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日毎に敵と懶惰に戦う

はてなダイアリーから引っ越しました。酒と食い物と美術と旅と横浜と建築と演芸と…

あまり訪れない機会の無い越後の街を巡って

万代シルバーホテルの部屋で目覚める。このメンバーで旅に出るときは必ず和室にまくらを並べるのが恒例で、やはりそのほうが寝酒をするにしても話をするにしても最適だからなんですよ。部屋の風呂トイレの具合、アメニティ類から察するに、いや、別にそんなところから察せずとも、このホテルは新潟ではグレードの高いホテルなんでありましょう。和室も、結婚式で泊まる人とか、いろいろ配慮されて用意してあるんだろうなあ。でも、まあ、部屋の窓を開けると無機質すぎて、なんだかよくわからない風景ですが

朝食はバイキング。そんなに期待していなかったんだけれど、ちゃんとオムレツを焼いてくれるし(後から知ったので、焼いては貰わなかったけれど)搾りたてのグレープフルーツジュースや、美味しい牛乳や、越後名物のいごねりや栃尾の油揚げ、コシヒカリのリゾットも美味かったな、そのほか一つ一つの料理が、派手では無くても丁寧に作られたもので、大変美味しゅうございました。この朝食込みで6500円なら、ま、悪くない。
さて、これからの旅程でありますが。今日は越後の、あまり巡る機会が無さそうなところに行こうと言う話なのだけれど、問題は明日である。本日は弥彦神社に泊まり、佐渡に渡ることになっている。当初計画では明朝のフェリーで新潟から両津に渡り、佐渡に一泊して翌日、小木から直江津に渡りましょう、ということにしてある。普段、東京の人間はあまり乗らないような小木から直江津へのフェリーに乗るのは旅の大目的の一つでもあって、これは外せない。車は、新潟で借りたものをそのまま使って、直江津で返す算段。ただ、フェリーは人を運ぶのは安いのだけれど、車を運ぶのはなかなかよいお値段がする。
昨晩のうちに鳩首会議が開かれ、寺泊から赤泊に渡る高速船を使ってみないか?という話に。珍しい船にも乗れるし、赤泊で借りた車を小木で返せば車を船で運ぶ必要も無い。直江津に着いてからは電車に乗るばかり、車は必要ない。ならば今日借りた車を燕三条で返し、電車で弥彦に移動して温泉宿泊。翌早朝に弥彦神社に清々しく参拝したのち、タクシーで寺泊に移動して高速船にのるプランはどうか。船の時間もちょうど良く、9時半ごろに出て10時半ごろに着くものがある、フェリーよりも時間が節約できる…なんという素晴らしいアイデア。そうしましょうそうしましょうと意気揚々だったのだけれど。
一番のネックは赤泊で車を借りることができるのか…であって、まあなんとかかるでしょうと言って翌日、つまり今日。佐渡汽船の赤泊のターミナルにまず電話、その後、佐渡で営業しているレンタカー会社に片端から電話をかけたわけで。まずターミナルでは、赤泊でレンタカーを貸すサービスはあるけれど満車です。小木に店を構える佐渡のレンタカー会社も、赤泊で貸すのは可能だがあいにくの満車。それ以外の会社はそもそも赤泊で貸してくれない。敢え無く計画は頓挫。ならばと次善の策で、明朝は両津までジェットフォイルで渡り、そこで借りた車を小木で返す…という案も出たけれど。佐渡のレンタカー会社以外は小木返しのサービスは無く、肝心の佐渡のレンタカー会社はやはり満車ですとのことで、取り付く島が無い。佐渡のレンタカー会社は、翌日の寺泊赤泊航路は台風の影響で欠航かもしれませんよ、と親切にも教えてくれている。
そんなこんなで、それならば仕方がありません、当初予定通り、新潟で借りた車でそのまま国道350号線を新潟、両津、小木、直江津と縦断いたしましょう、ということになった。旅の計画は行き当たりばったりでぜんぜん構わないけれど、これは、というアウトラインだけは事前に決めておいたほうが良いよね、というお話。
宿を出て、なにやら祭りの準備をする街を…よさこいソーランの亜種ですかね、日本中の祭りがこれに毒されて浸食されているのは誠に苦々しいことであるけれど、そもそも考えると、もともと祭りと親和性の高いヤンキー層にぴったりフィットしただけのことであって、つまり時代の変化ということであって本質が何も変わったわけでは無く、長谷川岳一人をどうこうしたところでどうにも出来ない時代の潮流、黙って受け入れるしなかければ、即ち止むを得ないものは止むを得ない。
ニッポンレンタカーで車を借りて、毎回すみません、私は免許を持っておらず、近々取得する気がある免許も船舶免許ぐらいなものなので運転は若旦那にお任せしてナビに徹する。本日はあまり行く機会の無い越後の…いや、越後、というほどは到底廻れない、新潟から長岡周辺のあまり行く機会の無い街を巡ることにして、それにしても、吉田東吾記念博物館が目の前を祭礼が通るので臨時休館ですと本朝知るに至り、テンションダダ下がりな感もあるけれど元気出して行きましょう。
高速道路かと見違うほどの国道49号線を一路西へ、阿賀野川を渡り、京ヶ瀬水原へ。道々、市町村合併によって訳がわからなくなってしまった地名に散々毒づきながら旅するのが恒例でありまして、平成の大合併にとどまらず、昭和の大合併にまで話が及ぶ。水原の街を、ああ、この病院で私は産まれたのです、などと言いながら通りすぎて、南に下り、再び阿賀野川を渡って五泉へ。本日最初の神社は五泉市街にある五泉八幡宮

