日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

『嗤う日本のナショナリズム』を読んだ

嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)

嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)

amazonの書評でも誰かが言っていたとおり、ナンシー関の本格的評論を試みた、という点において大いに評価される本だと思う。
文化摂取における同時代性を慎重に避けてきた自分にとって、ナンシー関は「同時代であることの面白さ」を堪能させてくれた貴重なプレイヤーであった。ナンシー関の穴は誰にも埋められぬ。
ま、それはともかくとして。
右にも左にも付かない、アイロニカルな立場としての自分。それをいかに確保するか、いかなる論理によって支えるのか?と問われたとき、つまり生活感覚と向き合うこと…生活保守に落ち込んで心の安らぎを得ようとする自分。それはまさにrir6君に非難されるような、靴下の匂いを担保とする生き様であるのだろうが、そんな個人的感情をえぐってくれた、筋道つけて提示しなおしてくれたという意味において、この本を読んだ体験は有意義であった。
そして、60年代の連合赤軍からの一連の記述が蛇足である…パクリである…という論評も見受けられるわけだが、「蛇足」であることなど、ギョーダイ先生はとくに承知であろう。それぞれの論自体の独自性など、この際、どうでもいいのである。
つまり、さも「時代的固有の雰囲気」であるようなそれすらも、2chですらも、プチ右翼ですらも、やはり歴史…近くは小林よしのり、遠くはビックリハウス、そして連合赤軍という思想の流れの変奏曲に過ぎない、と示すことに意味があったわけである。
その上で…あくまでもそれに自覚的であったうえで…「ああ、歩いてきた道だよね」というニヒリズムからいかに脱するか。あるいは、「歩いてきた道だよね」と指摘することなくrir6君*1をいかに見守り育てるのか、が問われるわけである。

*1:この場合、永遠の15才たるリルリルを指すわけだが