内職長屋
私、大学生のころ、落語研究会にいましてね。活動の一環で、消費者啓発落語ってのをやるのです。お年寄りが悪徳商法にひっかからないようにするために、落語仕立てで啓蒙するのね。東京都消費生活センターが斡旋してくれるの。その脚本の依頼も時々来るわけです。
ある年、落語研究会に来た原稿依頼について、わたしが書いた。お題は移民長屋。送ったら、すぐに電話で呼び出しを受けたわけ。使えねえよこんなの、と。当たり前ですね。ここに公開するのも憚られる内容なので公開しません。
消費生活センターの人、問題のある表現を逐一アドホックに修正してくれようとしていて、いや、すみません、それなら、ということで、全面改稿しわけです。その原稿がこちら。整理してたら出てきたので載せておきます。
17年くらいまえのもので、新作お披露目の会ではかなり受けたんですが、その後、このホン指定のお仕事の依頼は無く、披露する機会は一度もありませんでした。
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長屋なんてところは、あんまり金持ちは住んでいない。金のないのばかり集まっております。現代の長屋もいろいろとバラエティにとんでいるようでして…
八「おい、みんな集まったかい?与太郎まだかい、遅いね、今日は職安行くって行ってたけど。うん、ああ、熊もいない?いいよ熊五郎は、あいつはいつものことだから…。まだ試験勉強してるんだって?いい加減、あきらめりゃいいのに。そりゃあね世の中には弁護士になりたいって夢もって、何年も司法試験を受験してる人もいるよ。だけど、あいつは違うだろう。最初は司法試験受けて駄目で、次の年は公認会計士。毎年駄目だっていっちゃあ、違う試験受けてるんだからね。目的意識も何にも無い。あれじゃあ受かるはず無いよ。今はなんだって?ザリガニの捕まえ方?そんな資格あるの?何してるんだろうね。だいたい、資格を取れば何とかなるってもんじゃないだろう。資格をとらせるって言って、高額な教材を売りつけたりする悪徳業者もいるんだよ。」
与太「うう、遅れて、ごめんなさい」
八「なんだ、与太、今頃来やがって」
与太「いろいろあって、大変だったんだ」
八「なんだい」
八「デモ?ストライキ?今時まだやってんの。で、デモで電車止まったの?新宿争乱みたいだね」
八「なんだいそりゃ」
与太「アンケートに答えてくださいね、って人もいて、遅れた」
八「いちいち相手してるんじゃ無いよおまえは。街歩けないよ」
虎「おい、八、それで何の用だい」
八「ああ、用事?いや実はね、大家が呼んでるんだよ。長屋中みんなくまなく残らず集めろ、だって」
虎「花見に行くのか?」
八「そうじゃねえだろう。だいたいね、あの大家に呼ばれていくと禄なことがないんだよ。この前だってみんな集めてなにするのかなーと思ったら、いきなり洗剤の説明はじめるんだよ。『コノセンザイハスバラシイヨゴレオチデス、ノンデモダイジョウブ。コッチノオナベモイツマデモツカエマス』なあんて言いやがるのよ。」
虎「なんだいそりゃ」
八「それでみんなにも買えだと。会員になってどんどん売ってどんどん儲けましょう、なんて言うんだよ。冗談じゃない。あれ、最初にスターターキットを買う必要があるんだ。そんな金誰も持ってないよ。よしんば持ってたって、洗剤だの浄水器だの、知り合いに売らなきゃいけないんだろ?誰に売るんだよ。コノ長屋の連中、金持ってる知り合いなんてだれにもいないからね!よく、マルチ商法で友人関係が壊れるなんて言うけどね、この長屋の連中はそれ以前に壊れるようなまともな友人がいないんだから。ほんとうにもう…大家、あれで大分損したらしいよ」
虎「さすがに懲りた…」
八「ぜんぜん懲りてないよ。その後も和牛商法とか天下一家の会とか豊田商事とか紅茶きのことか飲尿療法とか北方領土返還運動とかいろいろやってるみたいだよ。いやまあ、それはともかくね、今回は、俺は家賃のことじゃないかと思うんだ。みんな家賃どうなってる?与太はどうだい」
