日毎に敵と懶惰に戦う

はてなダイアリーから引っ越しました。酒と食い物と美術と旅と横浜と建築と演芸と…

高山の町を散策

宿で7時に起きる。質素ながらも必要十分な朝飯を食って、8時過ぎに出発。泊まったのはこんなところであった。

バスで高山の市街地に出て、朝市やら、高山陣屋やらをめぐる。

江戸時代からある建物に加えて最近修復された部分が多いものの、なかなか中は広くて見応えがあり、蔵の屋根の作り、板を幾重にも重ねた作りなどは面白かった。

陣屋を出て、次に高山の旧の市役所へ。小ぶりだが味のある建物。それから、「古い町並」をめぐる。川や堀があって、それをうまく活かしている街はどこも風情がある。松江しかり。高山は初めて来たが、例えばこの「古い町並」などはいかにも観光地然としていて、ちょっと興ざめなところが無くも無い。しかし、それ以外の町全体もこぢんまりとして、細い道がうねうねと走っていて、ちょっとした端々に風情を感じさせるところがあり、中々結構な街だ。
日本家屋に作られた喫茶店の、囲炉裏端でクレープとコーヒー。どこに行っても写真ばかり撮っていて、しかも所謂「ニホンジンカンコウキャク」とは撮る対象がずれているので、なんだか面白い集団である。ここの喫茶店でも、みんなでオサレ写真撮影大会、デジカメの性能比べ大会と化していた。コップの水を接写する怪しい集団。

その後もぶらぶらと歩いて川沿いに出て、清酒ソフトクリームを食べ、駅までお散歩。8時半頃から12時まで、ほぼ歩きっぱなしで結構草臥れた。

民家、民家!

駅からバスに乗り、郊外の観光地を車窓からw観光、遠回りのバスに乗った怪我の巧妙。だけど、せっかく街の中がアレだけ素敵な高山なのに、郊外に怪しい「観光施設」然としたものを作ってしまうのは何故なのか。一部、全然客が入っていない施設もあった。合併特例債で作ったんじゃないよなあ。なぜああいう勿体無いことをするのだろうか。
高山の街は、これまで、様々な努力や幸運も重なって、美しい町並みを維持してきたのだろう。しかし、街をきちんと守るという努力は継続が必要である。どこかで一人でも、行政の中枢に馬鹿が収まると、すべてはおじゃんになってしまう。例えば松江の街の場合、お堀を全部埋めてしまおうと言う話が一時期あった。それを、いや、これを資源にして観光に活かしましょう、といった人があり、いまのすばらしい松江の街になったのだ。そのとき埋めていたら、今日の松江は無かった。
例えば大阪は川と橋の町である。今でも川は活かされているとは思うが、一時期、土地を有効利用するために川をずんぶん塞いだらしい。高度成長期にはそれも必要なことだったかもしれないが、長期的に見たら正しかった=利益に適っていたかどうか。松下幸之助が一枚噛んでいるらしいのだが…。近年、道頓堀も、水辺を散策できるように改修がなされていて、もっと水辺を活かす方向に進んでいるようであり、失ったものは得たものより多くは無かったのか。
とにかく、郷愁やらなにやらで言うのではなく、一回やってしまったら取り返しのつかない開発が、特に地方の都市を駄目にしてしまう、良かれと思ってやった開発でかえって裏目に出て寂れてしまう、というのは悲しいことだし、沢山事例のあることだ。高山がそうならない事を祈りたいものだ。
東京の首都高速の場合は、ああなってしまった状態がもはや風景の一部、と言う考え方もできるし、一時期、共産圏の人間にとってあれは「先進国のイメージ」そのものだったらしいし、今からあれを地下に埋めること自体、立派な箱物行政であることを考えなければいけないし(数千億円オーダーになるらしい)、あの比類ない風景を有効に活かしていく方法も考えるべきだろうし、あんまり軽々しいことはいえないけれども。
それから、バスは飛騨の里へ。ダム開発で沈んだ周辺集落から集められた民家の数々が移築してある施設。ある意味、ふるさとを失った家たちの怨念渦巻く場、と考えられないことも無いが、数十件の民家が立ち並ぶ様は圧巻だ

パンフレットを片手に、家々を丹念に巡る

日本家屋は本当に涼しい。高山の標高のせいもあるだろうが、外が日差しでうだるように暑くても、中に入った途端、冷房が入っているように涼しく、風が通り抜ける。そして、囲炉裏の煙で燻されて飴色になった壁や梁や天井の美しいこと。

