日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

歌舞伎座で幕見をし、魯山人展を見るなどの休日

私は日記しか書けない。おのれの内面をえぐるような文章も書けないし、それはつまり内面を曝け出せないのか、あるいは内面そのものが無いのか、それはよくわからないけれども、とにかくそのような文章も書けないし。かと言ってまとまった面白い文章を書けるわけでもないし、ワンテーマで何か真理だの真相だのに迫る文章が書けるわけでもない。とにかくだらだらと、その日あったこと見たことに、なにか感想らしきそれらしきものを添えて、私の生きた証だと胸を張って言えるようなものでもないけれども生活の一端が垣間見えるような、おまえの生活の一端など垣間見せて何が面白いのだと言われるようなそんな文章を、ただただダラダラと垂れ流すことしかできないわけで、つまりここまで書いたことも別に心情を吐露しているわけでもなんでもなく、なんとなく収まりが良いように体裁を整えたありきたりな文章を漏れ出させているだけで、つまり。
今日は1月4日。まだ今日まで休み。だけれども、あまり年末年始の休みの続きという気持ちもなく、月曜日だけれどなんとなーく休みだなあ、という程度の感覚。美術館に行こうと思うけれども、なにしろ月曜日なので、休館日の美術館が多い。プールに行って泳いで散髪にでも行くのも悪くないけれど、なにか追い立てるように出掛けてみる。10時半ごろに家を出る。家の裏の成田山別院を通り過ぎてみれば、仕事はじめに参拝する人たちだろうか、スーツの一団が次々に押し寄せてきてい、わたしだって世間から見ればまともに社会人しているのだたまたま今日まで休みなだけなのだそんなことはわかっているのだけれど、なんだか後ろ暗いような気分で通り過ぎる。桜木町から京浜東北線、横浜から湘南新宿ラインに乗り継ぎが良かったので乗り換えて新宿まで。
朝飯を食っておらず、腹が減っていたので東京麺通団に行ってみたら、まだ閉まっている。今日は休日なのか、あるいは12時にならないと開店しないのか、それはよくわからないけれども、歩く道すがらで、そうだ今日は歌舞伎座に幕見に行ってみるのはどうだろうと思いついたから、あんまりのんびりも出来ない。あきらめて小便横丁へ。岐阜屋にでも入ろうかと思ったらこの時間から満員で、飯を食うスーツの人も朝からビールの瓶をいくつも並べる人達も肩を寄せ合って満員で、正月なのかそうでもないのか、とにかくぽかんとしてここで待っていても仕方が無いので、ああここでぽかんと待たないから私は駄目なのだ、あるいかぽかんと待たないからまだなんとか社会に溶け込んで生活ができているのか、とにかくにも松屋に入ってはい牛丼一丁、中国人の店員さんはイラッシャマセ以外の無用な口は一切聞かず、味噌汁と牛めしを運んでくる。ごちそうさまと店を出て、丸ノ内線から赤坂見附で銀座線に乗り継いで銀座、過防備都市な銀座の地下道を通り抜けて歌舞伎座へ。

今年取り壊される歌舞伎座、残り117日の電光掲示板もまぶしい歌舞伎座、最後の正月。2日に初日を迎えた芝居の昼の部はもう幕が開いているけれど、1時17分開演の『勧進帳』を一幕見席で観劇しようという算段。1時からのチケット販売に12時10分くらいに行ったら行列はどんなものか、もしやもう入場も叶わないのではないかとの予想は外れて、まだこの時点では、座れるか立ち見かギリギリのあたりですと、腰の低い松竹社員が告げる。とにもかくにも並ぶ

iPhonetwitterにつぶやいておれば、今日開いている美術館を教えてくれる人もあり、いろいろ反応を返してくれる人もあり、かたじけなさになみだこぼるる。この幕見の行列、以前は1人並んでもチケットの販売時に2人いれば2人分のチケットを購入できる…という仕組みだったらしいのだけれど、今は、とにもかくにも割り込みの類は一切お断りとなったらしく、まあそれはそうでしょう。歌舞伎座が新装成っても、この幕見のシステムが継続するのだろうか。そんなことをぼんやり考えながら待っていれば50分少々の行列などあっとゆう間で、ぞろぞろと行列は進んで、勧進帳だけ、1100円のチケットを購入

