日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

記憶の曖昧さを確認しつつ、初めての北海道行きの旅を思い出す

自分の記憶がどれくらい曖昧か確認するために、はじめての親以外との旅行について思い出しながら書いてみます。何を書くかによって、自分が何に注目していたかも浮かび上がるでしょう。
時期と行き先ははっきりしています。1991年の3月。これは日付を明確に覚えている、わけではなく、小学校を卒業してから中学に入学するまでの春休みだったと記憶しているわけです。小学校で仲が良かったK君の親戚が、北海道の陸別で農業だか牧場だか(すでに曖昧だ)をやっており、そこに遊びに行こう、ということになりました。何故一緒に遊びに行こうとしたのか、その経緯までは不明です。進学する先の中学校は別々でした。
旅行に出る前に、詳細な旅のしおりを作成したことを覚えています。表紙にカラーマーカーで牛とサイロと北海道の地図が書かれていました。北海道のイメージの全てだったのでしょうか。旅のしおりと言っても書いてあることは、ほぼ乗る列車の時刻ばかりで、新幹線と在来線と私鉄と第3セクターと地下鉄で線の形状を書き分けたりすることに執着していた記憶があります。時刻表とかなりにらめっこしました。
切符は北海道ワイド周遊券を購入した記憶がありますが、この時点で有効期間が20日間か、すでに14日間に短縮されていたかは明確ではありません。それ以前に、本当に北海道ワイド周遊券を購入したのか。大学の入学初年に1人で北海道旅行した際に購入した切符が北海道ワイド周遊券だったので、記憶を混同している可能性があります。
最初に乗ったのは東北新幹線の盛岡行きです。親が上野駅まで見送りに来たかは記憶が曖昧です。そもそも、この新幹線の乗車の記憶があまりない。新潟方面に行くために、上越新幹線によく乗っていたから、印象が薄いのかもしれません。時刻表を調べて旅のしおりを作った時点で東北新幹線を選択していたし、その後の乗り継ぎから想定するに新幹線に乗ったとしか考えられない、という傍証によって支えられる記憶です。
この旅立ちの時点で、どのような荷物を持っていたのか、どのようなかばんを持っていたのか、そのあたりもまったく記憶にありません。
盛岡から青森まではどうしたのか?おそらく特急はつかりに乗ったはずですが、これは傍証含めて、普通列車の可能性もあり、明確でない。だんだん暗くなったか、盛岡から暗かったのか、とにかく夜だった記憶だけがあります。青森からは急行はまなすの乗ったのだけは明確です。車中の記憶はありませんが、朝の札幌駅に到着し、電車に乗ってK君の札幌の親戚だか友人だかの家に行きました。琴似だったか、発寒だったか、そんな記憶があります。知らない人の家に上がらせてもらい、朝ごはんをご馳走になったような記憶があります。
この後の記憶が曖昧ですが、とにかく、札幌には長居せずに(大通り公園を歩いたような気もするけれど、あれは帰りに寄ったのかもしれないし…)特急で池田まで行き、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線に乗ったのは明確です。車内でトランプか何かした記憶があります。陸別の駅からは、K君の親戚の人に、車で家まで送ってもらったのでしょう。さばさばした感じの気の良いおばさんだった記憶があります。その人の家は住宅街の中にあり、玄関が防寒のために二重だった以外は、ごく普通の家だった、と言う記憶しかありません。
その後の記憶は順序時系列が曖昧になりますが、断片的に覚えています。
苗植えか…何かの手伝いで、近所の農家に行きました。親戚の人の畑ではなく、近所の畑を、近所中総出で手伝っていました。トラクターに乗ったり、いろいろ運んだりしましたねえ。1万円だか5千円だか、随分くれるのだな、と思ったから、おそらく1万円貰ったんではないでしょうか。
1日、車で網走に連れて行ってもらいました。網走監獄に行った以外はあまり記憶に無く。サイフを持ち忘れて、果たして借りたものか、おごってもらっても良いのか、非常に苦慮した記憶があります。確か、帰りに阿寒湖にも寄りましたね。この網走行き、確か列車で行く予定にしておいたのを、車で連れて行ってくれることになって、ご親切ながら列車に乗りたかったのに…みたいに思ったような。失礼ですね!
ある夜はスキーに行きました。シーズンも終わりごろだったので、リフト代やレンタル料が無料だったように記憶しています。いや、リフト代は確かに無料でしたが、レンタル料はどうだったかな。随分転んだように思います。
北見まで、夜、車で、ボーリングをしにいったことがあって、ボーリングをするためにどんだけ遠くに行くんだよ!と思った記憶があります。
それ以外の記憶といえば、どこかの仕出で出た鶏肉の塊を昼飯に食べて、もう食えないな、食べかけで残すのは行儀が悪いな…と思ったことや、1日中ゴロゴロしていて、家にあった美味しんぼを片っ端から読んだこと…ぐらいでしょうか。先方の人とと交わした会話とか、心温まる交流とか、そういう記憶がまったく無い。凄い。
3日〜1週間くらい(期間が曖昧です…)滞在し、お別れして陸別、池田と乗り継いで、札幌に向かったのでしょうか。はっきり記憶にありませんが、覚えておくべきことはどの列車にどの時間に乗ったかじゃないだろう、みたいな突っ込みを自分で自分に入れている状態です。いま。
札幌でどのように過ごしたか。その後、札幌には4回か5回行っているので、記憶がごっちゃになっていてよくわからない。とにかく、札幌から函館行きの快速ミッドナイトに乗ったので、どのように過ごしたか、という程の時間は無かったのかも。
函館では、朝市に行っていかソーメンを食べて、噛み切れないいかソーメンに苦慮した記憶があります。おみやげをイロイロ購入したような記憶も。その後どうしたのかあまり記憶にありませんが、もう少し長居するつもりが、疲れてしまってさっさと青森に快速海峡で向かいました。
青森からは急行津軽に乗っています。ホームに林檎売りのおじさんがいて、買うか買わないか、散々逡巡して林檎を買った記憶がありますが、3月ごろでそんなに林檎なんて売っているもんなんでしょうか。いやでも、これは緑色のカゴに5つだか8つだか、それぐらい入った林檎を、確かに買ったのだな、私は。そして急行津軽は、なんだかとにかく、時間が掛かったな、と言う記憶があり、いつのまにか上野駅に到着していたようです。
とにかくがんばって思い出して感じますのは、思い出すことは乗った列車や断片的な事象ばかりで、見事なまでに出会った人の記憶が無いことであり。よほど他人に感心の無い人間なのかな、ということを、改めて感じた次第です。