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代官山の大旦那『旧朝倉家住宅』は嫉妬するほど広い

手元にあるこの本からの引用から始めてみます

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

隈 ヒルサイドテラスは、いわば究極の旦那芸なんですよね。街自身が朝倉家という旦那の持ち物で、しかも、その旦那は見識と教養と土地とお金の持ち主でもある、という。
清野 朝倉家はどんな具合に土地を持っていたのですか。
隈 朝倉家は明治初期からここで米穀店を営んでいた旧家で、ヒルサイドテラスが建つ代官山の高台一帯を所有していたんです。ヒルサイドテラス沿いの旧山手通りも、もとをたどれば朝倉家の私道でした。現在、朝倉家は朝倉不動産という会社を作って、ヒルサイドテラスを管理していますが、その私道はおじいさんが昭和五、六年頃に作ったと聞いています。
清野 ということは、現在の旧山手通りは、昭和初期当時の私道から、だいぶ拡張されたのでしょうね。
隈 そこが朝倉さんの驚くべきところでね。道幅は当時のままだそうです。まだ車もあまり走っていない頃だったから、当時の私道としては馬鹿馬鹿しいほど広く感じられたことでしょう。逆にいえば、朝倉家はルーツからして都市計画的センスの持ち主だった、ということです。
清野 土地と見識と教養とお金が揃う、などという理想的な条件は、広い東京にあってもむしろ特殊中の特殊ですよね。だったら、どんなに代官山の街作りが良くても、日本のどこの場所にも応用できないのではないですか。
隈 その通りです。だから優秀な学生は、都市再開発のソリューションに、代官山モデルはまず持ってこないです。

隈 まあ、その奇跡が代官山では万分の一かの確率で現れた。だから代官山モデルは他の場所では応用できない。東急沿線のターミナル駅の一つ手前の土地に、朝倉家という大地主がいて、そこに槇文彦という建築家がつながって、という三つの奇跡が重なったからこそ実現した都市計画なんです。
清野 そうおっしゃられると、ミもフタもないのですが。

というわけで、お前それチートだろ反則だろwww、てレベルの大地主朝倉家。ヒルサイドテラスはその土地を一部を使って作られたのですが、お屋敷自体は、ずっとひっそりと残っていたのですね。東京府議会議長などを務めた朝倉虎治郎によって大正8年に建てられたお屋敷。最近まで、経済企画庁の渋谷会議所として使われていたお屋敷は、関東大震災以前に遡る数少ない大正期の和風住宅として貴重であるとして、平成16年に重要文化財に指定されました。そして現在は、渋谷区の管理によって一般公開されています。たったの100円。ヒルサイドテラスのま裏
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敷地総面積5,418.81平米、主屋573.76平米。まあようするにあきれるほど広いのです。


お屋敷の中



細かい部分の意匠にも凝っていて、木製のレールとか

あらゆる材木が板目のある杉で作られた部屋とか(すげえ金かかるらしい…)

こういう細部の気の使い方とか

材木店で働いていた経験を生かし、自ら屋敷に使用する材木を選んだ…らしい




超一等地にあるんですが大変空いているので、寛げます



冬以外は、夕方の6時まで見学できるのも良い。というわけでおススメです。
渋谷区/重要文化財 旧朝倉家住宅