日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

プリミティブな不味さ

4時半起床。綱島から電車、寝ているうちに横浜。バス、寝ているうちに羽田空港。飛行機、寝ているうちに伊丹空港。凄いなあ、私が寝ているうちにも世の中は動いているのだなあ。モノレールで出勤、仕事。
昼ごはんは会社の食堂で食す。なんというのだろう、これほどプリミティブな不味さ、何の個性も無い不味さというのは非常に関心する。
街の食堂や、やる気の無いラーメン屋で「まずい」という場合、それぞれに「違う不味さ」「不味さの個性」が存在する。また、ファーストフードやジャンクフードの不味さというのは「個性」は無いのだが、なんだろう、そこに郷愁とか哀愁とか社会的公憤とか、色々な意味づけをさせずにはおれないものがある。サプリメントサプリメントで、明確な目的意識がこちらに存在しているので、まあ、それはそれなのだが。
ここの食堂は、一応ラーメンが出てくれば「ラーメン」としか言いようの無い、別の言葉で言えば、ラーメン以外の方法で表現してみろと言われても申し訳ないと謝る(誰に対して?)しかない味がするわけで。もっと言えば味がしている、ということ自体、これまでの経験知が私をしてそう言わしめているだけで、新しい発見とかそういうものはまったく皆無なのである(もちろん、「味が無い」わけではない。味が無いということは、それはそれで驚天動地な驚きで、生物的なレベルで不快ですらある)。そうすると、もはや「不味い」と表現して良いものなのかすらも不分明になってきて、とにかく、美味いとは到底表現し得ないし、では「美味くも不味くも無い」と言うとすれば、私がこれまで食べて「美味くも不味くも無い」と表現してきたものに対してあまりにも失礼だと思うので、「不味い」と言うのである。
それほど、実にプリミティブに「不味い」のである。怒りもこみ上げない不味さである。「ああ、不味いのだなあ」という感想しかないのである。そして、私は曲がりなりにも栄養を摂取して午後の労働に従事するのである。人間の食事がすべてこのようなものだったら、人生とはいかに暗く辛いものだろうなあ。