日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

石下理栄、宮永愛子、フェルメール、反原発デモ、イタリア菓子

タイトルは本日見聞したものを並べただけで、特段の意図はありません…
友人の妹宅で目を覚まして7時、くれぐれもよろしくお伝えください、と辞して駅まで。ご祝儀の一つも出さないといけませんな…。気だるい車中、山手線で品川まで行き、京浜東北線に乗り換えて桜木町、一旦帰宅する。家に着いたのが8時過ぎ。シャワーを浴びます。
さて、お天気は予報通りあまり良くない。朝飯は昨日と同じく、野菜スープの残りと、ご飯と納豆と漬物。今日はどうしたものか。夜は伊勢佐木町高嶺格の『木村さん』がある。昼間は渋谷である反原発デモを見物しにいこうとは思い、それと合わせてフェルメール、ついでにミヅマの宮永愛子、そうだ、石下理栄さんが参加しているグループ展も見に行こう、時間に余裕があれば国立新美術館のアーティストファイルも…と思いながら出発したのが11時前。
東京駅まで出て、中央線に乗り換えて四ツ谷に降りて、四谷三丁目・新宿御苑方面に歩く。途中、警察官の警備が非常に厳重で、こんなところまでデモ来るのかしら?と思ったらさにあらず、韓国大使館の警備だったらしい。アルカイダの件もあり、いつテロがあるかわかりませんからね…。その様子を見ながら、こちらの展覧会へ
Flora展@CROSSROAD GALLERYに参加します - しろがねの足
石下さんははてなダイアリー繋がりで知った方で、はっとするような美しさの花の写真を撮る方。以前にも表参道の展覧会に伺ったことがある
石下 理栄 写真展「花 空 の 裏 庭(かくうのうらにわ)」など - 日毎に敵と懶惰に戦う
今回はグループ展で、石下さんは写真8枚、他の方も、それぞれに印象の異なる花の写真を展示している。暗闇に浮かぶ花が、とても幻想的でありながら、その色彩のビビッドさで強い印象を残す写真だった。他にも、強い光にくらむような花、あわくぼんやりと浮かび上がる美しさ、儚さと生命力の強さの間を行き来する写真など、狭い空間の周囲の壁に花が溢れて、素敵な体験をすることが出来ました。展覧会は5月15日まで
さて、歩きましょう。曙橋方面に出て、防衛庁の前を通り、市ヶ谷へ。御堀端を進み、次にMIZUMA ART GALLERY
MIZUMA ART GALLERY : 展覧会・イベント
宮永愛子 「景色のはじまり ー金木犀ー」。会場に入ると、天井からつるされた、金色に輝く布に目を奪われる。光を通すその布は、なんと、6万枚の金木犀の葉の、葉脈で織られたもの。靴を脱ぎ、荷物を脱いで近づく。周囲をまわり、つるされた『布』の間に入り込む。そこから、金色の向こうに透ける光を見つめるとぼんやりとした世界が拡がり、葉脈に焦点を合わせると、どこまでも細かい網の目のような世界に入り込んでいく。視点を前後させながら、目眩を覚えるような時間を過ごす。この世のものとは思えないような美しさ。5月28日まで
飯田橋まで歩くと、カップルが神楽坂方面に向かいながら、男の方が『蕎麦粉を使ったクレープが…』などと言っているのが聞こえ、なんか微笑ましい気分に。JRに乗って代々木、乗り換えて渋谷駅。駅前では、反原発デモを呼び掛ける人達と、多数の警察車両。そのまま公園通りを上がり、区役所前で誘導する人にいざなわれて、そのまま代々木公園へ。おお、これは混雑している

もちろん、既存の運動団体のノボリ、三里塚だの、日の丸君が代だのを訴える人々も例によっているのだが、まったく目立たない。中央では音楽が、そう、例の齋藤和義のアレであるとか、あるいは『アンディガルシアが、ゴッドファーザー3で、ジョーイザザを殺す時にかかってたカーニバルの曲』(@noiehoieさん曰く)だとかが演奏されている。それに合わせて盛り上がるものあり、周囲で坐ってのんびりしているものあり、酒盛りしているものあり、ダンスに興じているものあり。これは、あれだ。デモじゃない、フェスだ。興味を惹かれた人達が、続々と、とりあえず集まっている感じ。思い思いのプラカードを持っているものもあり、普通におしゃれして出掛けてきているものもあり、ウォーキングでダイエット感覚のおばちゃんもおり。
しばらく出発までは時間がかかりそうだったので、NHK脇、サウンドデモカーと警察車両が入り乱れる地帯を抜けて


