靖国神社 の広前に 大村 川上両雄の
いさおも高き銅像は 千代も朽ちせぬ世の鑑
遊就館に入り見れば 古今の武器や戦利品
国につくししますらおの 肖像高く掲げらる
靖国神社に詣ずれば 大君のため国のため
身をつくしたるもののふの 御霊ぞ代代を護るなる
土曜日。午後から出かけて、三の丸尚蔵館で「花鳥」の第四期、伊藤若沖と酒井抱一。鶏尽くしと虫と貝、今回はクライマックスかも。東御苑で、丸ビルで買った麻婆豆腐丼で昼飯を済ませ、国立近代美術館へ。吉原治良展など。作風の変遷が面白い。
その後、話題の靖国神社に久しぶりに足を伸ばしてみる。こんな
看板が掲げられていたりして、いろいろとナーバスになっているのだろうか。
遊就館に足を伸ばす。すぐ前に
こんな、パール判事を顕彰する碑が。去年の6月にできたものである。碑文もなかなか奮っている。小さい画像だと読めないので、読みたい人はクリックして下さい。
碑の前で、中国から来たと思しき家族連れが盛んになにやら話をしていたが、何を話していたのだろうか。
で、ここまできたのだから、遊就館にも入らなければなるまい。
遊就館は昔からあった施設である。上の「電車唱歌」の歌詞にも歌われているように、戦前から『古今の武器や戦利品』『国につくししますらおの肖像』が飾られているという内容にも変わりが無い。
で、さて、この遊就館は、平成14年に改修、増築がなされており、展示スペースも随分広くなっている。私は改修前にも、1度か2度入ったことがある。
これは私の記憶なので間違いがあったら申し訳ない、指摘していただきたいのだが、昔の遊就館は、確かに多数の兵器、戦争遺産が展示されていたが、あまり纏まりのある主張や史観が強く押し出された施設ではなかったように記憶している。平成14年の改修を機に、内容はかなり変質したのではないだろうか?
つまり、現在の展示の内容なのであるが。まず、最初の展示室からして、部屋の三方に掲げられた和歌、刀、武人の心意気、というような、つまり心して見学して下さいね、ここはそういう施設です!という前置きがなされる。
続く展示室の数々は、即ち「日本の維新以降の戦史資料館」の趣である。江戸時代後期の外国船の到来と海防の心、西南戦争、東京招魂社の成立…までは割合淡々としているのだが、日清戦争の展示にかかって徐々に高揚し、日露戦争の解説でまさに絶頂を迎える。
映像での日露戦史紹介においては、『203高地攻略!』『奉天会戦勝利!』『日本海海戦勝利!』と、いや本当に、いちいちビックリマークつきで活字がババーンと現れて、ナレーションも煽る煽る。それはそれは勇ましいことである。『まさに日本の武士道精神の現れたる…ステッセルも感激し…世界を勇気付ける日本の勝利…』こういうと反発する人いると思うけど、朝鮮中央通信みたいだよ。
日露戦後は、第一次世界大戦、日支事変と進んでいくわけだけれど、ここにおいては、日露戦争で欧米列強に警戒された日本が、いかにしてABCD包囲網に絡めとれられていったか、第二次世界大戦はいかに不可避であったか、の説明に費やされる。日本の資源が不足しており、アメリカの禁輸で実質開戦が不可避に…という具合。
そして、真珠湾攻撃。開戦。これはもう、どうやっても繕いようがないので淡々とした戦史紹介でお勉強になるのであるが、終戦時においてはソ連が酷い、という説明にわりと力点が置かれ、そして『日本は敗れたが、おかげでアジア、アフリカの国々は独立したのでした』となる。
別に私、これらの見解に全般的に否を唱えるわけじゃないんだけど、しかしねえ、昔の遊就館のしっとりした雰囲気からすると変わりすきじゃないのかしらん。今の宮司の南部利昭って人がどうも…と思うのだが。
遊就館のお客さんは、なぜか、西洋人の若者が物凄く多かった。同行の日本人にいろいろ解説してもらいながら見物していた。どういう気持ちであれを見ていたのか、ちょっと聞いてみたいところであった。
http://monologue.moe-nifty.com/dalian/2005/03/post_13.html
今の展示内容に賛成、という人であるが、やはり、内容は昔に比べてかなり変わったようだ。