日毎に敵と懶惰に戦う

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高嶺格『木村さん』を見る

伊勢佐木町の裏手にある映画館、ジャック&ベティで、高嶺格の映像作品『木村さん』を見る機会に恵まれた。昨日訪れた、砂山典子さんの『むせかえる世界』の一環の企画
むせかえる世界~横浜若葉町2011<A SULTRY WORLD in Wakaba Yokohama>
ダムタイプで砂山さんと高嶺さんは一緒に活動していたことがあり、木村さんの介護が『むせかえる世界』に影響を与えている部分もあり、今回の運びとなった。映像作品『木村さん』は、もともと、横浜美術館の展覧会で上映される予定だった。しかし、障害者の性を赤裸々に扱っている内容から波紋を呼び、上映がされなくなってしまった。曰くつきの作品。
REALTOKYO | Column | Out of Tokyo | 093:横浜美術館の失態 I
REALTOKYO | Column | Out of Tokyo | 094:横浜美術館の失態 II
今回、高嶺格の個展が横浜美術館で行われ
横浜美術館 高嶺格『とおくてよくみえない』の不穏さ - 日毎に敵と懶惰に戦う
それとも関連して、上映の運びとなった。上映前に、砂山典子さんによるトーク。さてこの映像作品、森永ヒ素ミルク事件の影響で一級障害者となった木村さんの介護を、高嶺格が行う様子が映し出されているのだが、スタート地点は、砂山典子が障害者のパフォーマンス集団、劇団態変のライブを見たことからはじまるという
劇団態変日本語トップ
そこで配布されていた、木村さんのインパクトの強い『介護求む』というチラシに触発されて、高嶺格と砂山典子が木村さんの介護に訪れたのだ、と。木村さんはコミュニケーションも困難な障害者であるけれど、強烈な個性を持ったゴーカイなパフォーマーでもある。その木村さんの介護を行う様子を写した映像作品なのだが…
『木村さん』は、僅か9分の濃厚な映像。最初に聞いていた話から、障害者の性の問題に向き合った作品だと思っていた。しかし、これは障害者の性を扱った映像ではない。コミュニケーションについての映像である。木村さんは、基本的にYES NO しか反応できない。選択肢を提示して、それに対する応えでコミュニケーションする。話者の想像力の及ぶ範囲でしかコミュニケーションできない。高嶺格さんは、木村さんと会話するとき、“より”不完全な英語で話しかけたくなるという。
『木村さん』は基本的にパフォーマンスの記録映像で、左右のスクリーンに、木村さんと、それをみつめる高嶺さんの目が交互に映し出される。木村さんの映像に写る高嶺さんは、乳首をいじり、陰茎をしごく手だけ。“会話”以外の、接触するコミュニケーション、つまり、介護。
木村さんの陰茎から精液が勢い良く飛び出し、木村さんの顔にかかり、木村さんが呵々大笑するシーンだけ、画面に木村さんが大写しになる。その笑いで世界が動き出す。そこで映像は終わる。くしゃくしゃになった木村さんの笑顔がいつ迄も脳裏に焼き付く。
陰茎をしごかれながら、会話不全の木村さんが介護、介護と言っているのがはっきり聞き取れる。最後、精液を顔に浴びた木村さんの呵々大笑に度肝を抜かれた。音声は、すべて高嶺格が話す英語。画面下に日本語字幕。唯一聞き取れる日本語は、木村さんが発する“介護”の言葉のみなのだ。
介護とはなんだ、コミュニケーションとは何だ、そんなことがぐるぐると頭の中を廻る。高嶺格の個展の最後にあった作品とも、すぐそこに繋がっている映像作品だった。
会場では、2002年にイギリスでこのパフォーマンスが行われた際、シンポジウムで高嶺格が受け答えした内容のプリントが配れた。一部を引用しておく

一体、この作品の「正解」とはなんなのか―――考えて、思い至る事は2つだ。
まず、僕がこの奇跡的な映像を人に見せたい、と思うこと。話の展開からアングルまで完璧なこのショットをたくさんの人に見せたい。特にラストシーンで、精液を顔に浴びて腹の底から笑っている木村さんの崇高さは、人間の到達した、ある極みだと思っている。二つ目は、これが「障害者をネタにした搾取ではない」こと自体の意義である。木村んが、このビデオをパブリックに公開する事を許可した、という事実に対して、観客の驚きはいつでも大きい。それは、このパフォーマンスの映像内容…勃起したペニスから射精に至る…よりはるかに深く、観客に衝撃を与える。このことで、木村さんは単なる被写体ではなく、明確な意図を持った個人として、この作品の主人公の座を獲得するのだ。それまで支配/被支配かに見えていた僕と木村さんの関係が、実は共犯関係にあったと観客が認識する瞬間、この作品はクライマックスを迎える。観客の「憐れみのマスク」は硬直し、ベリベリとむしり取られるのだ。