日毎に敵と懶惰に戦う

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早稲田大学でビラ撒いた人が逮捕された件

撒いていたほうの主張
http://wasedadetaiho.web.fc2.com/
大学側(文学部)の主張
http://www.littera.waseda.ac.jp/littera/PDF/20060110.pdf

私を含め、最近大学に在籍していた人、現に在籍している人は、ビラ撒いているのがどういう連中か感覚的に分かっているので、ビラ撒き側を擁護したり、逮捕されて可愛そう、という感情はまったくない。というか、本当に邪魔。さっさといなくなれ。手前らの権利だけ守りたいだけだろ馬鹿、と思っている。
だけど、では今回の逮捕が正しいか、もろ手を挙げて賛成できるかと言えばそれも「うーん」であり、明らかに大学側、やりすぎでしょう。もうちょっと穏当にやってよ、という思い。だけど、この人たちの活動に署名をする気には毛頭なれない。捨てるには大きすぎる小異が深い川のように横たわっている。
ビラ、ちらし、立看板で混沌とした構内が見事に浄化されていく様を見て、なんでそこまで極端にやるんだろうな、と寂しく思っている事実。ま、単なるノスタルジーであって、今在籍している人は、そういう思いは無いのかもしれない。
その「懐かしむ」私の心情にしても、それが許された、もしくはそれを勝ち取った環境において何かを成し得たわけではなく、ただ「成し得る環境に自身が身を置いていた」ことを、わが身の詰まらぬプライドの一部として、生きているだけなのかもしれない。
その、自分は何もしなかったけれども安住していた場所が、どうも解体されているらしい。いったい、誰に責任をおっかぶせるのか。
いかにも混沌、いかにもカオス「のように見える」大学環境は、大学当局側と適度に仲良くするなかで維持できるものではなくて、無闇に騒いでいて普通の学生の利害とはまったく無縁であった「あの連中」が、勢力を弱めながらも活動していたおかげで、その間に保たれていた絶妙なバランスによって支えられた「パラダイス」だったのかもしれない。闘争史観のおこぼれとしてのぬるま湯の自由。
私は良く、「極端な活動家が結局は大学自治を後退させている」的な論を振り回すことがあった。だが、それ、その自治や自由は元々、その「極端な活動家」が勝ち取ったもので、「そのころ」であったなら、私たちはそれを支持していたのだろう。そして、その活動家たちが時代に取り残され、自滅の道を進んでいくのを見ながら、何もしない身で「あんたらのせいで…」というのはお門違いなのかもしれない、と思う。まあお疲れさん、さっさと退場しなさいね、と肩を叩く位がせいぜいなのか。

今回の件に関して言えば、大学は明らかにやりすぎだが、活動家に賛同するつもりも、まったく無い。だけど、結局、普段は当たり前だと思っていた「大学の自治」なんてご大層なものは、あの活動家のようにやらないと、本当は維持できなかったものなのかもしれない。第三の道なんてかっこいいものは、本当は無いのかもしれない。

この項、以前に書いた内容とちょっと関連しています。
d:id:zaikabou:20051031#1130741422
d:id:zaikabou:20051101#1130824548

(追記)
「だめ人」さんからコメントをいただき、それへの返答という形で続きを書きました
d:id:zaikabou:20060123#1138022624