風呂にも入らずに眠り、起きて7時。良く寝た。朝飯は宿で食べたが、ご飯も美味しいし、おかずのみりん干し、そしてなにより、固い豆腐が美味い。『街道をゆく』のなかにも壱岐のよろず屋で売っている豆腐の話が出てくるのだけれど、なるほど、固くて味があって美味しい豆腐だった。
(続き)
(以下、3年後に書いた日記なので詳細はご容赦)
レンタカーを借りて壱岐を一周。住吉神社は道の脇にあるが趣があり、道路から階段を下った先にある
そして、雪連宅満の墓も尋ねる
それから、壱岐一ノ宮を探して車を走らせたのだが、どうやっても見つからない。あるという周辺をぐるぐる廻ったが、結局、時間も無いのであきらめてしまった。電力の鬼、松永安佐衛門翁の史料館を見物
ここが実に充実した資料で面白く、資料館の人にいろいろ聞いていたら、なんのご研究ですか、と訝しがられる。風体の怪しい4人連れ、無理も無いことです。ちなみにこれを書いているのは2011年4月14日。フロンティア精神にあふれた電力事業は、なぜこのようになってしまったのか。
車を返し、対馬に向かうフェリーに乗る
しばらくの航海、やがて見えてきた対馬はそれはそれは大きく、元寇の一行もこの島を見て喜んだのだろうなあ…。さて、対馬に到着。また車を借りて、港の近くのショッピングセンターにある店でうどんを昼飯に。対馬名物だという『ろくべえ』というのもいただいた。そして、厳原の街にある宗氏の菩提寺を参る。
実に趣のあるよい寺なのだが、のべつまくなしに流れる案内テープに一堂渋い顔。情緒が無い。その後、首塚を見て
小茂田浜の神社などを巡って
どこもここも国境を意識せざるを得ない、そして何事か怨念の集積のようなものを感じさせる島の南半分・西側のほうに廻りこめば、日暮れは迫る。安徳天皇の墓を目指す。道は難渋を極め、車中のテンションはいよいよ怪しく昂揚し、とうの目的地に辿りつくころには、パライソさ行くだ!という雰囲気が4人を包んでいたのだった
安徳天皇、瀬戸内海の藻屑となったのではなかったか。なんでこんなところに。この『参考地』、宮内庁管理だからまるきりでたらめでも無いのか、諸事情あって管理せざるを得ないのか。夕暮れの中に沈み込むこの地はなにかの境界のようでもあった
山道を越えて、いやそれにしても対馬は広いね…街に戻るころには、峠から見下ろす海には漁火がチラチラと漂っていた。厳原へ。韓国からのお客さんも多いらしい宿に入り、夜の町へ繰り出す。
やはり、地の酒は飲まなければならない。そして魚
〆に食べたちゃんぽんが、これまた絶品でありました。
すっかり満腹になって宿に帰れば
正体も無くでばったりと倒れこんだものの、また起き上がって宴会が…