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国立近代美術館『沖縄・プリズム 1872-2008』

7時起床、いい天気。掃除洗濯朝飯済ませて出かけ、東京乗換えの竹橋。国立近代美術館の『沖縄・プリズム 1872-2008』に行く。沖縄出身の作家、沖縄に向かった作家、34名それぞれの「沖縄」が乱反射する展示…ということで、わりと無秩序に混沌と作品が並んでいるのかな…と思ったのだが、展示は予想と違う、あるいは、ある意味で予想された、内容のものだった。
http://www.momat.go.jp/Honkan/Okinawa_Prismed/index.html
戦争が終わるまで、アメリカの統治時代、そしてその後。3つの章立てで構成された展示。
最初の章、沖縄がオリエンタリズムとノスタルジーの対象となり、一種の『沖縄ブーム』が盛り上がった中での、藤田嗣治の絵画、木村伊兵衛の写真、柳宗悦らによる民藝の紹介…などがあるのだけれど。鑑賞者が見入っていたのは、作品ではなく資料映像で、それは東京日日新聞・大阪毎日新聞が1936年に製作したフィルム『沖縄』。戦前の、何もかもが破壊される前の沖縄の文化、風土、建築、さまざまなものが紹介されたビデオが大変見ごたえがあり、国内でありながらオリエンタリズムの対象である…という沖縄の微妙な位置付けへの視点がちらちらしつつ、これは楽しく見られた。しかし、その後に流れた、1941年の東亜発声映画制作の『海の民 沖縄島物語』は、見ていてなんだか辛くなる映像だった。
アジア・太平洋文化圏の中心として花開いた海の民の文化、日支混合で栄えた文化が(秀吉の時代に頂点に達して…というナレーションなどにより、秀吉を「大東亜共栄圏の先駆者」と位置づけた戦前の思想が窺える)、徳川の時代に鎖国によって内に閉じこもり困窮したが、明治維新を迎えて再び外に向かい、今まさに、大東亜共栄圏の中心となっているのである。皇国臣民の皆さん、もっと沖縄に目を向けましょう、というものなのだけれど。要するに沖縄は、東亜の守りにおける海に浮かぶ要塞である、ということを強調するプロパガンダ映画なのですね。後の沖縄戦の悲劇を考えると、だんだん、辛くて見ていられなくなった。みんな、絵画はそこのけで、じっと映像に見入っていた。
2章のアメリカの時代でも、琉球放送提供の『ニュース映像に見る「復帰」までの道程』が興味深く、やはりこれに見入る人多数。3章に進んで、彫刻や焼き物、絵画もあるのだけれど、沖縄の文化風俗を紹介する写真作品が多い。そしてその中にも記録映像的なものがいくつか。「島クトゥバで語る戦世」は、狭い部屋の両方の壁に、沖縄戦の体験を島の言葉で語る老人が映し出されるのだけれど、片方は日本語の字幕付き、もう片方は日本語の字幕が無い。所々に出てくる単語はわかるのだが、やはり、字幕なしではよくわからない部分が多い。その言葉で話をする人々が、『日本』の戦争に“巻き込まれ”たことを、強く意識せざるを得ない。展示の最後には、照屋勇賢のビデオ作品があった。
沖縄の状況を反映した作品が多いので、歴史を振り返らなければ作品の紹介は出来ないわけだけれど。そして、このような形の沖縄に関する展覧会はほぼ初めてらしいので、そういう視点はどうしても必要なのだけれど、とにかく沖縄の抱えているものが大きすぎて、作品を見にきたというよりも、沖縄の歴史を学びにきたような展覧会だった。それにしても作品の個人蔵のものが多いのだけれど、これはみな、美術館などに寄託されているのだろうか、それとも、この機会にあっちこっちから集めてきたのだろうか、いずれにしても企画した方に敬意を表したい。とにかく、大変興味深いので、会期があんまり無いけれど、見に行く価値があると思います。
常設展示も相変わらず見ごたえあり、小松誠の作品も面白かった。