日毎に敵と懶惰に戦う

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神奈川県立近代美術館 鎌倉 内藤礼『すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している』

鎌倉の県立近代美術館で開催されいてる、内藤礼の展覧会を見てきた

自分は内藤礼については、それほど良い鑑賞者と言えるわけでもない。はじめからそれほど良い印象を持っていたわけではない。
オノ・ヨーコが両の手のひらを打って、いま鳴ったのはどっち?などとジョン・レノンを騙したという逸話…いや、そんな逸話はあるのかどうかもよくわからないけれども、そうやって東洋の神秘で西洋人を煙に巻く、良い意味でフランスの文化ハッタリ的立ち位置の人なのかしらん、と思っていたのだ。いたのだ。
去年の東京都現代美術館でのパラレル・ワールド展、あるいは去年の横浜トリエンナーレなどで、作品をじっくり鑑賞する機会はあったのだけれど。やはり、強く内藤礼という人を印象付けたのは、直島の家プロジェクトだろう。今年のゴールデン・ウィークに直島を訪れて、作品と静かに向かい合う機会があったのだけれど、そこで胸打たれるものがあったのだ。
直島 家プロジェクト - 日毎に敵と懶惰に戦う
だから、今年の発電所美術館での展覧会は行き逃してしまったけれども、鎌倉でやるとなれば、これは見逃すわけにはいかない。だから、行ってきた。
内藤 礼 すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している:神奈川県立近代美術館<鎌倉館>
最初の展示室。最初の…というか、離れの棟が耐震の問題で閉鎖されている今、屋内でまともな広さのとれるスペースは、この第1展示室しかない。その展示室を、これほど大胆にすべて一つの展示に使い切ってしまうとは、仰天してしまった。最初、入った時は、内藤礼の作品は大抵そうでしょう、え?なにこれ?なんでこんなに何にもないの?という印象なのだ。それが、暗い空間に、儚く置かれたひとつひとつのものたちを眺めているうちに、それぞれが意味を持ち、ゆらりゆらりと揺れ動き、いろいろな角度から見ることによって、見えないものまで見えてくる。
本当なら、この展示室全体、一度にひとりずつしか入れたくなかったのではないか。直島の作品のように。もちろん、この空間でそういうことが出来るわけもないのだけれど…。展示ケースの中に作品は展示されているのだけれど、その展示ケースのうち二個所には、鑑賞者が立ち入ることができる。作品の中に入り込む。ただ、近寄るとよく見えてこないもののほうが多い。ああ、どうなのだろう、作品の中にいる私も作品なのだろうか。
展示ケースのガラスは、直立しておらず、斜めにたちあがっている。光の反射の関係で、直立するよりも、斜めのほうが鑑賞しやすいように作られているのだろう。その斜めのガラスと、反対側の直立するガラスが向かい合うことで、光が合わせ鏡のように奥行きを持って写し、写され、彼方のほうに儚い明るさが消えてゆく。近づきすぎず、視線を彷徨わせると、遠くのあかり、近くのあかり、そしてやわやわと揺れる風船、おお、私は、鎌倉でこんなワンダートリップができるとは思わなかった!内藤礼すごい!
次の展示室は、小さな部屋に、うん、布が敷かれただけなんだ。その部屋にあるもう一つの作品は、薄紙をお持ち帰りするだけなんだ、でもなんだろう、最初の作品でガツンとやられてしまって、何もかも意味があるかのように見えてくる。騙されているんでしょうか、私は。
あとの作品は、すべて屋外に。中庭に垂れ下がる薄布、ゆらゆらと揺れるリボンが、白い空に、あるいは青い空に消えてゆく。ビーズ、糸、コップの水。内藤礼の作品ですと言われなければゴミが捨ててあるだけのような作品たちが中庭に点在している。鶴岡八幡宮の境内の一角、静かな環境で内藤礼の作品とじっくり向かい合う…
というわけにも、いかんのですよ。庭先の池に浮かぶ島におっさん達が群れ集って、まさに高歌放吟とはこのことです!というお手本のような宴会をしていて、みんなで会津磐梯山を唸ってゲハゲハゲハと大声で笑って…うるさいよ!(笑)ふんとにもー(笑)。中庭にいる監視員がかなり気にしてましたです
いやま、とにかく、その煩いおっさんしばらくしたら静かになって、中にはでゆらゆらゆらめくものたちと、静かに時を過ごすのです。作品の写真は撮ってはいけないけれど、作品が映らなければ中庭の撮影は問題ありません、ってことだったので、写真を…



作品、映らないように頑張りました…。寒い中庭で、しばらく、ゆらゆらゆらめくリボンや水面を眺めて、もう一度、暗い展示室に戻って、美術館をあとにした。鎌倉で、直島に行ったような心の翼を得ることが出来るとは思わなかった。万人にはお勧めできるものはないけれど…でも、やっぱりお勧めです。