日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

そして長岡の花火

まつだいを出たのが15時前。十日町飯山線に乗り換えて越後川口。2004年の中越地震の被害が一番大きかったあたり。30分の乗り換え時間、平野に近づくとまつだいよりもだいぶん暑く、冷房の効いた待合室で一休み。まつだいから我々と同じ乗り換えで長岡に向かっている西洋人一人旅が居て、なかなかマニアックな旅をしてますな。長岡の花火とか、何で知るのだろう。
中越沖地震の影響で徐行運転する電車、花火見物に向かう人で混雑する上越線で長岡へ。4時半ごろ、駅前はかなりの混雑で、弁当とおつまみ、ビールを駅の中のショッピングセンターで調達、大手大橋の袂へむかう臨時バスに乗り込む。バスを降りたのが17時20分頃。
さて、今回、確保した席(と言っても、座席が用意されているわけではないのだけれど…)は左岸。長岡駅から向かうと、信濃川を渡った対岸にあたる。対岸といっても、なにしろ日本一の信濃川の対岸であるので、川幅が広いこと広いこと。その広い川にかかる大手大橋を渡っていくと、右岸の無料観覧席に見えるのは、2時の開放から場所取りしている人たち。

川の対岸、すぐ川岸にある打ち上げ場所。

むこうに見える橋は、大手大橋の上流にある長生橋。ようやく左岸まで渡りきっても、左岸有料自由席まではまだまだ遠い。えらい距離を歩いて、たどり着いた有料自由席は、川原の平坦地は柵で区切ってあり、この中が有料です、というだけの場所だった。それでも、さすがに有料なぶんだけあって、すでに敷物を敷く余地の無い無料観覧席と違い、スペースに余裕があって、どこに場所をとればいいのか迷うほど。適当な場所に敷物を敷いて落ち着きます。まんず、有料席を確保しておいてよかった。

座った時点では、もしかしたら目の前の幕が邪魔になるかしらん?と思ったのだけれど。それは後ほど。ふふふ。暑いながらも夕方、風も吹き出してそれなりに過ごしやすくなった時間帯、さっそく買ってきたビールをあけ、枝豆を食べ、弁当を使っていれば、人も段々ふえてきて。

日も暮れてまいります。

と、このころ。なかむらさんからメールがあり、長岡に来る途中ですとのことだったのだけれど、携帯のメール、それを着信したきり、発信も着信もできなくなり。パソコンを開いてなんとかメールを送ったのだけれど、それもバッテリーが持たず…。連絡手段がまったくなくなってしまう…。ううむ。で、いよいよ打ち上げ時間。自分達の前に席取りした人たちは、自主的に横断幕を取り外してくれた。GJであります!
最初はメッセージ花火とかなんとかで、妻へ送る…。とか、そんな花火がゆるゆると。その後、長岡市長のご挨拶のアナウンスがあり、いよいよ本格的にはじまります。打ち上げ前には、いちいち、スポンサーのご紹介があるんですね。ほいで、特に大きな花火の前にはファンファーレがつくのがわかりやすい。



スポンサーには創価学会もあって、ま、当然、例の三色の花火が順繰りに上がるわけですが、一発失敗していました…。後にも先にも失敗らしい失敗は一発だけ。うーむ。クラブツーリズム提供の花火もあった。クラブツーリズムでは、5000人も見に来ているらしい。そして、この花火、見物客が一日に40万人もいるらしい。凄いですね。後半に向かって花火の規模と迫力はどんどん増して行き、本当にもう、やけっぱちで上げているんじゃないかしらん?というような派手なものも。川岸が広いので、尺玉を惜しげなく使うスターマイン、迫力があります。
8時30分に一発目の三尺玉。勿論、大きいのだけれど、音の迫力は段違いなのだけれど、打ち上げ場所はちょっと遠い。2発目の三尺玉が9時ごろにあがり、これ以上見てると駅にたどり着けなくなるので、このあたりで席を立つ。荷物をまとめて長生橋に向かい、そして長生橋にたどり着く手前で、2005年の震災復興からはじまった『フェニックス』の打ち上げ。一番迫力があった。やっぱり、いいですね、長岡の花火。

花火師のデザイン花火を見ながら長生橋を渡り(なかなか渡り終えない…)、混雑する中を駅に向かう。途中でなかむらさんからのメールを再び受け取るのだけれど、その後、再び、メールの送受信は不可能に。ううう。駅に辿りついたのは10時前。入場制限する駅に潜り込んでホームにたどり着き、22時09分の越後湯沢行き、大混雑の臨時普通列車に乗り込んだ頃には、ぐったりと疲れきっていた。
五日町の駅に15分近く遅れて到着し、駅前の『いろは亭』という宿屋へ。番頭さん、『お風呂まだ入れますので、なんでしたらご一緒にどうぞ…』って、わたしら親子です!わたしゃ若いツバメではございません。ひとっぷろ浴びて、長い一日は終わったのでありました。