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東京藝術大学美術館『夏目漱石の美術世界展』で“あの”作品や“この”作品が

あまり絵画に興味もない小学生のころ、夏目漱石の『坊ちゃん』をはじめて読んだとき、なんだかよくわからないまま心に引っ掛かったキーワードが、笹飴とターナー。母親が新潟出身なので、ばあやの好物の笹飴はその後早い時期に食べる機会があり、うーんこの…みたいな感想だったわけですが…赤シャツがターナーの絵のようだ、と言ったその肝心のターナーについては、あまり触れる機会がなかったわけです。
その『曲り具合ったらありません』な松の木が出品されている!

というわけで、東京藝術大学美術館で開催されている『夏目漱石の美術世界展』、金曜日の夜にブロガー特別内覧会というのが催されてて、行ってまいりました。会場内の写真撮影は、特別に許可をいただいています


夏目漱石の美術世界展
http://www.tokyo-np.co.jp/event/soseki/
ぱっと浮かんだのは『坊ちゃん』のターナーなんだけれど、漱石作品には実に多くの美術作品が登場していて、そして同時代の美術作品についても多くのコメントを書いたり、自分でも作品を物したりしている。それらの作品を可能な限り集めてきた展覧会。たとえば、『夢十夜』に出てくる豚の話。何万匹もの豚が谷底へ落ちてゆく、その元の絵を見る機会に恵まれようとは、日本初公開という『ガダラの豚の奇跡』は、漱石が留学中に見ていたのだろうなあ、と

あるいは、『こころ』の中で先生が、自叙伝を書くために自殺するのを繰り延べた、という話で引き合いに出すエピソード。渡辺崋山が『邯鄲』の絵を描くために死ぬのを繰り延べした…という、まさにその邯鄲の絵…実際のタイトルは『黄梁一炊図』というんですが、それもある

洋の東西にかかわらず、漱石作品が引用されつつ、関連作品の本物(本物!)がちゃんとある、贅沢な展覧会なのであります。で、この引用のキャプションが面白いんで(そりゃそうですよね…)、ついつい、じっくり読みながら作品を見てしまうんですね。ウォーターハウスなんてちゃんと見たのはじめてかもしれん

勿論、作品内に登場するだけでなく、いろんなところで言及した作品、好きだった作品なんかもあって。漱石雪舟以降の水墨画狩野派や円山派など江戸時代の絵画全般が好きだったそうで、また、当時はあまり注目されていなかった俵屋宗達の魅力に積極的に言及したのも漱石だったみたい。その後現代に至るまで、江戸期の絵画の魅力は割合海外の人士によって“再発見”されていくわけですが、そういうところからも、夏目漱石の近代的自我、というものに思いを馳せてしまったりするわけです。『草枕』には、若冲の鶴の図まで出てくるのだなあ

作品の再現、という面白い企画もあって、例えばこれは『虞美人草』に出てくる、架空の酒井抱一作品を推定試作、という試み《虞美人草図屏風》荒井経

あるいはまた、『三四郎』のラストシーンに出てくる、黒田清輝をモデルにしたと思われる画家の原口が描いた《森の女》を佐藤央育が黒田清輝風に推定試作。となりには本物の黒田清輝の『婦人図(厨房)』が飾られているという…なんだかもう、ややこしゅうて、何がなにやら(笑)

地下の展示会場には、文展出品作が山ほど。このあたり、さすが藝大で開催の展覧会、という感じ


漱石は『文展と芸術』の中で同時代の作家の作品について随分言及していて、これが作品脇のキャプションにも書かれているんですが、本当に言いたい放題でひどいことも随分書いている(笑)文展は後の帝展、今日の日展へと連なるわけでして、まあ今日における日展の位置づけは…………………なんですけれど、当時は、当代の最先端の作家がこぞって作品を出した展覧会であることは間違いがない。当代随一の人気作家が、その作品についてあれこれ言いたい放題する、たとえば村上春樹村上隆やら会田誠やらの作品に言いたい放題していると、今の状況に置き換えて考えると、これは相当、面白い事態ですよな(いや、文展の位置づけからいえばそこは例えるなら…とか突っ込みはご容赦w)
単純にそれだけの文展出品作をまとめてみるのも面白く、やっぱり萬鉄五郎はいいなあ、なんて見ておりました。それに加えて、浅井忠、橋口五葉、中村不折、津田青楓など、親交のあった画家の作品もたくさん。で、漱石さん、それだけ言いたい放題に人の作品を批評しておきながら、自分でも描いているという…

で、これがもう、いかにも文人画だなあ、というような作品でありまして。あれだけ辛辣に言いたい放題しておいて、こんなたくさん、うん、まあ、という、○○風、みたいのがあるもの文人画っぽくて、やっぱり神経図太くないと作家という商売は成り立たんな!みたいにも感じたわけであります。『こころ』の自筆原稿なんかもありまして、本人の絵画含めて、このあたりはすべて岩波書店の所蔵なんですね

橋口五葉による、装幀、挿絵もとても美しく、かつ、スタイリッシュでした


題名からの想像を良い意味で裏切られる、非常に充実した展覧会で、キャプションを読みながらじっくり見るとかなりたっぷり時間がいります。漱石の時代を感じられるような、楽しい、そして豪華な企画なのでした。東京芸術大学美術館では7月7日まで、その後、7月13日から8月25日まで、静岡県立美術館へも巡回します