日毎に敵と懶惰に戦う

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米沢さんが亡くなった

http://www.comiket.co.jp/info-c/C71/061001.html
米沢嘉博さんが亡くなった。
僕は、コミケは、高校生の頃から一般参加したような人間で、アイデンティティコミケの場に託すほどの思い入れも…いや、そんな資格も無いような人間ではある。
あったとしても、少なからざる縁のある古書店を通じた…その古書店主も既にこの世の人ではないのだが…遠い縁、のようなものだけか。
けれども、あの場の昂揚感の一端でも知る人間として、突然の訃報に呆然たる思いを抱いている。時と共に年を重ねていく、人々が年を重ねていくコミケがどうなってしまうのだろう?そんなことを、人々が、思い初めていた、本当に思い始めようとして矢先に、一つの象徴が突然、さよなら、と、逝ってしまった。突然。
米沢さんはこれまで、ニュートラルでありすぎた。それはとてもとても大切なことで、とてもとても必要なことだったんだけれども、米沢さんは熱い思いを言葉にしつつも、だけれども、だけれども、控えめに、ニュートラルなまま、逝ってしまった。
米沢さんには、歴史を背負って、歴史を背負ったまま、disったりdisられたりして欲しかった。年寄として、存分に、存在感を示して、語りつづけて欲しかった。もっとエゴイスティックに、語りだし、語りつづけて欲しかった。
つまり、人が亡くなることの、悲しさと言うよりも、喪失感。ああ、喪失感というのはこういうことだったんだ。もう米やんは何も言わないんだ。