日毎に敵と懶惰に戦う

はてなダイアリーから引っ越しました。酒と食い物と美術と旅と横浜と建築と演芸と…

原美術館『加藤泉』展と、『贋作男はつらいよ』を見て悩むのこと

お休み最終日。朝ご飯で、とりあえずいただきもののおせちはだいたい片付けた。昼前に出掛けて、品川へ。原美術館へ向かう

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レストランでゆっくり昼ご飯を食べてから展示を見る。原美術館加藤泉 – LIKE A ROLLING SNOWBALL』は、遺跡から発掘されたか、博物館で長く保管されているか、いずれにしても昔からそこに長くあったような姿の彫刻や絵画がそこかしこに放り出されていて、その間を彷徨うような時間を楽しむ展覧会だった。

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冬の長い日差しが柔らかく原美術館の中に届いていて

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木々のざわめきと共にゆらゆら揺れていて

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暖かい館内で、ぼんやりあちこちに佇みながら

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ずいぶんゆっくりと過ごしてしまった。もうすぐ、この美術館ともお別れなのだな、と思うと、寂しくなる。原美術館はとても好きな美術館

品川に戻り、横浜に寄りつつ、伊勢佐木町に出て、ユニクロなどでお買い物。ばんごはんはサイゼリヤに行く。羊の串もポトフも売り切れで、うおー、となったが、いろいろ好き勝手頼んでいただきます

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そして何年ぶりかのミラノ風ドリアを食べたわけですが、

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いろどり野菜を載せて、グランモラビアとブラックペッパーとオリーブオイルを掛けると、化けるな、これ。

 

帰宅して、NHKのBSで『贋作 男はつらいよ』を見る

プレミアムドラマ「贋作男はつらいよ」 - NHK

NHKの番宣で何度かこれの宣伝が流れていて、最初、贋作とは…?と意味がわからなかったのだ。何がどう贋作なのか、コンセプトがまったくわからん…。自分が車寅次郎だと思い込んでいる男を、街ぐるみでケアする、みたいな話なのだろうか、と。

その後、別の番宣で、現代の大阪の石切を舞台にして、あとは設定は全部同じ、さくらもおいちゃんもタコ社長も御前様もマドンナも出てくる、ということを理解したが、そうなってくると、何故そんなものを作るのか…?感が拭えない。東京の「寅さん」と大阪の「寅やん」の、はぐれ者の東西文化比較の微妙なとこに踏み込んだりすると興味深いのだが、どうなんだろうか。

ちなみに、今回の贋作の舞台になる石切剣箭神社は、1981年の男はつらいよ27作目『浪花の恋の寅次郎』に出てきて、寅次郎が啖呵売をしている。マドンナは松坂慶子。満男が吉岡秀隆になったのはこの回から。石切は、東京で言えば巣鴨みたいなとこですよね

 

で、さて、そのドラマを実際に見たのだが、見るほどに頭が混乱してしまった。完全に『男をつらいよ』を大阪弁でやる、という以外に何も見えないドラマだったのだ。設定を現代にしても、出てきた現代っぽいものは、スマホタブレットと電動自転車と薄型テレビだけ。風景も内装も脚本も登場人物も、何もかも、完全に昭和そのものなのである。

石切にあるくるまやの内装が古いのはともかく、諏訪家の内装も、昭和そのものとしか言いようがない。博とさくらが結婚したタイミングを子供の満男の年齢のから類推すれば、せいぜい10年前くらいですよね。平成20年に暮らし始めた家の様子ではない。古いアパートを居抜きで借りたのか?昭和レトロ趣味という裏設定でもあるのか?

登場人物の心の動きや考え方にも、現代を感じさせるものが微塵も存在しないのである…。

4回シリーズの初回の今日は、寅次郎35年ぶりの帰還、歓迎するおいちゃん達、困惑気味のさくら、旅先で出会ったマドンナへの淡い恋心多分勘違い、石切に現れるマドンナ…という、『男はつらいよ』の、王道展開の『起承転結』の『起』だけが繰り広げられた。

山田洋次はどういうつもりでこれを作ったのだろうか。もしかするとこれは、新世紀エヴァンゲリオンの26話の学園編のような、何かしら意味のあるメタ的なドラマなのではないか?『男はつらいよ』の最初の夢のシーンをずっと見させられたあとで、最終回で、自分が車寅次郎だと思っている男の妄想というオチがつくのではないか?あるいは、次回以降、徐々に物語全体を形作る歯車がズレていき、サイコホラー的な展開になるのではないか?

そうとでも思わないと、今更、これを作った意味がわからないのです。

いや、わかってます、山田洋次もこのドラマについて語っていて、音楽のアレンジを変えるような気分で、ということだから、軽い気持ちでノスタルジーに引っ張られて見りゃいいドラマ、ということはわかってはいるんです。新世紀エヴァンゲリオンのテレビ版の最終2話をリアルタイムで見た時のような気持で、テレビの前でドキドキしながら見ていても、何も変わったことは起こらないことくらい、わかってはいるんですが…

それならそれで、気になる点がもうひとつあって。自分は、大阪弁で『男はつらいよ』をやると聞いたとき、真っ先に思い浮かんだのが、河内十人斬りの谷弥五郎なんですよね。たった2人残された肉親の妹想いなとこなども含めて。渥美清の車寅次郎って、非常に粗暴な陰があった。しかし、シリーズ後半になって派手な動きが難しくなって、そういう性格が鳴りを潜めた。

今回の桂雀々には、その陰が感じられない。桂雀々の寅やん、家を飛び出した後で落語家修行を3年やってる設定なんですよ。元の車寅次郎が、若い頃に落語家の下積み修行を3年続けるというのがどうしてもイメージできなくて。男はつらいよリバイバルみたいな話になると、晩年の、好々爺然としたイメージばかりがトレースされるのは何故なのだろうか。

どこか、車寅次郎の内面が描かれず、表面的に車寅次郎っぽさをなぞっているように見えるところも、自分を車寅次郎だと思い込んでいる男の妄想なのでは…?と思ってしまうのかもしれない。

そんなモヤモヤをたくさん抱えながら、次回は見るべきかどうか、悩むのだった。ただ、中では、終始困惑した表情を浮かべている常盤貴子のさくらがどこか闇を抱えていて、2回目以降に期待したいところではある。

在華坊(@zaikabou)/2020年01月05日 - Twilog