日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

私の酒遍歴

黎明期

 

 幼い頃から、宴席は好きだった。父親とその友人の酒席で、何をするでもなく右往左往して時を過ごした記憶はある。その店とは、中目黒にあったころの『ばん』であった。

はてなブックマーク - よっぱらい研究所@はてな - 酒無くして何の人生か - 中目黒『ばん』とその系譜を継ぐ店

とは言え、早くから酒を嗜んでいたわけではない。ただ、日本酒といえば『八海山』であって、30年近く前から酒蔵付近に縁があったので、名ばかりは知っていた、というところか。

それなりに飲むようになったころは…とにかくそのころは金がないので、夜に公園だの友達の家だのに集まるわけである。そうすると、どうしても度数が高くて効率のいい酒に目がいくので、畢竟、バーボンか焼酎となり、専ら愛飲は安価に走って『いいちこ』である。割らずとも、それなりに飲めるので。

公園で飲むにも、つまみもたいして無く、ただただ、焼酎をがぶがぶと飲むので、当然酷く酔っ払うのである。とは言え、気がついたら河原で寝ていた、ということはせいぜい一度か二度だった。

家の机の引き出しにも、大抵『いいちこ』のミニボトルが忍ばせてあったり、友達と会えば『風呂場で一本開けたらいろいろやばかった』などと話すことになる。で、このころはご他聞に漏れず、『いいちこ』のかっちょいいポスターに憧れたり、『季刊iichiko』で三浦雅士に煙に巻かれたりするわけであって、まあ若かったね、となるわけである。


大学時代

少し金回りが良くなると、先輩に連れられてひたすら日本酒三昧と相成る。まあいろいろな地酒は飲むわけだけれど、このころ、ああ美味いな、と思ったのは『神亀ひこ孫』。埼玉で作っている酒なのだが、酒らしい酒であり。行きつけの飲み屋で頻繁に枡と戯れる日々。割合後ろ暗い収入…いやもちろん、合法かつ正規の収入ではあるのだけれど、いろいろと申し訳ない収入で暖かくなった懐はひたすら酒酒酒、及び落語会や本代に代る日々だったわけである。

で、焼酎とは縁遠くなっていたのだが、ふらりと寄った店で買った焼酎が、ああこれは美味い、としばらく愛飲することになる。伊勢は伊勢萬の『ステラSTELLA』という、陶器ボトルに入った琥珀色の酒は、甲乙混交ではあるのだけれど、ああ、焼酎というのも美味いものだな、と感心した。焼酎ブームよりはだいぶん前のことである。爾来、焼酎と言うとSTELLA、というのがしばらく続く。しかし、相変わらず日本酒ばかりなのは変わりがない。ワインにはほとんど食指が伸びなかったし、バーボンやウイスキーも多少は嗜む程度だった。


学生時代の泥酔の思い出と言えば

 

三郷在住の大学OBにさることを要請されて、打ち合わせのために単身三郷に行った。打ち合わせ後、飲みにつき合わされ、町の居酒屋に連れて行かれた。「これ美味いよ」と正体の良くわからない(私が無知なのだろうが)荒川?の川魚がいろいろ出てきて、どうも悪い油にあたったかもしれないのだが、体調が悪いままスナックへ行った。

これがまあ、郊外の典型的スナックとしか表現のしようがないスナックで、要するに固定された常連客がいて、その常連客が「名物はピラフだね」「ママのピラフは世界一だ」とか言ったりして、近所で働くあんちゃんが全共闘で活躍したことに「なっている」おっさんに説教されたりして、週刊新潮の「黒い履歴書」的な世界がリアルに展開されるような典型的なスナックなのだが、それはともかく。

水割りだの焼酎だのガバガバ飲まされて、気がついたら還暦はとっくに越しているだろう、というママと密着して星影のワルツをデュエットしていた。次に気がついたときは、店の外でゲーゲー吐いていた。道に座り込んで、自動販売機に群がる羽虫を眺めながら、廻らぬ頭で、俺は一体何をしてるんだろう、と思う。夏の夜風は生暖かい。

