私憤と公憤

しかして腹の中では「実際そんな女はイヤ」と感じている「自分」が居るのに、それが最終的に「そうならない範囲でだったら何やったっていいんじゃないの?」に置き換わる、その途中のブラックボックスの仕組みが私的には謎だが、そういう風な置換、というか、フィーリングと論理の分離した在り方もあり得るんだろう。 http…