日毎に敵と懶惰に戦う

はてなダイアリーから引っ越しました。酒と食い物と美術と旅と横浜と建築と演芸と…

筑豊と北九州を歩く

日曜日。明日は朝イチで北九州の仕事が入っており、当日移動では間に合いそうにない。いやあ、困ったなあ、とニコニコ笑いながら、日曜日の朝の便で移動するのでありますよ、スターフライヤー北九州空港へ。それでも遠慮気味に9時20分の便で。機内で流しているぜんまいざむらい秘密結社鷹の爪になっていたのが残念でしたが、『雲のうえ』の最新号はしっかりいただきました

北九州市のPR誌、『雲のうえ』はまったく持って素晴らしい雑誌で、以前にそのことについては書きました
北九州市情報誌『雲のうえ』が本当に素晴らしい - 日毎に敵と懶惰に戦う
関連してこちらもお読みいただくと幸い
『野武士のグルメ』、そして今宵も酒場で - 日毎に敵と懶惰に戦う
当日の朝まで、さてどこに行こう?とあれこれ考えていたのだけれど、折角だから他の機会には行かなそうな北九州起点の場所…ということで、小雨模様の空港からバスで朽網へ。行橋行きの普通列車に乗り

平成筑豊鉄道田川線に乗る。昔は国鉄田川線ですね

駅名にネーミングライツがふんだんに使われた商売熱心な鉄路の、車内広告で存在を知り、1日乗車券を1000円で買ってみたけれどずいぶんでっかいな!沿線の観光ガイドにもなっています

ワンマンの列車で駅に停車した際に私が買ったら、我も我もと次々に観光客が購入していた。この列車、行き違いで駅に停車すると乗客がしばらく列車を待たせてトイレに行ったり、運転手はホームでタバコを吸っていたり、なかなかに緩い感じでいいですなあ

というわけで、田川伊田駅に到着。田川は筑豊三市のひとつ、かつては炭鉱で栄えた町。かつては、なのでありまして。で、まあ、まずは昼ごはん。最近、B級グルメで有名になっているらしい、田川のホルモンを食べに行く。朝日家という店でホルモン定食にロース追加、ボリュームたっぷりで、大変美味しゅうございました

さて、田川は炭鉱の街。駅の裏側に、かつては三井田川鉱業所が広大に拡がっており、その遺産が残っているのであります。筑豊全体は炭鉱で栄えた街なんだけれど、炭鉱の遺産って存外残っていないのよね。ここは貴重な存在



それぞれ、明治41年に完成した高さ45mの煙突と、明治42年に完成した高さ31mの竪坑櫓。田川は『炭坑節』の発祥の地となった土地で、この煙突がまさに“あんまり煙突が高いのでさぞやお月さん煙たかろう”の煙突なわけですね。それだけ、ランドマークだったのでしょう。そして遠くをみやれば、“ひとやまふたやまみやま越え”の香春岳も見えるのであります

1つはすっかり削られてしまい、かわり…というわけではないけれど、手前に見える黒々とした山は、炭鉱から掘り出された屑を積み上げてできたボタ山ボタ山も崩されたものが多く、残っているのは貴重であるとか。そしてここに、田川市石炭・歴史博物館があります

田川市石炭・歴史博物館
中はジオラマがあったり

資料も大変に充実している資料館でありまして




このへんは写真撮影禁止だったけれど、かつて炭鉱の街がにぎわった頃の映画館の様子の資料、そこを訪れた吉永小百合の写真(ほんとにきれい…)もあったりして、大変よろしいところでありました。そして田川が今、大プッシュしているのが、ユネスコの記憶遺産にも指定された山本作兵衛の炭鉱記録画
山本作兵衛 炭坑記録画・記録文書 ユネスコ「世界記憶遺産」登録
原画を多く所蔵するこの博物館では特別展が行われており、おみやげにも山本作兵衛を活用したものがあったりしたのでした。この作品をはじめて見たのは目黒区美術館の展覧会でありまして、あれはよい展覧会だったな
炭鉱展、neoneo展、土木展 - 日毎に敵と懶惰に戦う
で、ね。炭鉱と言えば労働争議の歴史も避けて通れないはずなんだけれど、博物館の中に展示がない。はてな、と思いつつ。敷地内に産業ふれあい館という、炭鉱住宅様のぼんやり別組織ぽい建物があって

ここにも資料室があり、ここにどーん、と赤旗

そしてこれ以外にも労働争議に関する資料が満載なのでありました。なんか微妙な関係ですな…。炭鉱の中だけで通用した通過、炭札の実物もあったりね
山本作兵衛氏 炭坑記録画・記録文書 ユネスコ「世界記憶遺産」登録:山本作兵衛氏と炭坑記録画
こんなものも

