日毎に敵と懶惰に戦う

はてなダイアリーから引っ越しました。酒と食い物と美術と旅と横浜と建築と演芸と…

なんというべきものかわからないけれど

認知の歪みという類のものなのか、あるいは特定の病気に典型的な症状なのか、人間誰しもそんなものですよという話なのかわからない。とにかく、先にバイアスが掛ってしまうと不正確になるので何も調べずに書くのだけれど。
それが年がら年中というわけでもない、ごくたまに、という話であり、しかしそれはそうなるのがごくたまに、というわけではなく、生活習慣上、ごくたまにしか発生していないというだけで、危険性というかS/N比的には非常に危険度が高いのではないかとも思うわけで、まわりくどい、とにかく。
つまり、現状がどうであるか、よりも、どう変化されたか、により注目しがちで、その結果危険が訪れることが日常生活でも有り勝ちであるということ。
たとえばそれは、自転車で走りだそうとして、その場合、自転車を止めてあるということは鍵を掛けているはずであり、当然、鍵を外す動作をしなければいけない。だから走りだそうとして鍵を操作するのだが、操作後に走りだそうとすると鍵が掛っている。だから走りだす前から鍵はかかっていなかったのだけれども、走りだす時に鍵を操作するという習慣と言うか、動作に注目してしまっているので、現状として鍵が掛っているかどうか確認するよりも、鍵を操作する動作が優先されている。その結果、すでに外れている鍵を掛けて走りだそうとする。
わかりやすい話をすれば電気のスイッチであり、出掛ける時に電源を切る、という動作が優先されているために、現状点灯しているか消灯しているかよりも、スイッチを操作する動作が優先される。だから、出掛ける前にスイッチを操作して、結果、電気を点けっ放しで出掛けて、帰って来てから気がつくことが何度かあった。もっともこれは、帰宅してから初めて気がつくので、もしかしたら単純に消し忘れただけかもしれない。実際問題、このような認知の歪みが原因の事象は数回あったとは思われるのだけれど、夜帰ってきて電気が点いている事象のすべてがそれにあたるかと言われれば、それは違う、という話になる。
さらに危険な例が信号であり、なんというのだろう、これは説明が難しいのだけれど。つまり、信号が目の前で変わったという事象に注目してしまうので、赤くなったにも関わらず走りだそうとして、ハッと危ないことに気がついたことが、少なくとも3回はある。これはちょっと難しい事象で、つまり信号が赤=止まっている、あるいは信号が青=走りだす、という関係はかなり強固なもののはずなので、止まった状態で信号が赤に変わると認識する、という場面がどういう場面なのか、あらためて考えるとよくわからない。
もしかすると、赤信号で止まった後、交差する道路側の信号を見て青に変わったから走りだして良いと思ったかもしれず、そうすると話が厄介になってくる。つまり、自転車の鍵をかける/かけない、電気のスイッチのON/OFFならは1bitな事象になるわけだけれど、信号の場合そうではない。赤青黄色、交差する道路の信号、要素が多いので1bitで処理が出来ない。いや、目の前の、自分が見るべき信号の状態として、直進しても良い/悪いという1bitな分解はできることはできる。出来るけれども、正直なところ、常に1bitな事象として処理しきれる自信が無い。
話が深刻になってきた。俺こんなに深刻だと思ってなかったし、なんか話がずれてきた気はしている。しているがつまり、頻度としてはそれほど高くないにもかかわらず、つまりそれは一定の生活リズムなりを保っているから結果として頻度が低く抑え込まれているだけで、危険性が恒に潜んでいるように思うからこう書いているわけで、深刻ではないが深刻だと言うか、深く思い悩んだり大丈夫かと心配するということは、将来の性格から言ってもないんだけれども、どこか諦観というのか、それで赤信号に突っ込んで死んじゃったら仕方が無いですね、という、よくわからないあきらめのようなものにぼんやりと支配されている感はあり、そのへんの、もやもやとした未来が無い感じに、いや、おい、そんな酷い話なのかこれ。
もっと具体的にどうすれば良いのか書きたかったはずなんだけどな。だから、そうならないような対処を。つまり、いっそ習慣化の無意識が引き起こしている事例なのであれば、もっと無意識化を推し進める、つまり自転車を止めたら必ず鍵をかける、部屋に入ったら必ず電気をつける、信号が赤なら必ず止まる、前に信号しか見ない、これそのまま徹底していくとまるでなんかの病気のようだ、ああそうか、こういうのは病気の結果としての症状ではなく、自分の病気を自覚して、それでもなんとか生活をやりくりするために編み出した生活防衛策なのかもしれない。そうか、そうかもしれない。
またたとえば、自転車の鍵をかける/かけない、とか、電気のスイッチをON/OFFというのが、数字にマイナスを掛けるがごとく、似たような操作でA→B、B→Aのどちらも出来るという構造自体に問題があるのかもしれず、それによってどちらからどちらへ、と意識せずにとりあえず変化させてしまう無意識を誘発しているのであれば、A→B、B→Aをまったく違う操作で行うようにすればいいのかもしれない。これはつまり技術的な解法であり、なんだか人間として負けたような気がするけれども一つの解決策ではあり、しかし赤信号に進入してしまう事案をどうやって解きほぐせば、この解決策で回避できるのか。よくわからない。
つまり、非常に簡単な話で、現状がどうなっているのかまずよく観察しましょうというだけの話であるのだけれど、そして多くの場合、ほとんどの場合、それは出来ている。出来ないようなことはまったくないのだけれども、自分としてはどうも、その自信を完全には持てないので、なんだか、こういう話になってしまうのです。
もちろん、現状として、日常生活に支障を及ぼすようなことはほぼ無いし、『おっちょこちょいだなあ』で済む程度の話であり、戯れにちょっと考察してみたらどんどん怖い考えになってしまった、という程度の話なんだけれども、ちょっと漠然とした不安を覚えたことをここに記録していきたく思い、書いた次第