結局、その人たちと別れてから武蔵野線に乗ったのだが、どこでどのように乗り換えたか、どこのベンチで寝ていたのか、どこのホームで吐いたのか定かではなく、大分酔いの醒めた頃、何故か時間は4時間以上経ち、私は中野駅に居て、終電は終わっていた。サークルの部室まで2時間以上歩いた。そんな思い出。

そういえばこんなことも。サークルの幹事長になり、新入生歓迎コンパと称して、大学の近所の公園で花見と洒落込んだは良いが酷い花冷え。公園は混雑していてまともな場所が無く、あまり花の見えない暗がりの斜面に篭城、新入生もあまり来てくれないし、まったくもって盛り上がりに欠ける。非コミュ的段取りの悪さを遺憾なく発揮したのであるけれど、そういう席に限って酒は度を越すもので、隣の客から貰った性質の悪い甘ったるい日本酒も悪かったのかも知れぬ、正体知れぬ酔い方をする。

終わって、ラーメン食おうラーメン、ラーメン食いたい、と無理やりラーメン屋に連れて行ったが、歩いた性で余計酒が廻ったのだろう、ラーメンが運ばれて来る頃には意識は朦朧としていて、そしてとにかく眠くてうつらうつら。新入生に『食べてくださいよ』とか言われ、一口含んで『味は判った』と言ったなり突っ伏したのが後々語り草になったらしいが、記憶が定かでない。

山手線に乗ったは良いが、途中の渋谷の駅のホームでげえげえ吐きながら新入生に介護されており、その新入生はよくぞ残ったものだと今更ながら感心する。


酒代には困らずに

 

とは言っても…酒を粗末にすると怒られるサークルであったので、いかにも学生、な無茶な飲みをすることもなかった。私が入る前のある事例がトラウマ的に無茶な飲み方を自粛させていた面もあったらしい。

大抵は、毎週毎週、決まった店で日本酒に淫していた。自分にとって、日本酒の楽しさ、味の違いを教えてくれたのはこの店だ、ということになる。

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 この店の名物が『東海道五十三注ぎ』で、一合飲むごとにスタンプ一個。東海道を踏破すると(五十三次のはずなのに、スタンプは三十個なのだが)お好きな一升瓶どーんとプレゼント、その場で飲むも良し、ボトルキープするも良し…なのだった。4人で東海道を踏破した夜なども良き思い出。

地酒を出すにしては安いとは言え、学生にはちと高いお店で年がら年中鯨飲できたのも、金回りの良いアルバイトに恵まれていたからでもあり。そのお金はすべて酒代と本代と演芸鑑賞に消えていったのだった。諸々で年に200万近くの収入はあったはずなのだがな…。遅くまで飲み、どこかの家に転がり込み、翌日は昼ごろ起きて蕎麦屋で昼酒…そんなことの繰り返しだった。学生らしいと言えば学生らしい。

勿論、学生街で一合180円の正体不明の酒に酔い、翌日の朝に目脂で目が開かなくなる…ことなども、良き思い出ではあるのだけれど。高田の馬場周辺はそういう店も多いのです。


社会人になって

 

 研修中は大阪勤務となり、大阪にはチェーンではなくて安くていろいろと楽しめる飲み屋が、東京よりも多いことを知る。しかし、一緒に飲むメンバーは必然、会社の同僚ということになり、静かに日本酒を楽しむわけにも行かず、馴染めない雰囲気でビールなどをあおることになるわけで、酒自体があまり面白い時期ではなかった。この時期はひとり飲みの習慣は無かったのです。

東京に戻る機会があると、大学のサークルに顔を出し、一緒に酒を飲んでいた。今から思えば迷惑な先輩だ。ごめんね。

研修期間が過ぎると、会社の人との飲みというのはあまり多くは無かった。建築業界などは常に飲み呑みということになるのだろうが、私の部署はあまり飲み会の機会は無い。せいぜい、月に1度あるかないか。とはいえ、やはり、50代の人の酒量とたばこの量にはかなり驚愕するのであって、なにか違う価値観を生きてきた世代なのだろうか、との感は強くしたのだった。

