日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

政治的立場はともかく

読んだ。森巣博が挑発して、森達也が宥める、という構図は最後まで変わらなかった。おそらく、政治的な立ち位置として受け入れられない人もおろう、というか私は受け入れられない部分が多多あるのだが、それは置いておいて。
森巣博は挑発役だからとりあえず放っておくとして、森達也が淡々と述べる、メディアと世間が無意識に、デフレスパイラル的に空気を醸成していく様、というのがリアリティある話で、うん、考えさせられる。つまり、決してどこにも黒幕などおらず、何となく空気を読むこと、ひたすら善意であることが、抜け出せない迷い道に全てを嵌りこませている。無意識で無自覚な共犯関係。森巣博は「世論を作ってるのはメディア。メディアがちゃんとしないと駄目」的な、ある意味でメディアへの信頼、というか、メディアの力を信じた論を展開するんだけど、いやまあ、それも挑発かもしれないんだけど、それに対して森達也は、そうではない、共依存関係、卵と鶏みたいなもんなんですよ、と、日本のテレビの現場にいる人間として、淡々と述べるのである。
例えば、今、テレビのワイドショーで誰かが「キチガイ」と発言すると、2chでは「キター」と盛りあがる。だけど、2chで「キチガイ」という発言が本当にけしからんと思っている人などどこにもいなくて、つまりテレビが言葉狩り的に差別語を封じこめてきたことへの皮肉として「キチガイっていっちゃったよ!」的な祭構図があるわけで。で、冗談半分に抗議の電話をかける人間もいる。受けるテレビ局もそれがどういう意図のものか分かっているんだけど、しかし抗議されるのは面倒くさい。そして、本当に溢れんばかりの善意から、テレビ局に抗議する馬鹿もいるわけで。それがデフレスパイラルを起こして、テレビでは益々、キチガイという言葉が居場所を失う。本当にその言葉を使うことの意味については誰も考えないまま。
戦前の空気の醸成にしても、マスコミが言うように「強権的な軍部」にすべての責任があるわけで無く、一部の人が言うように「新聞が扇動した」ばかりではなく、「一応総懺悔」的な、世論に全ての責任を負わせるべき問題でもなく、つまり、ぐるぐるとスパイラルを描きながら、誰に責任があるのか分からないまま作られていく日本特有の空気。そういう部分についての、森達也の実感は面白かった。
政治的立場について言えば、拒否反応を示したい部分も多いんだけど、それだけで切り捨てるには勿体無い、わりに面白く読める本。