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週刊文春と読売新聞のゴタゴタ

ヤマダ電機記事巡る 読売VS週刊文春「戦争」 (J-CAST)

読売新聞が、広告主のヤマダ電機の「強い申し入れ」に屈し、ヤマダ電機を追及する一連の記事を削除した、と「週刊文春」が報じたことについて、読売新聞側は記事の取消しと謝罪を求めた。しかし、「週刊文春」は翌2007年3月22日号で、再び「読売新聞の嘘『ヤマダ電機追及キャンペーン中止』の動かぬ証拠」という記事を掲載する。文春と読売新聞は一歩も譲らず、戦争状態だ。

http://news.www.infoseek.co.jp/society/story/20070315jcast200726204/

で、どんな話なのか、読売新聞の記事を追ってみる。

ヤマダ電機がメーカー派遣者に指示…職安法に抵触

家電量販店最大手「ヤマダ電機」(本社・前橋市)の大阪市内の大型店舗で、同社員が雇用関係のない家電メーカー販売員に対して、職業安定法で禁じられた業務の指示・命令を行っていたことが、関係者の証言でわかった。
(以下略)(2007年1月23日 読売新聞)

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07012311.cfm

服装、髪、休憩時間…ヤマダ電機がヘルパーに指示

家電量販店最大手・ヤマダ電機大阪市内の店舗で家電メーカー販売員「ヘルパー」に対して職業安定法で禁じられた業務の指示・命令を行っていた問題で、大阪労働局は24日午後、同法に基づき、同店を立ち入り調査する。
(以下略)(2007年1月24日 読売新聞)

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07012419.cfm

週刊文春ヤマダ電機記事巡り、読売新聞が再度抗議

15日発売の「週刊文春」3月22日号が「読売新聞の嘘『ヤマダ電機追及キャンペーン中止』の動かぬ証拠」と題する記事を掲載したことに対し、読売新聞東京、大阪両本社は15日、「事実からかけ離れた印象を与える記事で、読売新聞の名誉、信用を著しく棄損している」などとして発行元の文芸春秋に再度、抗議書を送り、謝罪を求めた。
記事は「読売新聞がヤマダ電機からの圧力でヤマダ電機追及キャンペーンを中止した」とする内容で、3月15日号に続き、あたかも事実であるかのように報じている。大阪本社は、文春側からの取材に「そうした事実はない」と否定しているのに連続して記事を掲載されており、前回分も含めて改めて記事の取り消しなどを求めた。(2007年3月16日3時6分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070316ic01.htm

「ヘルパー」に業務指示・命令、ヤマダ電機に是正指導

家電量販店最大手・ヤマダ電機(本社・前橋市)の大阪市内の大型店舗で、店側が家電メーカー販売員「ヘルパー」に業務の指示・命令を行っていた問題で、大阪労働局は、職業安定法違反(労働者供給事業の禁止)と認定、この店舗とメーカー数社に対して是正指導した。
(以下略)(2007年3月17日3時5分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070317i201.htm

先週の週刊文春によれば、1月の報道は読売新聞大阪社会部のスクープで、その後も追及キャンペーンをやるつもりだったけれど、ヤマダ電機から圧力がかかってやめた、ということだった。そして、読売新聞は、これは事実無根だとして週刊文春に抗議していた。
で、今週の週刊文春では、追求キャンペーンの一環で掲載された記事が1月27日朝刊の早刷りの版では掲載されているのに、その後の版では差し替えられているという証拠を示して、追求キャンペーンを途中で中止しているではないか、と反論している。
上記、3月16日の読売新聞は、その週刊文春に再度抗議したもの。しかして、直後、3月17日は、これに関連して、ヤマダ電機が是正指導を受けた、という記事が掲載される。ちなみに、朝日新聞毎日新聞日経新聞にはこれに関する記事は無い。
3月17日の記事が出たからといって、週刊文春が「それ見たことか」という話にはならない。ヤマダ電機が圧力をかけたかどうかと、3月17日の記事は関係が無いので。なので、とりあえず、事の経過は来週の週刊文春待ち。読売新聞内部で何があったのか、虚実織り交ぜて面白おかしく描いてくれるに違いない。
ま、それはそうなんだけれど、読売新聞の大阪社会部と聞くと、週刊文春の記事の説得性が高まるわけであり。かつて黒田軍団と呼ばれた、黒田清が率いた大阪社会部の取材班は、スクープを連発していたのだけれど、ナベツネに疎まれるわけですね。で、読売新聞に居られなくなって退社するわけです。そのころの心意気が、まだ生きているのかもしれません。大阪社会部には。

1952年大阪読売新聞社(現・読売新聞大阪本社)入社。社会部畑を歩み、1976年の社会部長就任以後、この社会部チームの記者のことを「黒田軍団」として注目を集め、黒田自身だけでなく、軍団の一員だった大谷昭宏らがジャーナリストとして活躍し注目を集める。また、著書「警官汚職」(1984年)には日本ノンフィクション賞、1985年の「戦争」では菊池寛賞をそれぞれ獲得。
革新・左派色が強いと見られ、渡邉恒雄の意を体した上司に干されるようになった。その結果、1987年退社。「黒田軍団」も内部で「戦犯」視され、散り散りになった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E6%B8%85

黒田清 記者魂は死なず

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