ま、機会があったとしても、呑むのはビールか熱燗か焼酎のお湯割りか、ということになるわけで、会社の人との呑みに、これと言って特筆するべき事項が無い。酩酊して電車で東横線を2往復したくらいしか、思い出はないのである。

現在に至るまで、会社の知り合いと特に酒そのものを楽しむ席、という経験はほぼ無い。


ワインとの邂逅

 

それまで、ワインはあまり縁が無かった。キリストの血の福音とは無縁な世界に生きてきた。

とは言え、食道楽の気が出てくると、必然、イタリア料理やフランス料理も外で楽しむことになるわけで、やはり呑むものはワイン、ということになる。安めのグラスワインを、白とか赤とか適当に飲むだけの日々は続く。赤については渋めのが美味いな、という意識はあって、キャンティ・クラシコは安心できるなあ、という意識の醸成は、社会人の初期の頃にできたろうか。

ちなみに、私のワインに関する意識の涵養は、この本に負う所大なのである。そして食や人生の価値観にも多大な影響を与えた本なのだけれど(この本と、内田百閒と、アルバイトしていた『上野文庫』の店主、中川道弘さんの影響がいろいろと大きいのです)

フェデリコ・カルパッチョの極上の憂鬱 (幻冬舎文庫)

フェデリコ・カルパッチョの極上の憂鬱 (幻冬舎文庫)

 

あれは2003年の秋だったろうか。この本の影響も受けつつ、かつ、福田和也のコラムがきっかけで、六本木にある『ニコラス』を一人で訪れた。そこでサービス特価で提供されていた、シチリアのドンナフガータ『Mille e una Notte』である。ヴィンテージは何年だか忘れたけれども。これをグラスで飲んで、ああ、ワインってのは美味いものだなあ!とびっくりしたのだった。

それ以来、エノテカの通販の利用を経て、あるいは実家の近所にある素敵な酒屋を利用して、それなりにワイン、それも重めの赤ワインを飲むようにはなっている。

とは言え…やはり、高いワインは高い。日本酒ならば1升3000円で素晴らしいものに出会うことができるけれど、ワインは、勿論安くて美味いものもあるんだろうけれど、味と値段がけっこう比例している印象を受ける。ま、そんな高いワインの味が判るほどの舌は持ち合わせちゃいないけど。

ワインとの付き合いはほどほどにしている。外食時に少し楽しんだり、時々1000~高くて3000円くらいのワインを買ってくる稀に買う程度、という日々となる。外でワインを飲む機会はせいぜい、月に2回ほどではないだろうか。

その後の焼酎と私

ワインの話でも出てきた実家の近所の酒屋というのが、なかなかのもので

焼酎ブームが勃興し、やたらとプレミア価格のついた焼酎があちこちで見られるようになってからも、ここの店は大概のプレミア焼酎は定価で売られていた。現在も本数制限はあっても、基本的にプレミアはつけない。

そして正月になるとやたらとお得な福袋を売り出すことでも知られており(今は魅力が半減したが…)、百年の孤独とか兼八原酒とか冨乃宝山の限定品とか、ぼんぼん詰めて定価以下で売られていて、ここで美味しい焼酎を買ってちょっと飲む、みたいなことが多かった。そして、百年の孤独より美味いよ、なんてどこかで教えてもらった『夢想仙楽』というお酒が好きになった。

以前は麦が好きだったけれどその後芋もよく飲むようになり、今でも酒の席では日本酒、ビールの次に焼酎を多く飲んでいると思うし、泡盛もなんだかんだでよく飲む。

日本酒を飲んでいて、ちょっと飲み疲れると、焼酎のロックやお湯割にいくことが多いのです。

クラフトビールとわたし

 

もちろん、ビールは大好き。酒を飲み始めたころから大いに飲んでいて、苦いとかなんとかの記憶は無い。やはり働くようになってから、より美味く感じるようになった気はするが。

