日毎に敵と懶惰に戦う

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横浜美術館『森村泰昌−美の教室、静聴せよ』

日曜日。起きたら4時、まだ暗い。しばらくぼんやりした後、もう一眠りして9時前に起きて朝飯。12時半頃に出掛ける。
みなとみらい駅で降りて、横浜美術館へ。久しぶりの晴れ間が、少しだけ、覗いている、そんな日。
http://www.yaf.or.jp/yma/exhibition/2007/special/02_morimura/index.html
今回の企画展は森村泰昌の展示で、『美の教室』と銘打たれている通り、森村泰昌先生の講義を生徒の立場で拝聴する、という構成になっている。まず音声ガイドを受け取る(今回の展示、全員に必ず音声ガイドを貸してくれる)。最初の教室「ホームルーム」で、DJブースのようなところで喋る森村先生の講義映像を、小学校の教室を模した場所で聞く。使い古した小学校の机と椅子、黒板様の壁に展示の解説文章、どこまでも教室の擬態。ここでは『芸術は自由に見ろって言うけれど、いきなり1時間なり自由にしなさいって言われても困惑しますよねえ』的な解説。今回の展示のなんたるかがまず開陳される。
次の部屋から…1時間目から6時間目、そして放課後へと、一つずつの展示室ごとにテーマが設定され、それぞれの部屋で、音声ガイドの解説を聞きながら、順番に見ていくことになる。音声ガイドはそれぞれの時間ごとに5分〜10分程度あるので、それなりに時間をかけて鑑賞していくことになる。企画者の意図・コントロールの強い、かなり独特の展示になっている。
1時間目は、フェルメールの作品を原寸空間で再現して、撮影した作品。2時間目は、ゴッホの自画像を模して撮影した作品など。3時間目は、レンブラントの様々な自画像を模した作品。4時間目は、モナリザを模した作品。そして、鑑賞者自らもモナリザを模す。一貫しているのは、模倣によって対象を研究し、より深く対象に迫り、対象を理解し、そしてそれをバックボーンに新たな想像性へと向かう、ということ。すべての芸術は模倣から始まるというけれど、それをかなり特殊な解釈で実践し続けているのが森村泰昌なわけであり。今回の、先生から講義を受ける生徒としての鑑賞という、かなり縛りを強くした展示方法も、そういう意図をより判りやすく汲んで欲しい、という意思の表れなのだと思う。
5時間目はフリーダ・カーロの模倣。6時間目は少し毛色が違って、ゴヤの版画『ロス・カプリチョス』を現代風にアレンジした作品。ゴヤの風刺と諧謔に溢れたこの版画は、以前、神奈川県立近代美術館の鎌倉別館で実物を見たことがある。ブリューゲルの『盲人の比喩』から着想を得た『お金に眼がくらんだ人』を含めて、良く仕上がっていて、とても面白い。
放課後、市ヶ谷の三島由紀夫に扮した森村泰昌が、延々と芸術を語る映像作品。暗い部屋の真ん中に、細江英公薔薇刑のような怪しい立体作品がおかれ、映像の中の森村が熱く叫ぶ。これは相当マジ。さて、この熱狂を、ここまでの講義でやさしく語りかけた森村泰昌と、どのように繋げて理解すればいいのか?作品の中の森村泰昌と、解説する森村泰昌は分離しているのだろうか?
なお、今回の題名のうち『静聴せよ』は、三島由紀夫が演説の中で、ザワザワとする自衛隊員を前にして繰り返した言葉。森村泰昌の演説の内容も、三島由紀夫のそれをもじったものになっている。三島由紀夫を演説については、こちらが詳しかった(演説の全文もあった)
http://www.geocities.jp/kyoketu/6105.html
最後に簡単な試験を受けると、終了証代わりのバッチをくれる。かなり不思議な毛色の企画展だけれど、よく企画されていて、一見の価値はあると思った。常設展では、森村泰昌の作品があったり、やはり模倣というテーマで、長谷川潔の作品が並べられていたりした。昨日見た奥山民枝の作品も見られて良かったです。下の写真は美術館の入り口すぐに設置されたセミナースペース?か何かなので、企画展の一部ではありません。