与太「なんだそれは」
与太「それなら、大丈夫だ」
八「本当かい?」
与太「大家さんには30万くらい借りてる」
八「借りてちゃだめだよ!虎は?」
虎「俺は15万くらい」
八「だから借金の話してるんじゃないんだけど…他の連中は…おまえも、おまえも、お前まで?みんな借りてるの?しょうがないねえ、この長屋は。俺たち大家に囲われてるんじゃないんだからね」
虎「そういう八、おまえはどうなんだい」
八「まあ、100万くらい…」
虎「お前、一番酷いじゃないか。大家さん、おかしくもなるよ」
八「まあともかくね、みんな脛に傷持つ仲間だとはっきりしたから。話はね、俺に任せてくれ。なんか適当にパアパア言ってごまかしちゃうから」
というわけで、ぞろぞろ、ずるずるべったりと大家の家へとやってまいりました。
八「大家さん」
大「おお、八じゃないか。よく来てくれたね」
八「ええ、熊以外は長屋中、全員集めました。」
大「ありがとう。まあ、あがっておくれ」
八「それじゃあ失礼して…、こんちは」
い「こんちは」
ろ「こんちは」
は「どうも」
大「はいはい、こんにちは。」
八「それでね、用事なんですけれどもね、もし家賃だったらね、少し待ってもらえませんかね。あって払わない訳じゃないんですよ。みんな無くて払わないんですから。質(タチ)がいいでしょ?」
大「よかあないよ」
八「そんなわけですから一つ…」
大「いや、まあ、それもそれだけどね、早く払ってほしいけどね、今日呼んだのは他のことだ」
八「おや、何の話です、やっぱり花見に行こうとか…」
大「いあや、まあ…。私も大家だからね、うん、おまえたちの仕事のことはいつも心配してるんだよ。いつまでも気が向いたときに働く、すぐやめる、じゃ、今はよくても将来の不安はないのかい?心配しているんだよ」
八「心配ならみんなに500万くらい、ポンとください」
大「おまえね、そりゃあないよ。そこまでする義務はないよ。」
大「お前たちは本当に…ちゃんと働いて稼がなくちゃ。働かなくちゃ駄目だよ」
八「それなんですけどね、みんな働け働けって言うんですけど、なんで働くんです?」
大「なんでって…。そりゃあおまえ、生きていくためだよ」
八「なんで働くと生きていけるんです」
大「そりゃあ、働くとお金がもらえるからだよ」
八「いまいくらかもらってますよ」
大「もっとたくさんもらえるんだよ」
八「たくさんあるとどうなるんです」
大「楽な暮らしができるよ」
八「楽な暮らしって何です」
大「そりゃあ…働かなくても寝て暮らせる事だよ」
八「じゃあ、今働かなくて寝て暮らしてますから、今のままでいいです」
大「うーん」
八「なあ、みんな、そうだよな!」
一同「そうだそうだ」
大「いや、あのね、寝て暮らしてるって、随分借金してるだろ?なんか困ったって言っちゃあ私に金を借りに来る…野菜だの米だので借金しないと成り立たない暮らしじゃだめだよ」
八「あ、大家さん、それは大変な誤解ですよ。私ら、おまんまのための借金なんかしてないですよ」
大「そうかい?」
八「そうですよ。大家さんから借りたお金は、競馬競輪パチンコに酒たばこと大切に使っております。」
大「なお悪いじゃないか!そんな訳分からない…」
八「分から無くないですよ、すぐに明細出せますよ。出しましょうか」
大「いらないよそんなもの!お前は…。食うに困っての借金ならともかく…」
八「大家さん、それは間違い。遊ぶための借金は返せるけど食うための借金は返せないって言いますからね、かえってタチ悪いですよ」
大「どっちにしろ返せないだろ、お前たちの場合は。別にね、私は貸すのがイヤだって言ってるんじゃ無いんだよ。いくらかは余裕のある蓄えだから」