年寄りへのいじめとしか思えない急な階段を上って、なんとか座席を確保する。

幕見は久しぶりだ。膜見と書くといやらしい。いやそれはどうでもよくて、というか歌舞伎座自体久しぶりで、この日記を検索してもそのような記述がまったく見当たらなかったので5年以上来ていない。前回も一幕見席だったはず。だけれどもこの座席はなんにも変っておらず、ところどころに見える控えめな正月飾り以外に、幕見席には正月を感じさせるものも無い。立ち見の席もいっぱいになって、通い詰めた風な客と、ちょっと来て見ましたという風情の若者と、ロンプラ片手の外国人が集う。幕が開いておなじみ、勧進帳。二つ隣の西洋人のあんちゃん、幕が開いてもスマートフォンで舞台を撮影している。数枚なら、まあ、記念だろうし別にいいだろうと思ったけれど、あんまりいつまでもパシャパシャ撮影したり動画を撮ったりしているので、『いっちにんも通すことまかりならん』あたりでさすがに注意して止めさせた。撮影禁止だと知らなかっただけだと思うけれど。係員がすっ飛んでくるとか、そういうこともないのだな。
この芝居は弁慶が團十郎義経勘三郎、富樫が梅玉。もちろん、新年早々で團十郎の家の芸、名作中の名作を拝めるのは有りがたいことだし、久しぶりの歌舞伎座で雰囲気含めて大変堪能したのだけれど。どうも長唄囃子連中のタイミングというか間がイマイチな感じでちょっとボヤケタ印象を受けて、梅玉の富樫はやや上品すぎてインパクトに欠ける感じがして、そして團十郎團十郎は大変よい役者であり、喋らなければもっと良いし、動かなければなお素晴らしい。じっと立って睨みを利かせているのか一番素晴らしい…とまでは言うつもりはありませんし、思ったよりも良かったのではあるけれども、いやべつにね、世間的な評判で悪く言われているから私もそれに乗って、というわけでもなくて落ち着いて見ているとやっぱりなんだかなあ、と思っちゃうわけでもないわけでもないのですが、いやしかしね、うん、まあ、嫌いじゃないのです。今後も元気でいてください。声そのものはぜんぜん悪くないと思う問題は節…いや、とにかく堪能しましたよ私は。
幕見席から大向うの声を掛けている人、ちょっとやりすぎではないか。それから、幕見からは花道が見えないのは常識ではなかったのか、いちいちざわざわするのはどうなのか。そんなことを思いつつ、いやしかしとにかく、この雰囲気含めて得難いものであるよと久しぶりの歌舞伎座を堪能して、年寄り泣かせの急階段を下る

新しい劇場でも、このバリアフリー一切無視の急階段システムは継続されるのでしょうかなあ。歌舞伎座、あと117日です

山野楽器とアップルストアをちょっと覗いて、通りを北上。京橋を過ぎる。上空に飛行船が見える飛行船の真下というのも珍しい。なぜ、いまだにたねまる

日本橋のillyのカフェで小休止。オサレカフェだが、広くて居心地が良い。喫煙スペースもきっちりあるのが良い

しばらくのんびりしてから、日本橋高島屋へ。8階で、『北大路魯山人展』を覗いてみる。高島屋の社員さんも妙に腰が低いですよね…。今回の展覧会は、魯山人の陶芸に焦点をあてたもの。通常は、星岡茶寮を辞して後、作陶に専念してからの作品をクローズアップすることが多いけれども、今回は実際に星岡茶寮で使われた器を中心に並べています、というのが特徴。そのおかげて、作品そのものにとどまらない面白さのある展覧会になっている。はっきり申し上げて、魯山人の陶芸作品そのものがとても素晴らしいか…と聞かれれば、織部や志野などにハッとするような作品も一部あるけれど、全体としてはうーん、という感じではある。魯山人の面白さってのはやっぱり、人物そのもののセルフプロデュースの力、ケレンの力であって、納豆のお茶漬けについて一しきり諭されたあとで自作のゴロっとした器でポンとお茶漬け出されたら美味しんぼの京極さんじゃないけれど『なんちゅうことしてくれるんや…』と思わず平伏してしまうよな、そいう力であるような。寺山修司的な、なにか。料理を盛り付けるんだから料理を邪魔しないような器…のはずなのに、馬鹿みたいに大きいその器はなんなんだろう、と。魯山人は、5回結婚して5回離婚してるんですね。そのへんも含めて、なんちゅうかもー、ね。とにかく、面白い展覧会でした。

地下に降りて、オーボンビュータンにちょっと寄り道、それから東京駅まで歩き、丸ビルの龍馬伝に関する展覧会(これは、うん、龍馬伝お好きな方はどうぞ、という内容)を見物、高知県の物産展もやっていたのでカツオを使ったおつまみを購入。東京駅から横須賀線に乗ったけれども、横須賀線のホームの品川寄り、地下水が漏れ出すあたりに生態系が形成されていて面白い

横浜でみなとみらい線に乗り換えて日本大通り、郵便局で内藤礼展のカタログをやっと受け取り(自分のせいなのですが)、とぼとぼと歩いて自宅に向かう。父から電話。祖父が亡くなったとのこと。94歳で大往生であるし、この三か月ほど、入院していてある程度覚悟はできていたけれど、それでもじんわりと来るものはある。明日は仕事にいくけれど、明後日明々後日は休まないと。帰宅して、レトルトのカレーで晩飯、日本酒と焼酎を少々。