日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

日本食雑感

渋谷駅構内の書店で、軽く読める本を物色していて購入。私は醗酵食品が大好き。特に乳酸菌醗酵系は辛抱溜まらんのであり、琵琶湖周辺のふな鮨などは心躍るので、だからしてキムチも韓国できっちり作っているような乳酸菌醗酵のキツそうなのが好きなのです。
で、そういうわけだから、小泉武夫の本は時々読む。んで、この本も、小泉センセの日本食文化至上主義みたいなのが多少鼻につくのを我慢して読めば、なれずし、豆腐よう、かんずりカラスミ、メフン、そして酒、と、読むだけで涎をたらしそうな美味そうなものが並んでいるのであって、その作り方まで詳しく載っているので、ほうほうほう、と愉快に読めるのだった。
で。日本の各地でこのような美味そうな食い物が沢山あるのはなぜだろう、と考えるに。日本人の『創意工夫』だの『不断の努力』だの座りの良い方向に話を向けても別に構わんと思うし、勿論そういう部分もあるのだとは思うが、待て暫し。
やはり、なんでそんなにまでして、というような複雑な工程を経た保存食品があっちこっちに膨大にある理由を考えるならば、そうでもして食わなければならなかった、という、基本的な貧しさというのがあったのだろう。急峻な地形と長い海岸線に囲まれた国土のおかげで、食材の種類は豊富なのだけれど、なにしろ鉱物と一緒で少量多品種なので、決定的な蛋白源なり栄養源なりがなかったのだろう。だから、いろいろ工夫して、栄養源となるような保存食品を常に考えていなければ生きていけなかったのか。
そして、中国からの文化の流入地、という性格もあるのだろう。中国でいろいろと工夫された調理法などが、その工夫された後に渡来してきて、それから先に渡来する先の無い日本で、同じものが揃えられない食材の代替品を考えたり、いろいろと試行錯誤をしているうちに、いろんな派生が生まれたのだろう。
地形や文化的な要因からくる、村落の独立性とかその間の適度な交流とかも、各地で様々な食材、調理法を発展、保存させて、あるいは融合して、特定のものに淘汰されること無く、多様性が保存された、という性格があるのだろう。特定の食材と特定の調理法がみんなの胃袋を満たせて栄養を充足させるのであれば、勿論文化的多様性というのはそれで割り切れるようなものでも無いのだけれど、もう少しは淘汰が起きたと思う。ようするに、根底の部分においては、やはり貧しさ、というのがあったのだと思う。
それと、まるで大昔から大層な創意工夫、試行錯誤が行われているような話でも、むろん原型は昔からあったのだろうが、その多くの洗練の部分は今日の努力によるもので、それほど歴史のあるものではない…というものも多いように思う。
などと、少し思ってはみたが、私は専門化では無いので良く判らないし、なにしろ現代に生きる私としては、世界中からの豊かな食材と、不思議な珍味を同時に味わえるという現実を有難くも享受するばかりなのだった。今日も酒が美味いなあ。