八「じゃあ、貸せばいいじゃないですか。あのね、65歳以上の老人が個人資産1400兆円の半分持っててろくに使わないから景気悪くなるんです。若者に消費させたほうがいいですよ。相続税も高いしね。郵便局預けても無駄な公共事業に財政投融資されるだけで、構造改革の足枷になってるんですから。いわば大家は不景気の元凶だ」
大「どっかで聞きかじったようないい加減な理論を振り回すんじゃ無い、ほんとに」
八「ともかくね、金は借りた方がいいですよ」
大「…何でだい」
八「大家さん、働くのはお金のためですか?金のため?銭のため?」
大「ま、直接はそうだけど…本来は暮らしをよくするためだ」
八「でしょ、あのね、まずお金を借りて使うでしょ、それから働いて返すとなると、これは使ったことのために働いてることになる。ある目的のために働いたことになる」
大「うーん、まあ、そうだ」
八「ところが、借金せずに、まず働いてお金を稼ぐと、直接お金のために働いていることになるわけです。金のために働く、ああ!銭ゲバ!守銭奴!資本主義の犬!大家は人間の心を忘れた資本主義の走狗にさせようとしている!!今こそ世界同時革命を…」
大「いい加減にしろ、馬鹿!…他の連中も恍惚の顔で八公眺めてるんじゃないよ。おい、虎、拝むんじゃない、ほんとに。どういう教育してるんだおまえは長屋の連中に」
八「そんなわけで、家賃の件、よろしくお願いいたします」
大「家賃の話でそこまで遠回りするなよ、話進まないよ…まあいいや、もう何考えていようとかまわないけどね、とにかくちゃんと仕事はした方がいいよ」
八「その点については異議なしです。労働は喜びです」
大「…だからさ、私が仕事を紹介するっていうんだよ。実は私もね、この年になって暇を持て余してるんじゃ早くボケてしまう、なにかやりたい、せっかくだから孫への小遣いぐらい稼げることをしたい…と思ってたんだよ」
八「ほうほう、株かなにか?」
大「そういうのはもう懲りたよ。丁度電話がかかって来てね、ワープロを使って家で仕事をすれば10分で1000円の収入になるって言うんだよ。私も機械には強い方じゃないからその気はなかったんだが、技能試験を受けて合格すれば仕事を回します、教材もきちんとしていますから大丈夫です、と言われてね。この機会にワープロの操作を勉強できるなら…と思って、契約をしたんだよ」
八「へえー。でもそんなに簡単にきめて、大丈夫なんですか?」
大「うん、月々15万円稼いでいる人もいるっていうから。で、それから教材が送られてきたんだが…この年になるとなかなか大変でね。機械のことはよく分からないし。でも、なんとか今度の5回目の試験で合格したんだ。そして仕事も来たんだよ。」
八「そりゃあ良かったですね。」
大「ついてはお前たちもやってみないかい?仕事を探すのも大変だろう?お前たちの年なら慣れれば月々20万、30万と稼げるんじゃないかねえ」
八「成る程。でも試験に合格しないといけないんでしょ?それまでは見習で月々10万ぐらいくれるんですか?」
大「そんなにうまい話はないよ。教材とワープロは買うんだよ。全部で50万」
八「高いよ!そんな金ありませんよ」
大「まとめて払えってんじゃないよ。私は月賦にしてもらったから月々2万円だよ。これが10万にも20万にもなるんだから」
八「あのね、ローンてのはある程度信用がないと組めないんですよ。ここにいる連中じゃ無理ですよ。」
大「そうかい?じゃあ、私が取り合えず、代わりに出してあげてもいいよ。自分の分は心配だから月賦にしたけどね、もう仕事も来たし、お前たちの分は貯金からまとめて払ってやろう。そのほうがいくらか割安らしいしね。そのかわり毎月、ちゃんと1万づつ私に払っておくれ。仕事が来るまで、なんなら月々の家賃はのばしてもいいよ。」
八「それはよしましょうよ」
大「遠慮することないんだよ?」
八「だって、どっちにしても家賃払ってないんですから。そっちに貰うつもりがあって、でも貰ってなくても良かったんでしょ?じゃあ貰うつもりもないなら、その分ください」
