日毎に敵と懶惰に戦う

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古賀政男歴史博物館

いろいろあって再び小田急線の人となり、代々木上原で下りる。日本民芸館に行こうと思って駅を出ると、JASRACの事務所はこちらです、との看板が。ネット上で色々と賛否両論、というか非難囂々の事務所をどれどれ見てやるかと足を伸ばせば、それは古賀政男歴史博物館の隣であった。

元々、ここは古賀政男の家があったらしく、JASRACのビルもその敷地の一部なのだろうか。ともかく、せっかくなので入ってみる。中のホールでは何かの歌の大会が開かれていて、マイクロバスで乗り付けたおばさんおじさんがうじゃうじゃしておったわい。香水の匂いキツし。
記念館は、音楽業界に功績のあった人を顕彰するコーナーからはじまる。古賀政男、というより、JASRACの以降が強く働いているっぽいが。毎年新たに顕彰しているらしく、最新の顕彰者の一人が川内康範。関連する品が飾られてあったが、レインボーマンは漫画がさりげなく置いてあるだけで言及は一切無し。……ねえ。ふふふ。
次のコーナーに進むと、古賀政男の家の一部が再現されていて、遺品がいろいろと飾ってあった。遺品そのものにはそれほどの興味は無いものの、古賀メロディを聞いてみよう、のコーナーで、あっちこっちの社歌を聞いて和む。特に『三菱音頭』『キャノン音頭』*1の能天気なメロディと歌詞におお笑い。
キャノン音頭、「舶来のカメラを有難がる時代は過ぎて金髪の娘さんがキャノンのカメラを…」とか「輸出日本を背負って立つ」とか、そういう内容が実に能天気な音頭になっていた。作詞は西条八十だそうな。西条八十も、『比島決戦の歌』の「いざ来いニミッツ マッカーサー 出て来りゃ地獄へ 逆落とし」は戦争中で仕方なく作ったとか軍人が勝手に作ったとか弟子が言い訳しているけど、案外、こういうノーテンキで馬鹿な歌詞が好きだったんじゃないか知らん。しっかし、キャノン音頭、歌詞をメモってくれば良かったな…。検索してもどこにもデータが無いよ
地下には何故かカラオケルームまであって、じいさんが古賀メロディを熱唱していた。しかし、皆さん、古賀政男の哀愁のメロディにそんなに思い入れがあるのだろうか。私は古関裕而のが好きですが。なんだか不思議な空間、古賀政男歴史博物館。JASRACの影が妙に濃い施設。

*1:キヤノンではなく、キャノンと書いてあった