文化村へ。フェルメール展を
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/11_vermeer/index.html
「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」 | 弐代目・青い日記帳
地震以来、特に原発の影響で、海外から貴重な絵画が入ってこなくなっていることはご存じの通り。このフェルメール展、あるいは上野のレンブラントなど、今後はしばらく、このような展覧会は見られないかもしれない。というわけもあってか無くてか、会場は大変な混雑。フェルメールの地理学者、もちろん素晴らしかったのだが、大作『調理台の上の魚』や、一連の風俗画や、特に風景画がとても面白かったなあ。
混雑する文化村から戻り、代々木公園へ。デモ隊がどんどん出発しているが、遅々として進まず。まあこの手のデモの毎度のことで、警察側で細かい単位に分断して管理するので、なかなか出発できないのですね。


代々木公園へ続く通路の真ん中に柵が設けられ、デモに参加する人はこの柵の中を通ってくださーい、一番後ろに回り込んでくださーい、と警視庁の皆さん

デモ隊に並走して原宿方面へ歩く。細かく分断されているので全体としての盛り上がりに欠ける部分もあり、警察車両から五月蠅く4列で更新せよ、と呼びかけが続くが、いやそれにしても、やっぱり音楽とか鳴り物の力は強いですね、楽隊(サウンドカー)がある集団はそれぞれで大盛り上がり。と、原宿駅近くに来たところでなにやら揉めていて、どうやら逮捕者が出た模様。詳しくは見聞きしていないが、あとからのまとめだとこんな感じ
20110507東京反原発デモ逮捕者なう #57NONUKES - Togetterまとめ
デモ隊はそのまま、表参道方面へ。警察のほうで分断して管理しデモをなかなか進ませない遅滞行為に出るので、デモの対抗して、交差点を渡るときは牛歩、みたいな感じに


あ、手前は、様子を撮っている警察か公安の人かな。公安のひともねー、いい加減、労務者風の恰好はやめたほうがいいんじゃないの。昔は雑踏にまぎれたろうけれど、いまは変に悪目立ちしているだけだよ。一目で公安とわかるよ。まあ、一目ではわからない私服さんとか公安もいっぱいいるんだろうけどさ。このレインコートも公安の方、お疲れ様です

こちらは特に賑やかな一団、結構フリーダムに音は出していたが、警察官の数が多く、一番、警戒されているふうでもあった



表参道を歩いていた女の子が、音楽を鳴らすサウンドカーを見て、ゲリラライブがはじまったの?誰?誰?とか盛り上がっていたのが面白かったです(笑)。今日の渋谷のデモは、ほんと、誰でも参加できる雰囲気だった。眺めている人も、怪しい団体が…みたいでは無く、日本でもこういうデモあるんだあ、みたいに受け止めている人が多かったようだ。そして、ぶらっと参加した人は、デモ隊を分断して管理する警察のやり方に、いろいろ思うところがあっただろう。ある意味、反原発は、この地震を受けて、デモの素材としては誰にとっても身近に感じられる問題となった。そこに1万人集まった。この人数だと、まだまだだよね。たぶん、10万人単位で集まるとこういう管理が出来なくなるのではないか。今回の参加をきっかけにして、カジュアルのそういう人数が集まる気風が生まれるか。そうなるとどうなるだろうか。
少し喧噪を離れて、北青山へ。甘いものが…と体が欲していたので、このお店

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もちろん、店内は女子の団体とカップルばかりなのだけれど、その中に混じって一人、美味しいパンとケーキをいただく。このお店のケーキ美味しいのよ…。パフェを食べている人もおり、パフェも美味そうだなあ。それにしてもこういう店、本当に男が少なく…などとTwitterで呟いていたが、よくよく考えると、雰囲気だけでは無くて本当にケーキの美味い店は、それなりに男性客も入っているよな、ような気がする…。と、ふと見ると、ビジュアル系の男性二人が、向かい合ってケーキとパフェを食べている―。思わず、妄想の翼が羽ばたきそうになったことをお許しください…。自分も固定観念にとらわれ過ぎているな、と猛省したいところです…
満足して出て、歩いて渋谷駅へ。途中、デモ隊と何度もすれ違い、追い越し、青山大学あたりでも盛り上がっておったし、渋谷駅前でも盛り上がっておった。このまま比較的遅い時間まで続いた…って、あんなに細かく分断したらそりゃ時間かかるよ、というわけでお疲れさまでした。
私は、湘南新宿ライン根岸線を乗り継いで関内、伊勢佐木町を抜けてジャック&ベティへ。映画についての詳しいお話は、別項にゆずりましょう。
高嶺格『木村さん』を見る - 日毎に敵と懶惰に戦う
上映終了後、nitehi worksでヒューガルデン一杯いただきまして