大「論理がめちゃくちゃだよ!もう面倒だ、やらないって言うんなら、家賃と借金を払うかここから出て行くかどっちかだ!」
八「切れちゃったよ大家さん。年寄りが切れるとみっともないね。しょうがないな…。お前たち、ああ言ってるけどやるかい?」
い「やってみましょう」
ろ「いいんじゃないの」
は「結構です」
八「じゃあお願いします」
というわけで早速契約を結び、教材が送られてまいります。それから毎日、長屋連中、日の出とともに起床、6時から井戸端で寒風摩擦しつつ発声練習、7時から教材音読大合唱。8時からはワープロの電源の入れたり切ったり100回×3セット。ワープロのキーを一つにつき十回ずつ叩いて満足顔。9時からはワープロ担いで町内三週。遅めの朝食は思い思いに米麦稗粟パンにタロイモ。夜は電源の入切200回×3セット。ワープロでお手玉一時間。再び、菜種油の明かりの下で、教材の素読を一時間。挫けそうになる仲間を励ましながら特訓は2週間続き、全員が合格への確信を持ち始めた頃、大家さん、八の家へと飛び込んでまいります。
大「おい、八、たたたたたた、た、大変だ」
八「心配しなくても、みんな血を吐くような思いで特訓してますよ」
大「それが、初めての仕事を10日前に出したんだけど、書式が違うとかなんだかよく分からないことを言ってつっかえしてきたんだよ。給料も払えないって。それから何回も電話してるんだけど、いつも要領を得ない返事しか返ってこないんだよ。それ以来、新しい仕事も来ないし。仕事を回してくれる約束だろう、って言っても、ワープロの講習と仕事は別、必ず回すなんて言ってない、っていうんだよ…」
八「ええ?じゃあなんですか?みんな月々何十万も儲かるってのは嘘なの?俺たちの分はどうなるんだよ!…おい、みんな、大家を囲め。俺たち、毎日特訓してたんだよ。それに金はどうするよ50万も。どうしてくれる」
い「大家浜辺に埋めちゃおう」
ろ「爪と指の間に針さすってのはどうだろうね」
大「おい、勘弁してくれよ…私は天正少年使節団かい…」
大変なことになって来た時、一人事態の蚊帳の外にいた熊五郎が飛び込んでまいりました。
熊「ちょと待った、殺すのまった!」
大「勝手に殺されることにしないでおくれ」
熊「ああ、すいません大家さん。とにかく、大丈夫なんですよ。」
八「熊、首突っ込まないでザリガニの捕まえ方の勉強でもしてろ!」
熊「あれも落ちたよ」
八「また落ちたのか!」
熊「うん、それでね、今度は消費生活アドバイザーの勉強をしてるんだ。みんなが騙されたのは業務提供誘引販売取引っていうんだ」
八「ぎょうちゅう?なんだそりゃ」
熊「俗に内職商法って言ってね、仕事を紹介するといいつつ、本当は物を売るのが目的なんだよ。今までは取り締まる法律がきちんとなかったんだけど、こんど法律が変わったんだ。大家さんの場合、必ず仕事がもらえるって言われたんなら向こうが嘘をついてた事になるし、仕事の紹介とワープロ販売は別、って言い訳もできなくなったんだよ。それに、トラブルが起きたら月賦の支払いを止めることもできるんだ」
八「ちょっとまってくれよ、大家さんはいいけど、俺たちの分は自分から申し込んだし、お金も大家がまとめて払っちまったんだよ。どうするんだよ」
熊「内職商法にはクーリングオフ、って制度が適用されるんだ。これは、契約書を貰ってから20日以内なら、無条件で解約できる、ってものなんだよ。だからお金も全額かえってくるよ。」
八「本当かい?」
熊「相手に『解約する』という内容証明の手紙を送るんだけどね、消費生活センターに相談すると、詳しい方法を教えてくれるよ。まずは相談してごらん」
八「そうか、よかったよかった。みんな、一人50万ずつ手に入るぞ!」
大「ちょっとまっとくれ、それは私のお金…」
八「細かい事いうな!もう諦めたと思え。ほらみんな、大家さんにお礼だお礼!」
ろ「どうも」
八「あ、そうそう大家さん、一つだけ聞きたいんですけどね」
大「…なんだい」
八「ワープロって、何?」