木曜日、昼から実家に行き、産まれたばかりの姪に会って(「伯父さん」になってしまった…)、もともと自分の部屋だったところの整理。とりあえず本以外で捨てられるものを峻別するが、いろんなものが出てきて、なかなか進まない。宅八郎が渋谷区長選挙に出てきた時の法定ビラ、やたらと状態がいいな
レコードプレイヤーはいちおう持っているが、一度も聞いた覚えのないレコード。京山幸枝若の嗚呼機動隊、わりと市場には流通しているみたい
1960年に大洋ホエールズが優勝した時に配られた風呂敷。当時は大洋ファンでは無いはずなのだが。マルハが大量に配ったのかな
経営破綻前に10円くらいで拾って3000株持っていたので、破綻後に野村証券から送られてきた、殖産住宅の株券
爆弾三勇士の文鎮。これはけっこう、モノがゴロゴロしているらしいですね
旅行の記録もわりと丹念に取ってある…。インバウンドで盛り上がる前、関西のホテルがやたらと安い時期があったのだが、その時期のリッツカールトンの明細
2006年、大阪のリッツ・カールトンの3307号室、クラブデラックスかな、広い角部屋で12200円。出張で泊まってしまったのだ。同じ頃に、京都の蹴上のウェスティン都も、朝食付き1万ちょいで泊まれて、クラブフロアに気軽にアップグレードとかあったよね。思えばあの頃の関西の不景気、本社機能の東京移転ラッシュみたいな沈滞ムードが、維新を呼び寄せた遠因かもしれない。
友達と北海道に2人で行った時の旅のしおり
じぶんはずっと、小学校を卒業するタイミングだと思っていたのだが、日付を見たら、中学1年生の春休みだった
行きはやまびこ、はつかり、急行はまなすを乗り継いで札幌へ。帰りは、快速ミッドナイト、急行津軽で帰ってきている。北海道周遊券と指定券も出てきて、物持ちの良いことである
次に北海道に行ったのは、大学受験に失敗で浪人生になった時。青春18きっぷで青森まで行き、東日本フェリーで函館に渡り、駅の宿比羅夫で一泊して、帰りは小樽から新潟に新日本海フェリーで渡って、新潟の水原の親戚の家に一晩世話になってますね…
ちゃんとフェリーの切符も出てきたぞ
その翌年、98年には、大学に入学してからの夏休みで北海道に行っている。
青春18きっぷから推測するに、ムーンライトながらで舞鶴に向かい、北海道脱出後は青森から日本海側を下って白馬に向かったようだ。白馬でサークルの合宿があって合流したんだっけかな。
北海道内は、北海道フリーきっぷで周遊。敦賀から小樽へのフェリーで入って、夜はおおぞら、オホーツク、おおぞら、稚内のユースホステル、利尻、はまなす…ほとんど車中泊で旅している。函館駅で夜明けを待って、谷地頭温泉に行ったな。今はこういう夜行列車も無くなってしまった。
少し遡って、これは中高生の時に使った切符。
自分が中高生くらいの時、25年くらい前は、安い夜行バスやネカフェという選択肢が無いから、必然、青春18きっぷか、時期じゃなければ周遊券を使ってムーンライト泊、宿に泊まる時はユースホステル、だった。
今の若い人は夜行列車という選択肢は無くなった代わりに、いろいろ安く旅する選択肢は増えたよね。
下の写真、左側の4枚は社会人になってから使った切符かな…「あけぼの」は今はもうありませんね。平成15年、2003年に東北を旅して後生掛温泉とかに行った時のものだから、はてなダイアリーには書いていない
右側のきっぷ、あさひたび割7きっぷとは…?と思ったら、ちゃんとJR東日本のページには残っていた
https://www.jreast.co.jp/press/2000_1/20000804/index.html
こういうものを見ていると、さっぱり捗らないのである…。今日はこれくらいにして帰宅し、晩飯、カレイの煮つけと、がんもどきとオクラの煮物を作り、汗だくになりながら食べて
さて、旅の支度をします…途中で寝ます…