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関東大震災90年、横浜の企画展めぐり

のんびり起床して家事など済ませていれば、もうお昼。11時58分、90年前のこの日この時、関東大震災が発生。東京の被害は勿論甚大なものだったけれど、横浜の被害も酷いものだった。横浜市内だけで26,000人以上の死者が出て、横浜市の中心部は壊滅的な被害、灰燼と化し、45万人いた人口は、その後疎開者なども出て、一時30万人まで減少した
関東大震災 - Wikipedia
今年は関東大震災から90年、また、東日本大震災の発生、何時起きるかわからない首都圏直下型地震東海地震…ということで、関東大震災に関連した企画展が、横浜で多く行われている。今日はその企画展を巡ってみます。
まず最初に、横浜市史資料室『レンズがとらえた震災復興』
http://www.city.yokohama.lg.jp/somu/org/housei/sisi/news/tenjikai130713.html

横浜市史資料室は横浜市中央図書館の地下にある。ここでは、当時横浜で写真館を開いていた、前川謙三撮影による写真を数多く見ることができた。野毛山や山手、そして、後に映画『天国と地獄』において三船敏郎の屋敷が建っていた三春台から撮影したパノラマ写真には、ほぼ焼け野原になった横浜に、瞬く間に…1年後にはぎっしりと家が立ち並ぶ様子、その後の変化の様子が収められている。
復旧復興の工事の様子、1923年4月23日に昭和天皇が復興なった横浜を巡幸した際の様子、復興式典の様子…また、野毛坂の道をロードローラーで成らしていたり、宮川橋の開通式で有吉忠一市長…震災時の市長は渡辺勝三郎なんですが、震災後市長になり、復興に尽力したのがこの人なんですね…
有吉忠一 - Wikipedia
この市長を先頭に渡り初めの様子などなど…。貴重な写真が沢山見られた。あと、震災の復興には原富太郎も中心になって関わっていたのです。
原富太郎 - Wikipedia
今の横浜市中央図書館の場所には1928年に立派な震災記念館ができたんだけれど、戦時中の1942年に別組織の市民博物館になり、戦後はまた、老松会館として結婚式場に使われていたりしたんですね
横浜市震災記念館 - Wikipedia
そして1990年に、図書館建て替えの際に取り壊されたとのこと。東京には被服廠跡に立派な慰霊堂かつ資料館がありますが、横浜ではそのような専門施設は無いのだな
東京都立横網町公園
図書館脇の売店で、震災に関する資料を一冊購入。500円で写真多数、なかなか充実した内容でありました。

次に、神奈川県立歴史博物館へ。

神奈川県立歴史博物館 特別展「キングの塔」誕生! 特設ウェブサイト
『「キングの塔」誕生!』は、震災とは直接関係のある展示ではないのですが…。神奈川県庁舎のキングの塔は、関東大震災復興の一環で1928年に竣工しているのですね。ブラタモリでも平日しか昇れないその屋上展望台が紹介されていましたが、1929年4月23日の昭和天皇巡幸の際も、この屋上から横浜の街を眺めているのです。
このキングの塔を持つ県庁舎は四代目。お雇い外国人設計の初代と二代目の県庁舎、そして、迎賓館も設計した片山東熊設計により1913年に竣工し、震災により10年で焼失してしまった壮麗な三代目県庁舎までの、歴代庁舎の図面や写真がまず詳しい。
そして、現在も使われている四代目については、実際に飾られていたシャンデリア、コンペ応募案含む沢山の図面や写真など…。あるいはまた、当初は塔を作る予定が無かったけれど、後に『入船出船から目印になるように』と塔が作られることになって、それに沿ってコンペになったこと。そのおかげで、今もシンボルになる『横浜三塔』が出来上がったわけですね
横浜三塔 - Wikipedia
あるいはまた、この県庁の仕事に関わった設計士が後に名古屋市、愛知県と渡り歩いて、これまた、今でも印象深い外観を保っている市庁舎、県庁舎の仕事をしたこと、などなど。とても興味深い話が多かった。最後のほうには、県内の歴史的建造物の話題があり、日産の旧本社とか、ダットサンの製造工程の映像なんてものまであったぞ。
常設展のほうは、震災関係は、先月設置された大きなパノラマ写真があるだけなので、あんまりなー。なんというかまあ、ちょっと、いかにもな郷土資料館っぽい展示だよね、ここ。宮川香山の陶器がいくつかあったのは面白かったけど。実は神奈川県立歴史博物館では10年前に『80年目の記憶』という、震災関係の企画展をやってたのですね。その時のカタログも売ってました。
お昼は味奈登庵でつけ天そばを食べて、相変わらず、味奈登庵以上でも以下でも無い、不味いかと言われれば不味くはないが、美味いかと言われれば美味くもない…という蕎麦を食べてとりあえず腹を満たし。
続いては、横浜都市発展記念館『関東大震災と横浜』へ