もちろん式内社であるけれど、あちこちから合祀して域内に末社摂社を集めまくってしまったようなところで、イマイチ風情に欠けるし、縁起の類もまったく書かれていない。立派な社務所で縁起書きをいただいた。崇敬篤い…というよりも、今日における通俗的な神社の社会的役割を遺憾なく果たしている、とでも申した方が良さそうな神社であり、手水の水の美味さばかりが記憶に残った。建物は大層立派なのだけれど…

五泉の街を出て、県道7号線を南下する。蒲原鉄道の保存車両が眼にとまって喜んでいると、このあたりはもう村松だ。五泉市に合併されてしまったけれどね。城下町らしく、街中で路がクネクネと直角に曲がっており、一軒一軒の店舗に立派な雁木が備わっている。祭礼の準備をしている途中。なんとなく寂れ方が目立った五泉に比べて、なかなか風情のあるよい街だな、と、見ながら通りすぎるだけだけれど、やはり少しずつ様子の違う街々を眺めるのは、それだけで面白い。
国道290号線を南下して、加茂に入り、蒲原鉄道の保存車両がまた一つ。
この旅、毎回毎回、旅の間中の話題というのがあり、まずは前回の旅からの間の物故者の総覧、まだ生き残っている長寿の芸能者総覧からはじまる。今回は柳家さん助師匠の逝去が衝撃的であった。そして三井理峯の話題を必ずちりばめつつ。今回は、桂米朝の衰えっぷり、についての話題が旅の終わりまで続き、『そやなあ…』『ほんま、そや…』と力なく呟く米朝のモノマネ、というのが延々と…。また、吉右衛門人間国宝にという話題にも及び、吉右衛門の真似で『この度は兄より先に人間国宝ということで、お上にも芸を見る目があるようで…』などと口上を述べて、誠に悪趣味ではありますなあ
車はすすむ。あちこちに残る7月30日の豪雨の爪痕を見ながら、下田村…現在は三条市へ。下田村内の被害はことのほか酷かったようで、まだまったく手がつけられていない川岸、崩壊したままの土手に土嚢がつまれている様などは、大層痛々しい。本日のハイライト、諸橋轍次記念館

諸橋轍次記念館 - 三条市
今日は中華人民共和国駐新潟総領事による講演があるらしく、なるほど、外交官ナンバーで中国国旗をたてた車が停まっていたぞ

諸橋轍次と言えば、当然みなさんご存じでしょう、漢和辞典の決定版、諸橋大漢和の編纂という偉業。日本国内のみならず、世界でもこれ、というような辞典でありますよ
大漢和辞典 - Wikipedia
資料館は、その偉業の凄さを改めて痛感できる素敵なところであったのですが。ビデオが。下田村で産まれた博士の生涯がよくわかるビデオだったんだけれど、同じようなものを3本も見せられたら飽きるよ…。そして、博士の生涯にばかり寄った内容で、辞典作りにもっと言及した内容が欲しい。博士の生涯を辿る内容、大漢和辞典を作る過程だけに焦点をあてたもの、2本にまとめて合計30分くらいにしていただけれど、もっと良いのではないかなあ、と思った次第。
併設されている道の駅で軽く昼飯を済ませて、なるほど、諸橋博士の中国への想いも募ろうという奇景、八木ヶ鼻の袂にある八木神社は、山を背後にした、趣のある神社

