日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

参拝は諦めて

追悼集会が行われている特設会場の脇をすり抜けて、道を渡ると、そこからさきはぎっしり動かない行列になっていた。非常な暑さの中を、勿論老人が多いのだが、びっくりするぐらい老若男女、多種多様な人が汗を流しながら並んでいる。これでは参拝しようとしたら何十分もかかりそう。次の予定もあるので諦めて、やや参道の脇にそれて木陰に入ると、12時になり、合図と共に一斉に黙祷を捧げる。いままでざわざわして、多くの人が右往左往して歩き回っていた参道の動きがピタリ、と止まり、水を打ったように静かになる。五月蝿いほどの蝉の声だけが響き、遠くのほうから、終戦60年目だと知らせるNHKのラジオの音だけが微かに聞こえてくる。胸を打つものがある。何かがこみ上げてくる。この空間全体から、共通の思いのようなもの。ここに、今、様々な思想信条の人たちがそれぞれ思いで参拝したり、冷やかしたりしている。だけど、どこか、底に共通する思いがあるはず。それは嘘偽りの無い心情として。こうして今、生きて日本と言う国で暮らしていることに対する思い。
たちまち1分間が過ぎ、再びざわざわとし出す。どこかの団体の人たちが直立不動で君が代を歌いだす。

その横を抜けて、参道を逆戻りする。教護所では暑さに耐えかねて倒れている老婆が幾人かいた。

再び、追悼集会の会場まで戻ってくると、天皇サイパン行きに関する報告があり、ややあって「海ゆかば」の斉唱が始まる。なぜ、こんなに悲しい歌が軍歌なのだろう。じっと立ち止まって最後まで聞いてしまい、小さな声で口ずさむ。この歌も、当初は戦意高揚の歌であったと言う。しかし、戦時中にニュースで度々使われるうちに、鎮魂の歌に変容していったと言う。しかし、もとからの意味においても、それは「悲壮な決意」であっても「揚々たる戦意」とは思えない。当時の人たちの戦争というものに対する思い、私には理解し得ないものがあるのだろう。