金曜日、5時前に起きて、5時15分に家を出て、5時24分の日ノ出町発、京急に乗る。いつものように大阪に向かう出張の途上だけれど、今日はちょっと違うのです。靴は目立たないけどスニーカー、荷物もやや身軽に
6時30分のJAL便で、伊丹へ。左側の座席に座ると、三浦半島が見えた
新大阪であさごはん。
最近オープンした、地下鉄の改札を出てすぐにある新なにわ大食堂で。この場所、地下鉄が通るたびに直下型の震度2くらいの突き上げるような揺れがあるんですが、大丈夫なんですかね…。揺れるたびに、今度はほんとうに地震じゃないの?と不安になってくる。
午後からは中之島に移動して仕事。昼休みにちょっと時間の余裕があったので、国立国際美術館に寄って、常設展示だけ。東京国立近代美術館のパスポートを持っていれば入れるのだけれど、何度きても、スムーズに入れたことがない。発行枚数が少ない上に、東京で発行されたパスポートをわざわざ大阪で使おうという人間など少ないでしょうから、仕方ないですけど。
通常のコレクション展と合わせて田中一光ポスター展も開催中。もちろんデザインは素晴らしいんだけど、中に、西武劇場プロデュース上方芸の会、というのがあり。1973年12月23日、桂小米改め桂枝雀「つぼ算」桂米朝「地獄八景亡者戯」仲入り、桂米朝「仔猫」、ご案内は小沢昭一と永六輔。なにそれ、行きたい…43年前か。もう、みんな死んでしまった…(永さんは生きていた)
打合せを終えて、さて、移動しましょう。
大阪駅まで歩き、マルビル前からバスで伊丹空港へ。本日乗るのはこちら、カナダはボンバルディアのCRJ200、さすがに50人乗りは小さいよお。
はじめて乗るよ!と言いたいところだけれど、タイかベトナムあたりの国内線で乗ってる可能性も無きにしも非ず。新潟伊丹とか、大分小牧とかの路線で使われていて、乗ったかもしれない。
小回りの利く機体がスルスルと離陸して急旋回すれば、すぐに見えてくる、夏のような雲、雪原のような雲、そして瀬戸内の島々
そう、私は東京に向かっているのではなく、四国は松山に向かっているのですね。両親妹との旅行、本来は本日金曜日から羽田基点で一緒に向かうはずだったんだけれど、金曜日に仕事が入ってしまったので、私だけ大阪から別途向かったわけ。航空券のチケット、片道5000マイルで引き換えが出来て助かったのことよ。
瀬戸内海の美しい夕暮れを見ながら松山空港に着陸し、バスで松山駅
そして道後温泉の本日宿泊する『椿館』へ。ざんぶと快適な温泉に入り、今日巡ってきたという、しまなみ海道の話、大山祇神社の話、おばちゃんがやってるすごいうどんやの話等を聞きながら、宿のお食事。やや風情に欠けるお食事どころでしたが、なかなかおいしゅうございました。しまなみ海道は2度行ったことがあるのでな
温泉旅館に来ると大抵、晩飯を食べると寝てしまうのだけれど、道後温泉は晩飯後もすこし街をぶらつこうという気分になるのが良いですね。宿の浴衣でぶらり、ぶらり、再来年あたりから一部営業しつつの改修に入る道後温泉本館など眺めつつ。道後温泉の商店は大概、22時まで営業していて、風呂上りのそぞろ歩きでも寄れるようになっているのが素晴らしい。
さて、それはそれとして。道後温泉、山口晃とコラボした企画が4月末からはじまっているというので、街中に作品がいろいろあるのかな、と思っていたんですね。
もちろん、あの山口晃さんのことであるから、はじまって一ヶ月で全部が揃っているとは思わないけれど、なんかしらあるだろうと。…いやあ、ないのねえ…。とりあえずあったのは、こんな、内容のわからないチラシだけ。 裏は白紙
エトランゼマップというのを作って、観光案内所やホテルで配布中ですと聞いたのだけれど、宿の人に聞いてもまだ情報がありません…と戸惑うばかり。
街中にもノボリはあるのですけれども。
それ以上のものは何も無し。どうも、こういうことになっているらしく。
エトランゼマップも、最初に刷ったモノクロ版はとっくに配賦終了し、今はカラー版作成に“向かっている”最中であるとか。さすが、山口晃画伯であるなあ、と思ったのでした。空港から松山の街中から道後温泉に至るまで、ポスターはよく見かけたのですが、作品らしい作品は、道後温泉本館の2階の座敷で飛行機百珍図を見たのみでしたね…
「小出しにしてゆきますので、温かくぬるく期待してください」とのことなので、夏はまだ早い、秋ごろにくれば、いろいろあるかもしれません