横浜都市発展記念館
今回は、先ほどの横浜市史資料室、横浜都市発展記念館、横浜開港資料館の三館共同企画であり、市史資料室は無料なんですが、後者の2つについては、400円の共通チケットを販売中なんであります。

関東大震災と横浜』は、全体を俯瞰できる展示。震災前の賑わいの写真や地図からはじまり、震災の惨状、新聞雑誌各種メディアの伝え方(発行体制が壊滅した横浜の三紙が合同で、横浜市広報的な新聞を出していたんですね)、治安の不安と自警団、各国からの支援活動、復興計画(立ち退き令状なども)、公共施設や学校の復旧復興、ホテルニューグランドの建設、そして米国答礼使に関する話題…充実した写真や各種資料でそれらを見ていると、どうやっても、最近の震災と重ね合わせになりますね…。
会場には映像コーナーがあり、震災直後の横浜の惨状、焼け野原、黒焦げの遺体が転がり、戒厳令下の兵士がおり、バラック仮設住宅に住む人々、無蓋車に満載の乗客…そんな20分の映像が衝撃的だった。そして1929年の復興式典、昭和天皇巡幸、祝賀会の映像もありました。
関東大震災と横浜』の図録も1200円で購入。写真図版多数で見やすい内容。この会場だけに限らず、三館合同の横断的な内容になっている図録でありました。この表紙になっているのは、焼失した横浜駅。写っているのは駅長さん、地震の時刻に止まった時計

ちなみに、この時焼失したのは、今の高島の交差点付近にあった二代目の横浜駅。現在の駅の場所は三代目。初代は今の桜木町の駅にあったんだけど、東海道線の列車が全部止まれるように、二代目の場所に引っ越したんですね。初代はこんなかんじ
明治時代の「初代」横浜駅周辺の風景と駅舎内の様子はどんなかんじ?[はまれぽ.com]
最後に、横浜開港資料館『被災者が語る関東大震災

横浜開港資料館
ここでは、被災した人々、中国人や米国人含め、遺した写真日記手記作文遺品などで、震災当時の個々人の動きに焦点を当てている。困窮の様、暮らしの様が伺え、胸をうつものがある。小学生の日記なんかもたくさんあってね…。関西に避難する船を待つ人々、9月11日に、仮庁舎の屋上で露天で行われた横浜市会など、非常に興味深い写真も多かった。
当時応急対応にもあたり、まだ109歳で存命の日高帝さんに関する資料もいろいろ展示されてました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130901-00000015-kana-l14
これまでに放送した内容 | 首都圏ネットワーク | NHK@首都圏
日高帝さんの震災体験(pdf)
それから、鶴見の医師、後に議員もしていた渡辺歌郎が、1945年に書いた自伝も展示されているんですけれども。その開かれている一ページ、特に説明ないんだけれど、よくよく読んでみると…。“鮮人”が暴動を起こすと聞くのに警察署が保護している、暴れたら抑えが効かないから早く放逐せよと迫るが大川署長がそんなのは根も葉もない噂であると突っぱねる…という内容だったですよ。
はてなブックマーク - 寄稿 関東大震災と朝鮮人虐殺 後藤周
現代の風景 - 随想 吉祥寺の森から : 関東大震災 在日朝鮮人殺害と大川常吉
今回の一連の展示、関東大震災時の朝鮮人虐殺に関する話題はほとんどなくて、これぐらいであったかな…。
とにかく、横浜市史資料室『レンズがとらえた震災復興 1923-1929』横浜都市発展記念館『関東大震災と横浜 廃墟から復興まで』横浜開港資料館『被災者が語る横浜』と、いずれも見応えがありました。今回企画の館長が、展示冒頭に“歴史の真髄は類推にある”という言葉を掲げており。これから起こるであろう災害に向けても、得るものがある展示なんじゃないでしょうか。いずれも10月14日まで

ちなみに、帆船日本丸がある横浜みなと博物館でも、9月28日から『横浜港と関東大震災』という展示がはじまります。

【帆船日本丸・横浜みなと博物館】横浜みなとみらいにある帆船日本丸・横浜みなと博物館・日本丸メモリアルパークへようこそ
神奈川県内各地でも、震災に関する企画展は開かれているようです。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news/20130831-OYT8T01168.htm
そんなこんなで、充実した一日を送り、横浜橋の奥の銭湯にゆっくり浸かって、帰宅して晩飯、NHKスペシャル地震に関する番組を見て就寝した日曜日なのでした。
在華坊(@zaikabou)/2013年09月01日 - Twilog