下って来て町の中に、見るからに土地の人の尊崇篤いことがうかがえる、実用にして豪壮な拝殿の五十嵐神社

いずれも大変に結構で、だいぶん気持ちも高まってきた。ここから290号線を下ると、栃尾市に入る。昔から、鉄道の通らない市、栃尾が不思議であって。なぜこんな山の中に、栄えた町があったのだろう…と。通り抜けてみて、寺が多いかなという以外これといった特徴がなく、分散して人が暮らしている感じで、何で栄えた街なのだろうか、さらによくわからない。後から繊維産業で栄えたという話を聞いたのだけれど、ますます、不思議な印象が強まる。こういうのは、やはり、街に来て見なければわからないし、そして来てもさらにわからない、というのも面白きことなり。名物、油揚げの店も沢山ありました。そしてこの栃尾も、長岡市の一部なのだよね、今は…
国道351号線の立派なトンネルを抜けて長岡へ。しかし今回、長岡には用事が無い。山本五十六記念館か何かに行ってもいいのだけれど、長岡なら、電車でまた来れるでしょう、今回はあまり行けないところへ…。というわけで。そのまま街をすり抜けて信濃川を渡り、長岡インターから西山インターまで北陸自動車道、西山と言えば、もちろんあなた、田中角栄でありますよ

田中角榮記念館 -KAKUEI MEMORIAL MUSEUM-
館内は撮影禁止でありましてな…田中角栄記念館。入場して最初に見せられるのが映像。最初の短い映像は、なぜかテレビ番組に出た時の映像、美空ひばりが出てきたりして面白いのだけれど、田中角栄自身はちょっと映っているだけで、なぜこれを選定したのかよくわからず。その後の、角さんが西山の自宅で語る映像が面白かったなあ。なるほど、この人に言われたらついて行ってしまうだろうなあ、という人物としての魅力が、ちょっと喋っているのを聞いているだけでよくわかる。政策の評価は別にしてね。再現した執務室に吉田茂の小さな銅像が置かれており、戦後日本を作ったのは、結局この2人なんでしょうね。
記念館自体については、書画骨董が無造作に並べられてたり(趣味は悪くない)、年表にマイナスの事項がまったく書かれていないために訳のわからない年表になっていたり、若干、カルト的というか、陸山会いまだ健在なりというか、まあ…。ねえ…。栃尾から長岡に抜けたトンネルについて、田中角栄が映像の中で言及していたのは面白かったな。あ、この映像、健康の秘訣みたいな話をしていますが、この八カ月後に倒れたそうであります
併設の食堂は『角さんの台所』という名前でありました

田中角栄の名前を冠した日本酒を購入し、また西山インターへ。中之島見附インターで降りて信濃川を渡り、今度は与板の街。ここも城下町で、今は長岡市に合併されてしまったけれどね。やはり城下町らしく、街中で路がクネクネと直角に曲がっており、一軒一軒の店舗に立派な雁木が備わっている。そして祭礼の準備…まるで村松とそっくりだ。今日は十五夜祭りの夜。通行止めになった道を迂回して訪れた式内社の津野神社はこの旅で訪れる神社にしては珍しく、大変賑やかで、こういうのもなかなか、結構なんであります。


本殿の形態がなかなか独特で、そして覆い堂が、大層、立派でありましたなあ

さて、それでは一路、お宿へ。信濃川の岸に伸びる道をまっすぐに北上し、分水の街の近くを通り、大河津分水路…分水路というにはあまりに立派で自然の川のようである…を渡ると、いよいよ弥彦へ。神社への参拝は明日のこととして、鳥居の前の酒屋で本日の酒を買い込み、宿に到着する
で、ねえ…。この綜栄館、到着した当初は失敗したなかあ、と思ったんですよ
http://www.e-yahiko.com/onsen/ons_30/ons_30.htm
外観が古びた鉄筋コンクリートだし、帳場の反応もあんまり良くないし、部屋は悪くはないけどちょっと狭くて。で、風呂に行って、これまたあんまり広くない、やかましいオヤジの先客がいたあたりで、評価は最低に…なんだけれど。
この湯がとても良い。穏やかで、いつまでも入っていられる。修善寺や湯河原の湯にも匹敵する。そして、食事がそれはそれは、素晴らしかった。談林調のつまらない晩飯なんじゃないか、目玉焼きとか出てくるんじゃないか、などと口々に毒づいていたのだけれど、あにはからんや。『新潟市内の有名ホテルでシェフをつとめた料理長がつくる料理』というだけあって、実に美味い!びっくりするぐらい美味い。材料も良いんだけど腕も良い。ちょっとした料理にも大変な工夫がある。これは大当たりだ。
大満足して、すっかり腹いっぱいになって、幸せ気分で、あまりその後の酒も飲まずに、本日はばったりと寝たのでありました…明日は弥彦神社に朝から御参りするから、早いぞ