帰宅、漬物をあてに、日本酒を飲みながら、NHKの『巨大津波』を見るが、言葉にならない…

高嶺格『木村さん』を見る

伊勢佐木町の裏手にある映画館、ジャック&ベティで、高嶺格の映像作品『木村さん』を見る機会に恵まれた。昨日訪れた、砂山典子さんの『むせかえる世界』の一環の企画
むせかえる世界~横浜若葉町2011<A SULTRY WORLD in Wakaba Yokohama>
ダムタイプで砂山さんと高嶺さんは一緒に活動していたことがあり、木村さんの介護が『むせかえる世界』に影響を与えている部分もあり、今回の運びとなった。映像作品『木村さん』は、もともと、横浜美術館の展覧会で上映される予定だった。しかし、障害者の性を赤裸々に扱っている内容から波紋を呼び、上映がされなくなってしまった。曰くつきの作品。
REALTOKYO | Column | Out of Tokyo | 093:横浜美術館の失態 I
REALTOKYO | Column | Out of Tokyo | 094:横浜美術館の失態 II
今回、高嶺格の個展が横浜美術館で行われ
横浜美術館 高嶺格『とおくてよくみえない』の不穏さ - 日毎に敵と懶惰に戦う
それとも関連して、上映の運びとなった。上映前に、砂山典子さんによるトーク。さてこの映像作品、森永ヒ素ミルク事件の影響で一級障害者となった木村さんの介護を、高嶺格が行う様子が映し出されているのだが、スタート地点は、砂山典子が障害者のパフォーマンス集団、劇団態変のライブを見たことからはじまるという
劇団態変日本語トップ
そこで配布されていた、木村さんのインパクトの強い『介護求む』というチラシに触発されて、高嶺格と砂山典子が木村さんの介護に訪れたのだ、と。木村さんはコミュニケーションも困難な障害者であるけれど、強烈な個性を持ったゴーカイなパフォーマーでもある。その木村さんの介護を行う様子を写した映像作品なのだが…
『木村さん』は、僅か9分の濃厚な映像。最初に聞いていた話から、障害者の性の問題に向き合った作品だと思っていた。しかし、これは障害者の性を扱った映像ではない。コミュニケーションについての映像である。木村さんは、基本的にYES NO しか反応できない。選択肢を提示して、それに対する応えでコミュニケーションする。話者の想像力の及ぶ範囲でしかコミュニケーションできない。高嶺格さんは、木村さんと会話するとき、“より”不完全な英語で話しかけたくなるという。
『木村さん』は基本的にパフォーマンスの記録映像で、左右のスクリーンに、木村さんと、それをみつめる高嶺さんの目が交互に映し出される。木村さんの映像に写る高嶺さんは、乳首をいじり、陰茎をしごく手だけ。“会話”以外の、接触するコミュニケーション、つまり、介護。
木村さんの陰茎から精液が勢い良く飛び出し、木村さんの顔にかかり、木村さんが呵々大笑するシーンだけ、画面に木村さんが大写しになる。その笑いで世界が動き出す。そこで映像は終わる。くしゃくしゃになった木村さんの笑顔がいつ迄も脳裏に焼き付く。
陰茎をしごかれながら、会話不全の木村さんが介護、介護と言っているのがはっきり聞き取れる。最後、精液を顔に浴びた木村さんの呵々大笑に度肝を抜かれた。音声は、すべて高嶺格が話す英語。画面下に日本語字幕。唯一聞き取れる日本語は、木村さんが発する“介護”の言葉のみなのだ。
介護とはなんだ、コミュニケーションとは何だ、そんなことがぐるぐると頭の中を廻る。高嶺格の個展の最後にあった作品とも、すぐそこに繋がっている映像作品だった。
会場では、2002年にイギリスでこのパフォーマンスが行われた際、シンポジウムで高嶺格が受け答えした内容のプリントが配れた。一部を引用しておく

一体、この作品の「正解」とはなんなのか―――考えて、思い至る事は2つだ。
まず、僕がこの奇跡的な映像を人に見せたい、と思うこと。話の展開からアングルまで完璧なこのショットをたくさんの人に見せたい。特にラストシーンで、精液を顔に浴びて腹の底から笑っている木村さんの崇高さは、人間の到達した、ある極みだと思っている。二つ目は、これが「障害者をネタにした搾取ではない」こと自体の意義である。木村んが、このビデオをパブリックに公開する事を許可した、という事実に対して、観客の驚きはいつでも大きい。それは、このパフォーマンスの映像内容…勃起したペニスから射精に至る…よりはるかに深く、観客に衝撃を与える。このことで、木村さんは単なる被写体ではなく、明確な意図を持った個人として、この作品の主人公の座を獲得するのだ。それまで支配/被支配かに見えていた僕と木村さんの関係が、実は共犯関係にあったと観客が認識する瞬間、この作品はクライマックスを迎える。観客の「憐れみのマスク」は硬直し、ベリベリとむしり取られるのだ。