日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

修善寺、そして式内社を巡って西へ

6時に目が覚めて、温泉ですからね、宿の風呂に入りに行く。風呂上りにぼんやりと川を眺めていると、ああ、今日もいい天気で、のんびりした一日が始まる。この宿、素泊まりだと6450円、朝食をつけると7500円なのだけれど、朝食をつけてよかった。おかず沢山の朝食は、最初にしじみ出汁の揚げ蕎麦、そして黒米入りの雑炊が出てくるのだけれど、この揚げ蕎麦のしじみ出汁が目の覚める美味さで、誠に鄙には稀だ。というか、昨日の晩飯にしろ、宿にしろ、このすばらしい朝食にしろ(味付けがすべてに渡って上品で、よく出汁がとられていた。)、奥座敷の名に恥じない品のよさが全体にわたってあるのだった、よきかな、修善寺
朝飯後にもまたまた風呂に入り、10時過ぎに宿を出て、宿に荷物を預けて周辺を散策。源範義が自害したと伝えられる日枝神社

そして修禅寺

さらには源頼家の墓などをめぐったけれど、特に修禅寺は全体のしつらえが大変良く、門前に腰掛けてしばらくのんびり。修善寺の町は、つい近年の台風だか豪雨だかの影響で、大規模修繕が行われていた

さて修善寺を後にしましょう。バスで修善寺駅まで出て、ここでレンタカーを拝借。ここから天城峠まで下って河津…などとも思ったけれど、慌しい旅でもなしと、とにかく西へ、まず土肥の町に入ってしまった。海水浴シーズンにはさぞ混雑するだろう町も、紀元節のこの日ながら閑散として、まずは昼飯。やまほどの刺身が大変にんまい

お茶はあまり美味くない。修善寺や三島はどこも茶が美味かったのだけれど、水の違いだろうかな。さて松崎まで風光明媚な西海岸を南下しつつ、折々神社に詣でようと車をすすめること暫し、目に留まった神社に参詣してみると

安良里の集落にある『多爾夜神社』は、いかにも万葉なる名前からも想像のつくとおり、やっぱり式内社であったのだけれども
多爾夜神社 多尓夜神社 (西伊豆町)
なんだか様子が変です。鳥居の傍らに『忘れじの塔』なる、予科練の英霊を祀る記念碑があり、社殿はコンクリート。この漁港で予科練の皆さんが合宿したことがあるそうで、それにちなんでここに記念碑があるようなのだけれど、まるで予科練を祀る神社のようになってしまっている。
なんだかねえ、などと言い合いながら、まあ予科練という話題が振られれば、当然、若鷲の歌の大合唱と相成るわ、車に戻った我々でありまして。話題が『日本のいちばん長い日』から『明治天皇と日露大戦争』へと進み、歴代天皇を演じた役者の話などでさんざ盛り上がるうちに、ああもう松崎の街だ。
街に入ってしばらく走ってあるのが『伊那上神社』

なのだけれど、これも式内社ではあるのだが、まるで道教のお堂のような風情で、あまり式内社の風格が無い。式内社の風格というのはまあ壮麗であるとか華美であるとかを言うのではなく、その歴史なりを反映した、中心ほど偏在していると言えばよいのだろうか、定型にはまりきらない矜持風情風格があるものだが、どうも伊豆の式内社はあまりそれを感じない。やはり火事で焼けては再建、ということが多いのだろうかなあ。
ちょっと進むと今度は『伊那下神社』


ここも式内社で、そしてそれなりに観光客が出入りしているような神社なのだけれど、入ってあんぐり。いたるところに木彫りの置物だの、相田みつをもどきの標語だのが点在しており、非常に残念なことになっている。神主さんのセンスなのかもしれないけれど、氏子さんにおかれては大変お気の毒なことであると思った。なんでこんなんしちゃうんだろうね。そのままにしておけばいいのに。
さらに少し山のほうに入って、重要文化財になっている『岩科学校』を見物

建物は大変すばらしい。中の展示資料は、まあ、地方の資料館のお約束で。外の茶店で甘酒を所望して、どうも、残念なことになっている式内社が多いのは何故でしょうね、などと談義して、さてそろそろ本日宿泊地、土肥に戻りましょうと、車を北に向ける。