日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

なぜ「炎上を楽しむ」視点はいけないか

私は「炎上を楽しむ」気持ちなどない。そんなことで、ブロゴスフィアが、されるべき議論がされない「幼稚な」場でありつづけることにはうんざりしている。
http://naruse.exblog.jp/2711760/

どこかで火の手が上がると、途端に人が集まってくる。伝播されるダイヤルはいろいろだ。注目のエントリー、あのアルファブロガーのブクマ、あのニュースサイトやあの某巨大掲示板。そして人が集まる。傍観者の顔をして。どちらかを電波と言ったり、両方を電波と言ったりしながら。
しかし、忘れてはいけない。ブクマコメントをつけた時点であなたも当事者である。ただの観察者に過ぎないとあなたは言うかもしれないが、観察は対象を変異させるのである。
だから、そっと。節度を持って。火がついている間に火事場見物してはいけないのである。昔のあなたは遠巻きに眺めるだけだったし、だから何かは起きなかったのである。せいぜい、風向きが突然変わると巻き込まれて焼け死ぬぐらいだったのである。偶発的に。
しかし、今火事場見物している皆さんの、その手元にあるそのはてなブクマとかはてなダイアリーとか果ては2ちゃんねるとか、その手元にある、危ないんだってば、なんで火事場見物に皆で灯油を持ってくるのよ。それは灯油だ。人によってはそれは水だと思っているらしいのだが。かければ燃えるし、かけたつもりが無くても全員で足元からちょろちょろ漏らしているのである。危ないってば。
大体、人がいっぱい集まりすぎるのである。日本人は人が一杯集まると喧嘩しないわけにはいかないのである。忠臣蔵は注目を集めたら討ち入りしなければならなくなるのである。そして大抵、所与の目的とは別のところに走りだすのである。火が収まる前に瞬く間に情報が伝播して火事場はすでにして押すな押すなである。あぶないあぶない、押すな押すな。最初に食いついた人は一緒に燃えている。
だから、そっと。当事者になるつもりの無い人々は、そっと。燃えている間はずーっと遠巻きに、黙って眺めるだけにしておいて。正しく完全燃焼したのを見届けてから。鎮火した後で、「やあ、焼けたねえ、焼けた焼けた」と集まればよいのである。時々、消えきれずに残った火に巻き込まれて焼け死ぬかもしれないが、それはそれだ。

日本で電波として指定されたブロガーという側の人間が、全て正当な扱いを受けていたか。それはないでしょうね。それがネットバトルであり、炎上であるという現実でしかないとしても。
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