ちなみに生ビールは、特に信頼に値しそうな店でだけ飲むことにしている。サーバの扱いが適当な店とか、存外多い。特に中華料理。それだったら瓶のほうが信用できるし、大きなジョッキで生ビールよりも、小さなコップに瓶から注いで飲むのが一番美味いと思うのです。

銘柄については昔からスーパードライは好かず、一時期はエビス信者であって、そうでなくてもサッポロ、黒ラベルが一番いいと思っていた。恵比寿に麦酒記念館というところがあり、今でも有料試飲コーナーがあるのだけれど、以前はたいそうお安くて天国だった

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その後、知られてしまって非常に混むようになり、値上げもされて、あまり面白くない場所になってしまったんだけどね。その後はエビス信者からは脱して、好きなのはプレモルかサッポロ黒ラベルキリン一番搾り、あとはキリンのハートランド、ギネスも好きだけれど、最近は酒場ではサッポロの赤星が至高、と思うようになった。

 さて、クラフトビールの話である。現在のクラフトビールブームが来る前に、法改正に伴う地ビールブームがあって、地方に小さいビール蔵が乱立し、観光目的で不味いビールが乱造されていた時期があった。そして不味いのでどんどんつぶれていったのだけれど、きちんとしたビールを造って生き残ったところもあり、今日の日本のクラフトビールブームの基礎になっている。

わたしも地ビールにはあまり縁が無かったのだけれど、最初にクラフトビール美味いな!と感じたのは石垣島でのことだった

環境込みでのことかもしれないけれど、ここで飲んだ石垣ビールのヴァイツェンがばかに美味く、それ以来、美味しいヴァイツェンを求める旅がしばらく続く。そしてその後、店頭でたまたま買った新潟麦酒の美味さに感動する

NIIGATABEER-新潟麦酒株式会社-

ゴールデンケルシュの美味さに感動し、クラフトビールと言えば新潟麦酒の日々。そしてその私を決定的にクラフトビールに引き込んだのが、この店だった

 

野毛の都橋商店街にあるヌビチノ。日本のクラフトビール業界ではその名を知られた店主のお店で、状態の極めて良い日本全国のクラフトビールを飲んでその面白さにはまり

実は野毛周辺、クラフトビールを出す店がとても多く。小さな蔵を持ってその場で醸造している店も数件。そのような店や、あるいは神田や両国や、あるいは大阪で美味しいクラフトビールも楽しむようになる。

そしてクラフトビールイベント花盛りの今日でも、やはり大さん橋ビアフェスは素晴らしいイベントだと思うのだ

爾来、日本酒の次に好きなのはビール、状態になったのです。まあ、普段飲むのは日本の大手メーカーのビールが多いけどね。

日本酒と私

 

さて、日本酒である。大学時代の幸運もあって、学生のころから美味しい日本酒は沢山飲んでいた。しかしもう一段階ギアが入ったのは、社会人3年目にはてなダイアリーをはじめてからだろう。はてなダイアリーで日記を書きはじめて、最初に日記経由でつながりができたのが『巨大建築愛好会』だったのだけれど(現状、いろいろ諸行無常なので深く触れないが)

そこで知り合った人たち、特にはてなのサービス利用では、αとかβのころからやってるよ!という人がたいそうな日本酒好きで、よくよく日本酒の店で飲むことになり、以前にも増して日本酒にはまっていた。特に神保町『武蔵』がよく通う店だった。今は中野に移転した後、なくなってしまったけれど。このころに好きになったのが佐賀の『七田』で、今に至るまで好きな酒になる。

また、やはりこのお店とのご縁で、新潟の『鶴齢』を造る青木酒造にお邪魔したこともあった。やはり今でも『鶴齢』は好きな酒のひとつになっている

そして池尻大橋のある店、今では予約を取らないと行けなくなってしまったある店、日本酒好きな人には聖地のような場所、十四代もあるけどわざわざ飲まなくてもねえ…みたいな場所があってですね。ここは酒も安くて素晴らしい品揃え、つまみもとんでもないクオリティ、毎週でも…みたいな雰囲気で飲んでいたのだった。

