれども、それなりの発言権はあったのだろうか。そうすると、多少は信憑性のある話のようでもあり…。真偽やいかに。