日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

プロパガンダの香り

『若者の人間力を高める国民運動』『若者の人間力を高めない非国民運動』『若者の人間力を高めない非国民運動が大嫌いだ宣言2.0』まわりで少し。
『若者の人間力を高めない〜』のPAFFの人たちは「働きません」とは一言も言っていなくて、
「本当は働きたくありません。労働にやりがいなんてありません。だけど飯食うには働かないといけません。だからフリーターでも十分飯食えるだけの賃金ください」
と言っている。だから、『若者の人間力を高める〜』に対して「人間力=働く意欲かよ」みたいな反発をする。大きなお世話だ、資本家のせいで正社員になれずフリーターしてるんだ、俺の意欲の問題に刷り替えるな、これ以上働きたくねーよ、みたいな。ところが、それに対して批判者は、ああ、この人たちは働きたくないのかな、みたいに思うので
「労働は食うためだけじゃなくて生きがいでもあるんだよ」
という視点を出してきて、働くことも悪いことばかりじゃないよ、と言おうとする。ここに
「俺なんか、死に物狂いで働いてカツカツで暮らしているんだ。甘いこと言うんじゃねーよ。働け!働かざるもの食うべからずだ!」
みたいに先鋭的な批判も出てくる。そうなると
「働かざるもの食うべからずとはなんだ!餓死させたいのか」
なんて反発がでたりして収拾がつかなくなる。

こういうすれ違いが生まれてしまう出発点てなんなんだろう、と考えてみると、このPAFFの成り立ちから読み解かないといけない。本拠地は早稲田の「あかね」で、まさにここはだめ連の聖地であるわけで、だからこの団体はだめ連とも近いところにあるのだろう。
だめ連のボヘミアンな態度と、PAFFのいかにも労働運動、拳つき上げ団結ガンバロー、な雰囲気がどうにも繋がらない、そこに乖離が見えてしまう。それは、これまで見たことがなかったから、というのも大きな理由であって。
「働くことに生きがいを見出さない」ってのはこれまでの労働運動には見られなかった態度で、これまでだったら「労働と娯楽で明るい社会建設」みたいなのが労働運動だったから、たしかに斬新ではある。ところが、それ以外の運動の手法は手垢の付いたもので、「友人と談笑したり、映画を見たり、読書をしたり、音楽を聴いたり、旅行をしたり、恋愛をしたり」の、瞳キラキラ前向きな態度は、どう見ても「我らの明るい社会建設」もう朝鮮絵画みたいなイメージの世界。
資本主義的退廃の都市生活の中で見出された不健全な楽しみであるところのだめ連的な社会への対し方と、アジビラ撒いて労働運動社会変革勤労者の権利を!的な態度が折衷を取った結果、見た事が無いようなよくわからん運動体になっちゃたんではないか。
その時点で、おめめぱっちり瞳きらきらな「生きがい」なんて眩し過ぎて、やってられるか、な人たちの支持も得られなくなる。
PAFFの人たちは、もっとプロパガンダ臭、労働運動の香りを排除して、別の運動のありかたを模索したほうがいいんじゃないだろうか。サニーサイドアップにでも応援してもらって。

(明日へつづきます)

参考
http://a.sanpal.co.jp/paff/
http://roudousha.seesaa.net/article/8768796.html
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20051030/1130682434