はてなのよっぱらい研究所を通じて知り合った同士の結婚式二次会を、この店を借り切ってやったのもいい思い出になっている。そうです、このころのはてな界隈、はてな婚が結構あったのですよ。

そのころの飲み会の雰囲気をなんとなく伝える古文書をひとつ、発掘しておきましょう(この時は私はいませんが)

2007年ごろは本当にはてな繋がりの飲み会が多く、はてなグループでよっぱらい研究所というのを作って

よっぱらい研究所@はてな

情報を共有していた。自分はTwitterをはじめたのも2007年でかなり早かったのだけれど、これも、よっぱらい仲間で飲み会の予定を共有するのに便利なツールなんじゃね?と、はてな繋がりではじめたのが元だったんですね。というか、Twitter利用者において、はてな関係者はその初期にかなりの勢力を有したのです。

はてなグループ::ついったー部

 そうそう、灘の酒蔵を巡るオフ会をしたのもこのころだった

さて、そうして、はてなつながりで日本酒との付き合いを深める一方で、個人的にひとつの契機になった店が、出張先の大阪でふらりと入った『遊亀 淀屋橋』だった。

滋賀県の酒蔵が経営する店で、ひとつの蔵の日本酒を追いかける楽しさ、鮒鮨の美味さ、ひとり飲む酒の楽しさ、いろんなものを憶えてしまったような気がする。その後、京都までこの店を追いかけ、出張のたびにのみに行ったり、酒蔵を訪ねて、たまたま居合わせた会長さんに街案内までしてもらったり、横浜でこの蔵のお酒を飲むイベントに参加したり、いちばん好き…というか思い入れのある酒は、この蔵の『長寿金亀』になるのです

横浜にもよい酒をそろえた酒屋は多く、家で飲むときも日本酒が多い。

よくお酒を買うのは、関内の丸十酒店、吉野町の横浜君嶋屋、弘明寺のほまれや酒舗、中華街の一石屋酒店、新山下の港屋上原酒店、南太田のすずきや酒店、日本大通りのマルシェ・ディジュール、市ヶ尾の浅野商店、新吉田とトレッサ横浜の吉祥、長津田の岸田屋酒店、反町の酒の辰巳…あたりだろうか。

赤レンガで毎年2回開催される『蔵元サミット』は丸十酒店の主催で、よく行くのだけれど、昔のほうが魅力的だったかな。でも、いまでもじゅうぶん楽しいイベントです。数多くの酒蔵が出展して、いろんな日本酒を試飲できます

 

最近の日本酒ブームもあって、こういう日本酒イベントも本当に増えたよね。自分としてはにいがた酒の陣は一度は行ってみたいのよね… 

ちなみに、日本酒の好みは、とにかくなんでも、であり、さきほどの長寿金亀以外、特定銘柄にそれほどの思い入れは無い。日本酒は高くても一升3000円くらいまでの範囲で極めて個性的でバラエティに富んでいるところが醍醐味だと思う。

ただ、酒米としては、松山三井を偏愛気味なところがある。

 その後、やはりブログ経由で知り合ったアート好きな人にも日本酒好きが多く、一緒に飲む機会にはやはり日本酒も多く飲む。さらに、これまた自分のお酒の遍歴に大きな契機となった『酒房ぴー』との出会いがあるのだけれど、これは次の項に譲ろう

 

ひとり飲みはじつはここ10年くらいのことで

 

今になってみれば、どこにいってもひとり飲みしている人、みたいになっているけれど、ひとり飲みをはじめたのはそれほど古くからでもない。長年の実家住まいで、野毛で一人暮らしをするようになったのは2007年末のことで、それまではあまり、少なくとも、家の近所で一人で飲むことはなかった。

