日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

予言と預言と

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060529/1148879893
いや、まあ、これとはあんまり関係無いけれど。
週刊文春を読んでいたら、高島俊男先生が、「お言葉ですが…」の中で

「こないだおもしろいことがあってね、預言てのは預金みたいに神さまから言葉を預かることだと言うやつがいる。失笑したらそいつが口をつがらせて、だって広辞苑にそう書いてあると言うんだ」
二人の足が同時に止まった。
「えっ、ぼくもそう思ってました」
「え、わたしもそう思ってました」
こっちも驚いた。「ブルータスよ、お前たちまでが…」の心境だ。
その時は、「しっかりしてちょうだい」と二人の背中を叩いて大笑いして別れたが、内心こりゃまずいことになったな、と思った。

で、高島先生はその後も、色んな人と話して、みんな間違っていることにびっくりするのである。そして高島先生曰くは、「豫」も「預」も「予」も「異体字」なので、意味用法に違いは無い、字体だけが異なる、と言うのである。

清代の漢訳が「預言」であり日本語はそれを借用したにすぎないこと…
「預言者」という日本語訳が古代ヘブライ語の「ナービー」から直接導かれたものの如くに言うのは詐言である…
日本キリスト教の連中だけが、無知にも、かつ愚かにも「預言者」「預言」と書いたのである。

などと言うわけである。


さあ、わからない。高島先生は漢字については権威だから、語源的には間違いの無い話なんだろうけれど、それを持って、現在の日本において「預言」と「予言」を違う意味で使うことも否定しているのか。あるいは語源に無知な振るまいが許せないだけなのか。
高島先生の韜晦気味の文章から、真意を読み取る読解力が私に備わっていないので、気になる方は、今週の週刊文春を読んでください。