日毎に敵と懶惰に戦う

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東京国立近代美術館『ようこそ日本へ』での1936年の日本観光が面白い

日曜日、竹橋の東京国立近代美術館へ行ってきた。

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本来の目的は、恩地孝四郎展の再訪。思いのほか、混んでいてびっくり。やっぱり、日曜美術館でやるとお客さんも入るのだね。戦前、特に、関東大震災以前の版画が、なんだかしみじみ良かったのです。ただ、私のその日の心理状況によるかもしれない。絵画鑑賞もまた、心を映す鏡だ。

そして、どちらかと言うと、これもやはり再訪の『ようこそ日本へ』のほうに見入ってしまった。2020年の東京オリンピックを控え、インバウンド需要が盛り上がる世相を受けた展示。

www.momat.go.jp

戦前の一時期、海外からの日本観光の盛り上がりがあり、外貨収入で貿易に匹敵するような、インバウンド需要のある時期があった。そんな、戦前の海外からの日本への観光誘致や、朝鮮満州観光に関する資料、ポスターやらガイドブックやら時刻表やら、新日本八景やら、とにかく山盛りで、お好きな方には堪らない内容なのだけれど。

1936年に、海外からの観光客誘致映画を目的として、ジャパン・ツーリスト・ビューローが制作した『日本3週間の旅』25分が非常に面白い。以下、その旅程を紹介しておく。細部に誤りがあったらすまぬ。

まず秩父丸(船名がはっきり読めないが、スリーダイヤの太平洋航路で煙突1つ、船型からおそらく秩父丸だと思う…最初は氷川丸かと思ったけどよく見たら違った)で横浜港に到着。関東大震災後なので、山下公園が写る。横浜のジャパン・ツーリスト・ビューローの観光案内所で旅の計画を立てる。ジャパン・ツーリスト・ビューローというのは、つまりJTBなのであるよ。

JTB 100年の歩み|JTBグループサイト

東京に出て、まず写るのは有楽町の日劇。それから、国会議事堂、皇居や銀座や歌舞伎座明治神宮清洲橋の姿が映るのは、震災復興の象徴的な、美しさを誇る橋だったからでしょうね。銀座のシーンでは、東京乗合自動車(後のはとバス)に乗って観光する日本人が出てくるシーンも。そしてお泊りは帝国ホテル。もちろん、フランク・ロイド・ライトの!

帝国ホテルの中庭で日光のガイドブックを読む場面から、舞台は日光へ。東照宮を見て、華厳の滝へも。華厳の滝の水量がとても多いのが印象的。次の場面は鎌倉の大仏。そしてすぐに次の場面で箱根へ。富士屋ホテルのラウンジでコーヒー飲んで、芦ノ湖でモーターボートに乗り、山上を走るドライブウェイからは富士山がよく見えている。

富士山の引きの映像から、カメラがパンすると東海道線を走る蒸気機関車へ。超特急「燕」の展望一等車から常に富士山を見ながら西へ。天竜川の急流を下る舟の場面が長い。そして名古屋は、もちろん、燃える前の名古屋城をじっくり。京都に向かい、平安神宮東本願寺に行き、産寧坂でお土産を物色する。

京都、平安神宮はただっ広くて趣に欠けるし、東本願寺もでかい!という印象が強いし、あまり詫び寂びや情緒をアピールしてないんだよね。ブルーノ・タウト桂離宮を見たのは1933年だけど、実際にその著書などによって良さが再評価され、喧伝されたのはもっとずっと後ですからね…

注:はてなブックマークで、東本願寺ではなく知恩院なのでは、というご指摘をいただいた。そうだったかも…)

奈良では奈良ホテルの優雅な時間の描写から、古都の様子は京都より丁寧に。東大寺に行き、その後、奈良公園で鹿と戯れる時間が長い。鹿に餌をあげたり。鹿せんべいはこの時期からあったのだろうか

大阪では中之島あたりを船の上から眺め、近代建築の多さを誇ったり、春日出発電所の八本煙突を背景に安治川を客船がすれ違ったり、商都であり、重工業都市である大阪の賑わいが強調される。関東大震災後、一時期東京を抜いて日本一の人口を誇った大阪市は、その後の東京の市域拡張によって再び人口一位の座を譲る。しかし、1936年は「大大阪」の最盛期であり、現在よりも人口が多かったのです。西の雄としての矜持が、今以上にあった時期でしょう。

大大阪時代 - Wikipedia

その次の神戸では、おそらく商船三井の誇る阪神~別府航路の最新鋭客船「こがね丸」で瀬戸内海を往くシーン。

フェリーの歩み|商船三井 船舶維新

旅はそのまま別府へは向かわず、山陽本線の展望一等車から風光明媚な瀬戸内海を見つつ西へ向かう。の1936年でまだ鷗は無いので、富士でしょうか。そして宮島詣りへ。

さきほどの「こがね丸」で別府に到着するシーンで、飛行艇が別府の街の直上を飛ぶシーンがあるのが印象的。この頃、大阪(堺)~高松~松山~別府を結ぶ「麒麟号」という、飛行艇の定期航路があったのですね。砂蒸し風呂や温泉を堪能、地獄で卵を茹でる様子も。

大浜水上飛行場より民間航空路線を開設 ( 飛行機 ) - 日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン - Yahoo!ブログ

そして阿蘇へ。広大で馬が闊歩する阿蘇の、蒸気もうもうたるカルデラを歩く雄大な風景。その後、雲仙でゴルフをして、また船で去る。1936年の日本観光3週間、実に興味深い内容だった。

これ以外にも、東京シンフォニーという1937年の東京を描く映像があり。これもジャパン・ツーリスト・ビューロー制作で、24分間の作品。 省線電車と東京駅や、東京の劇場やカフェーや、紡績工場や蒸気機関車の修理シーンや、各種学校や、当時の東京を細かく描く楽しい映像。

盛り上がったインバウンド需要も、1937年の盧溝橋事件で対日世論が悪化して急激に縮小。その後の歴史はご存知の通り。この映像は終戦と焼け野原から10年も遡らないのだな、ということも、頭の片隅に入れながら見て欲しいのだった。

とにかく見所の多い展示で、現代と引き比べて示唆するところも多い。もう2月28日までなので、ご興味のある方はこの週末までに行ってほしいのだった。