合掌造りの2階。ここで蚕を育てる。

じっくり観察し、作られたありえない村、記憶の中の美しい村*1を堪能して、飛騨の里を後にした

*1:本来、私にとってはそれは記憶の中でもなんでもないものなのに。それでもやはり、どこかに思い入れがある。それは刷り込みなのか民族の記憶なのか

崇教真光の世界総本山

本来は飛騨の里で暫くゆっくりして、バスで高山駅に戻って帰途に着こうと思っていたのだが、飛騨の里からちらちら見える素敵建築物に目を奪われてしまって、いても立ってもいられなくなって訪問することにする。高山に来ると決めたときからなんとなーく「行こうかな」とか思っていて、しかし頭の片隅に追いやっていたのだが、目に入ってしまうと衝動は止められぬ。崇教真光の世界総本山である。

飛騨の里から山を下る道すがらも、そのキンピカの建物、そして屋根の上の桃?が目に付いて離れない。近づくにつれて信じられないほど大きくなる建物、かたじけなさに涙こぼれる思いである。嘘だけど。いや、びっくりしているのは本当だ。
建物の下にでると、多分世界中から信者がお参りに来るのだろう。巨大なバスターミナルのようになっていて、車寄せとこれまた巨大な待合施設のような建物になっている。警備員の人に見学したい旨を告げると、笑顔でどうぞ、と言ってくれた。中に入ると、待合施設だか集合施設だかは質素な施設だが、非常に広い。模型があったので撮影。下のほうにある白い建物が、いま居る待合室のような場所にあたる。

そこから階段を上がり、屋上に出ると…

おおお、これは凄い。キンピカだ。気合の入り方が桁違いだ。そして、六芒星と逆卍が同居。凄い。なんと表現したらいいのか言葉が見つからない。とにかく凄い。凄過ぎる。これ以上は勘弁してください。

横を見ればケツアルカトルのレリーフ、これ以外にも十六弁の菊花紋があったり、ピラミッド紋があったり、包容力があると言うか、なんでもありと言うか、エライコトになっている。本殿の中も見せていただけるようなので、中も拝見。修繕中だと言うことで、入ってすぐのフロアだけしか見れなかったが、写真の沢山入ったパンフレットを頂いたりして有難かった。お巫女さんがいろいろと説明してくれるみたいであったが、生憎バスの時間があるので申し訳ないが遠慮させてもらった。それにしても、いろいろと、凄い。これ以上は勘弁してください。

この日は特に縁日などではなかったらしく、訪れる信者の人はほとんど居らずに閑散としていた。そして、信者の人も一般人も、参拝できるのは奇数日だけであるとのこと。この日はたまたま奇数日だったので見学させて貰えたようだ。
新興宗教の巨大建築については、五十嵐太郎の「新宗教と巨大建築」に詳しい。ただし、宗教の歴史についての記述が詳しいので、キョダチク的興味で読むとちょっと梯子をはずされるかもしれない。私は、天理教の本部と立正佼成会の本部は見ているので、あとはPL教団の大平和祈念塔や、世界真光文明教団の本殿など、機会があれば見学してみたいものだ。特に天理教は町全体が宗教都市と化していて、非常に興味深かった。もう一度、じっくり訪れてみるのも悪くない。

新宗教と巨大建築 (講談社現代新書)

新宗教と巨大建築 (講談社現代新書)

信濃町にはあんまり大きくて面白そうな建物が無いし、第一、歩きまわってると眼光鋭いおにーさんが近づいてくるからなあ。大石寺も壊してしまったし。創価学会は生活との結びつきが非常に強いから、建造物に聖性やら霊性やらを仮託する必要が無いのかもしれない。
人気のほとんど無い建物を後にして、バスに乗って高山駅へ。お土産を購入して、駅前の蕎麦屋でおろし蕎麦と牛串と生ビール。牛串も食べたので、高山には暫く思い残すことは無い。お土産には、さるぼぼストラップ、地ビール、日本酒、お菓子、漬物などを購入した。

16時30分の高速バスに乗って、高山を後にする。ここから先は、バスの中からの報告の古文書を紐解こう

高山駅を十六時三十分に出立せし京王バスは、国道二五八号線安房峠通行規制を受け、国道四一号線を南下、下呂温泉を十七時三十五分に通過、国道二五七号線を通り、中津川インターから十八時三十五分に中央高速へ。神坂パーキングエリア十九時、双葉サービスエリア二十一時五分、それぞれ十五分の休憩後出発。大月ジャンクション通過後、二十一時四十五分渋滞突入。二十二時二十分現在、上野原インター付近を徐行中。新宿の到着予定時刻は現時点で二十四時。さて首尾如何なります也。


途中、特筆すべきことがあるとすれば、中津川道路の橋から見えた木曽川の絶景と、途中のパーキングエリアで魚蹴さんがキッコロモリゾーのぬいぐるみを購入したことぐらいか。かなりの時間が掛かったものの、それでも新宿駅には23時25分に着。なんとかのりつぎもできて、自宅に着いたのは0時30分ごろであった。実にバラエティにとんだすばらしい旅行であった。
但し、鉱山の工場周辺や、白川郷は訪れて見たい。いずれ時間をみつけて、また来ることにしましょう。