 ただ、出張が多く、出張先で晩飯となると、ちょっと飲もうか、ということはあった。実ははてなダイアリーをはじめた私の最初の文章は、松江の名酒場で一人で飲んだ話なんですね。このあたり、はてなダイアリーとわたしの人生、みたいになってきた。というか、気軽な気持ちではじめた『酒遍歴』、ほとんど私の人生そのもの、みたいになってきている…

それ以来、出張に出ると、一人で外で飲むことが増えた。そして一人飲みに本格的にはまる契機になったのが、前項で書いた『遊亀』であり、仕事以外で旅先でひとり飲む、という経験の楽しさの契機になったのも、さっき書いた灘での酒蔵めぐりオフ会の後、ひとりで長い旅をしたときだったように思う。

はてなブックマーク - よっぱらい研究所@はてな - 酒無くして何の人生か - 松山『海の幸 鯛や』

そうして一人で飲む機会が増えたのだけれど、あくまでも旅先、出張先での話しであり。2007年に野毛に越してきてからも、それほど、ひとり飲みをしているわけではなかったのだ。もちろん、それなりに飲んでいたのだけれどね。

その私が地元で一人でのむ、ことにはまっていったきっかけが、このお店との出会いだった。『酒房ぴー』。

ほんとうにふらりと立ち寄った店を介して、野毛のいろんな店を教えてもらったり、金原亭馬治さんの落語会で前座をやらせてもらい、真打昇進の披露目に呼んでもらったり、横浜トゥデイというメディアを運営する人たちと出会ったり、『はま太郎』という雑誌に原稿を書かせてもらったり…

そう、このお店で知り合った縁で、紙の媒体で書かせていただく機会までできた。これまでは野毛周辺の酒場や、有隣堂本店で流通していたんですが、なんと今回はISBNコードもついて一般書店流通です。12月15日発売です(宣伝)

『横濱市民酒場グルリと』 - seiyosha ページ!

 

それ以外にも、数え切れない出会いがあった

とにかくありとあらゆる関係が、ちょっとした偶然の産物のように思っているものが、奇跡のような出会いだったかもしれず、ひとり飲みの『第三の場所』、サードプレイスを通じての出会いの醍醐味を、味わい尽くさせてもらったような場所だった

それもあって、以来、あらためて、ひとりで飲む楽しさに目覚めた。特に去年今年は大阪に出張の機会が多く、あちこちで楽しい酒を飲んだ。やはり『れだん』とふらりと出会えたことは望外のよろこびだった。

ひとり飲みの楽しさについては、以前にこういう文章を書いた

 これからも、ひとりにしろ、大勢とにしろ、楽しいお酒を飲める日々が末永く続くことを願っている。

 

ちなみに…

 ここまで、日本酒、ビール、焼酎、ワインの話ばかりしてきたけれど、それ以外を飲まないということではない。

ウィスキーは好きなお酒の一つで、これも追求しだすと底なしだと思うけれど、あまり詳しくはない。スコッチを常備してあって少々いただく程度。目白田中屋など行くと、ウィスキーと海外のビールの品ぞろえてふわーっ!となってしまうけれど、あそこに嵌りだしたら大変なことになるので自嘲している…。あと、山崎の蒸留所はとても好きな場所で、あそこで有料試飲に溺るのは楽しい

中華料理を食べに行けば、大抵は紹興酒だが、白酒も多様性があって好きな酒だ。中華街の一石屋酒店は中国酒の品ぞろえがとても豊富で、見ているだけでも楽しい。赤坂の『黒猫夜』で白酒を飲み比べた夜も忘れられぬ


シャンパンはレストランで最初の一杯でちょっと飲む程度で、シャンパンだけどどうこう…ということはあまりない。以前、森美術館の個人会員だったときは、オープニングでずいぶん飲ませてもらったが。

ジンは夏になると冷凍庫に常備してあって、ビールの気分じゃないときは、ジントニックにして美味しくいただいている。

いずれしても好き嫌いはあまりなく、珍しいものには目が無いので、飲んだことの無いお酒は積極的に飲んでいこうという心づもりでいる。ほんと、体は大切にしたいものです…