日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

横浜美術館『ゴス展』

横浜美術館で昨年末から始まっているのは『ゴス展』。ゴス、つまり、ゴシック。横浜美術館って、一昨年の年末にやっていた『アイドル!』とか、一風変わった展覧会をよくやりますね。
http://d.hatena.ne.jp/zaikabou/20061103/1162640665
今回のゴス展は、現代美術におけるゴシックな表現をあつめてみました、というもの。ゴシックといっても、最初に展示されていたリッキー・スワローとか、Dr.ラクラとか、髑髏とか骸骨だの、古い写真や絵葉書や昆虫のコラージュとか、なんというか、中二病臭のキツイ、ポップアートという感じで、ちょっとなんだかなー、と思う。
束芋の作品は、360°のスクリーンに、手をモチーフにしたうにょうにょうにょが映し出される、というもの。2005年のKIRIN ART PROJECTに招待参加していた作品ですね。ずっと眺めていると、ひじょーに、うにょうにょうにょと、もにょった気分になる映像作品でした。束芋の作品って、音の作りこみも、生理的不快感を惹起して止まない。
http://d.hatena.ne.jp/zaikabou/20051002/1128247254
ところで、束芋の作品を見るスペースは暗幕で覆われていて、そこに入るために靴を脱がなければいけないのだけれど…。この正月の2日と3日は、ゴシックな格好をしてきた人の写真を撮って、審査員が評価します、というイベントをやっていたせいもあって、ゴスロリな格好をしてやってきた人たちが散見された。で、あの人たち、大抵が、脱ぐのに非常に苦労する靴を履いているわけですよ。だから、束芋の作品の前で、入るのを躊躇しているわけです。ゴスロリの人にやさしくないゴス展ではいかんと思う!なんつて。
あと、この“審査員”って中に束芋先生も入っているのですが、ゴスロリの審査をするのに、束芋先生って適任なんでしょうか。
吉永マサユキの作品は、街のゴスロリな人たちの写真の洪水。それぞれの目一杯の自己表現をした少女たち、ま、主に原宿界隈で撮影したんだと思いますが、その写真が沢山展示されていた。興味深いのが、それぞれの部屋の写真であり。それぞれ、自分のファッションにあわせた精一杯のインテリアで覆われた空間になっており、ゴテゴテした家具や、部屋にあふれる人形や、あるいは、ベットカバーが髑髏マークであったり。しかしとにかく、全部を眺めていくと、和洋折衷のゴタマゼであり。とにかく自分の信じる感性にあったもので埋め尽くす、という主義は一貫しているようなのであった。世の中を『かわいいとかわいくないで峻別する』少女、あるいはまた、表参道のクレヨンハウスを訪れて、『絵本的なものと絵本的でないものの峻別』というテーゼを提示したのはナンシー関であったろうか。この人たちは、『ゴシック的なもの、ゴシック的でないもの』で世の中は峻別されているのかもしれない。
一つ、みっひーたんのぬいぐるみと衣装で溢れかえっている部屋があり、和む。
イングリッド・ムワンギ・ロバート・ヒュッターの、中二病テイストな映像作品が一つ。しかし、さっきから、海外の作家をすべて中二病で片付けてしまっている私ですが…。文化折衷という分野では、日本はその長い伝統があるせいで、捻くれてまくってしまっているのかも、しれませんね。
ピュ〜ぴるのポートレートはやはり衝撃的で、自傷的な写真作品は、ワタクシ、とりあえず見てください、という言葉しか表現する言葉を持たないのだった。
今回の展覧会については、ここに写真が沢山出ていて、詳しいです。
http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2007/12/goth-photo.html
というわけで、常設展を見る頃には草臥れてしまい、ベンチで居眠りをしたり。カフェで草間彌生なソファに腰掛けてコーヒー一杯。

家に戻って、今日も今日とて、ニトリ製の家具を組み立てる。今日は割合、上手にできた。