そして、本館のほうではさっぱり触れられていなかった、中国人や朝鮮人の労働者についても、この史料室では触れられていたのでした

丘に登ると、韓国人徴用犠牲者慰霊碑もあるのです(なぜ朝鮮人ではなく韓国人なのかと言えば、民団と関係者が建てたからでしょうね)

大変充実した資料館を堪能して、少し汽車まで時間があるので喫茶店でも入ろうかと商店街をぶらぶら

うーん、日曜だからにしても、これは寂しい…

素敵な食堂はあったけれど

入っても店の人が出てくる気配がなかったので、駅前に戻り、お客のいる喫茶店に入る。
中にいた50手前のボンクラな感じの男性。バツイチ子持ちの女性と三ヶ月の付き合い…付き合いと思っているのは男性だけで、単に友達かもしれないが…で、昨日、ホテルに連れて行こうとして拒否された話をしており。それに、喫茶店の女店主と70過ぎの男性客が駄目出しをしている。男が勝手な妄想と想像を垂れ流しており、ああそりゃダメだわ…感が満載になっていて。この妄想と想像が、中2男子の“僕の想像する○○”を何十年もかけて拗らせてしまったような女性観で、どうにもこうにも。しかし、男はつらいよで、寅次郎が寅やの面々にひたすら妄想を語る場面のような語り口の面白さはある。性急すぎるよ、もう少し時間をとりなさい、と言いながら、迂遠にそりゃ明らかに脈無しだわ、と伝えようとする2人の優しさはまったく届いていなかったのだった。
コーヒーを無言で飲んで街をあとにして、また平成筑豊鉄道に乗って直方へ。さっきの田川線もそうだけれど、列車に乗ってくる小中学生男子が、全員ヤンキーである。筑豊
筑豊 - アンサイクロペディア
直方駅から商店街を歩く。こちらも立派なアーケードで、田川に比べれば賑やか…か…

遠賀川で歴史に思いを馳せて

さらに北上は、筑豊電鉄で。小さなかわいい電車、市電みたいなものですな

黒崎までのんびり走り、大きなターミナル駅からJRに乗り換えて折尾へ。で、ね。黒崎から折尾経由で若松に行くつもりだったんだけれど、えらいちっちゃな駅を折尾って言われて、聞き間違えたかなと降り損ねたら、やっぱり折尾駅だったらしい。筑豊本線の短略線の飛び地みたいな折尾駅があるのですね…。東水巻まで行って折り返し、今度は大きいほうの折尾駅に着いたけど、1番線てどこにあるの…状態。レンガがなんとも立派な駅舎

のりかえたキハ47には冷房がガンガンきいており、しばらく走ると若松駅に到着。ここも終着駅なのですね


終着駅は始発駅…って、それは宮脇俊三か。かつては大層賑わった駅なのでしょう。歴史的な建物も沢山あったり。若戸大橋と、古河鉱業若松ビル

こりゃまた立派な建物

若松から、北九州市営の渡し船で対岸の戸畑へ



戸畑で、『雲のうえ』16号、ラーメン特集に載っていた、ラーメン寛太郎のゴボウ天チャンポン。これは大当り。戸畑特有の細めの蒸し麺を使ったチャンポンが美味いし、ゴボウ天とゲソ天がカリッと揚がっていて絶品でした。国産ゴボウの香りが良いし、途中で入れる赤ダレもいい。汗をかきながら食べて、戸畑から小倉へ。
モノレールで旦過に降りて、向かうは本日のお宿、ホテルニュータガワ。なんか、妙にメルヘンなお部屋だ…

このホテルニュータガワ、大変立派なホテルで、結婚式も行われていたんですが、『炭鉱王の迎賓館』云々と書かれているわりには、来歴が非常にぼんやりしている。で、ちょっと調べてみると、おお…。多額の債務がとか、出資法違反とか、石川銀行破綻とか、K藤会とか、ぞろぞろ出てきて面白いわぁ…
http://blog.goo.ne.jp/abc3311/e/5fae0b2b12702aeebcf90f6392466254
あとからこちらの人に聞いた話では、結婚式のとなりでヤクザの集会をやっているようなホテルで有名であったとか…。
汗を流してさっぱりしてから、少しぶらぶら。夜の旦過市場は寝静まっていて

しばらく歩いた後、手軽そうな焼鳥屋へ。カウンターのとなりでは、60過ぎのおばちゃんがガツガツ食ってぐびぐび飲んでいて、その向こうでは20過ぎの美人さんがぐびぐび飲んでガツガツ食べていた。小倉すごいと思った
在華坊(@zaikabou)/2012年04月22日 - Twilog