日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

今日の日記

朝は遅めに出て、江田までバスで行って、乗り換えて田園都市線沿線の客先でシステムのテストなど。すんなり終わる。
途中、市ヶ尾の駅で降りて、駅前のラーメン屋で昼飯。ラーメンと餃子のセット850円也。冷房が効きすぎていて死にそうになる。ついでに市ヶ尾の素敵酒屋に寄ろうとしたのだが、今日は休みだった。ここからバスに乗ってみたら、あらぬ方向に連れて行かれて再び横浜線に乗る羽目に。まあ、時間にして20分くらいのロスなので、多めに見てやってほしい。
会社に戻って、仕事。8時前までやって帰宅。途中、TSUTAYAによって、

を借り、家で鑑賞。イイ!すばらしいアクション映画。私はブルース・リージャッキー・チェンにそれほど思い入れがあるわけではないんだけど、純粋に美しい体のこなし、キレ、動きを見ているだけで楽しい映画。ひたすら逃げるシーンが秀逸。あと、本気で殴ったり蹴ったりしてて本気で痛そう。お約束のNG集が一番痛そうでガクブル。
ストーリーは、村から盗まれた仏像を取り返しに行く、というプロットで、仏像というところがタイらしいというか。最期に仏罰で悪が滅んだりするし。ムエタイ青年が村から出てきたバンコクが物凄く退廃的に描かれていて、あれは「地方の人間の純粋さ」を表現しようとしてワザとそうなっているのか、あるいは多くのタイ人にとっての共通認識なのか、あるいは映画制作者の現代風俗に対するズレっぷりが露呈しているだけなのか。

ずる休み

おじさんと同居してた時は、月に一回くらい病欠(と言って)ズル休みしてたんだよな会社。
 精神的に煮詰まってくると「私をこんな気持ちにさせる世間が悪い、休んで何が悪い」って思えてきて電話してふてね、っていう。
http://d.hatena.ne.jp/yasai/20050705/1120564038

精神的に煮詰まってる時と、仕事が煮詰まってて休んだら大勢が困るだろうなーという時を、自分は意図的にずらせるようにしてるので、遠慮なく休むようにしてる。
ズル休みによって大幅な迷惑掛けるわけじゃなくちゃ、たまにはズル休みもしないと。自分の体と心は自分しか守ってくれないし。どこかで「ぷっつん」しちゃうよりも、よっぽど迷惑かけないし良い事だ。
まあ、自分で思うほど、周りは困らなかったりするもんだし。
本当に仕事が煮詰まっている時は、休んだらどうなるか考えるほうが怖いので、精神的に煮詰まっている場合じゃなくなる、というか。ふっと気が抜けたときが案外危ない。
「病気」って言っても、会社のほうでは薄々「ん?」と思ってるかもしれないが、度を越さない限りは何も言わないし。年休消化しているだけだから。
仕事がバッティングして、両方の顔立てなくちゃいけなくなって、行かなくても困らない方を「病気で‥」と断って、もう片方に行ったことがあった。ああいうのはもうやめようと思う。労災とかいろいろ難しい問題もあるし。

居ないと困るときに限って休む人というのも時々いる。そのうち、何時でもいなくても困らない人になっていた。それはそれで良いかもしれない。

配管工の持つ意味

大分、乗り遅れた話題ですまないけど

http://www.excite.co.jp/News/odd/00081120075452.html

フランスにおいて「移民に仕事を奪われる」という話の象徴として「ポーランド人の配管工」を槍玉に挙げられたのだが、それをポーランドが逆手にとって観光誘致をしたよ、という話。
ここで考えたい、というのは、「配管工」の西洋における意味合い。
昔から自分の中で理解できないものの代名詞が「アメリカ人にとってのアメリカンジョークの真の面白さ」と「ヨーロッパにおける配管工という職業の持つ意味」であるのだが。
配管工というとき、それは単にブルーカラーに対する差別的な視線なのではなくて、かといって労働者の団結の象徴、とか言うのでもなくて、何かしらの悲哀というか、微妙なニュアンスが感じられる。宇宙戦争における、「港湾労働者」という設定も色んな意味で微妙、というか、あー、これは止めとこう。微妙過ぎてよくわからん。
これに似てるのがアメリカにおける「勤務中の警官がドーナツを食べる」とか。これもニュアンスが掴みきれない。んー、書いているうちに益々解らなくなってきたが。
結局、こういうニュアンスの部分が、異文化理解とかいうときに1番理解できない部分なのだろうなあ。